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(8)魔王は魔王を目撃しました

 街道を駆ける馬の蹄の音が、朝空の下に響いていた。

 俺隣には、青銀の髪を風になびかせるリセル、そして屈強な体躯のカルラ。俺たちは、ルーンハイト四番回廊ダンジョンを目指し、その近くの村へと急いでいた。

「陛下」

 不意に、リセルの低い声が耳に入った。彼女はいつもクールだが、その声には僅かな緊張が混じっている。

「、前方にかなり強い魔力の波動を感じます」

 彼女の魔力感知能力は確かだ。リセルの言葉に、俺は遠くの空を見上げた。確かに、地平線の彼方が、不気味な赤色に染まり始めている。嫌な予感が、胸に氷のような冷たい火として灯った。

「カルラ、リセル、速度を上げろ。おそらく、村が襲われている」

 二人は何も言わずに頷いた。馬に鞭を入れ、さらに速度を上げる。馬が駆ける音と風を切る音だけが、不安げな静寂を破っていた。赤色は徐々に濃くなり、空全体を覆い尽くそうとしていた。

 やがて、道の先に村が見えてきた。喧噪、煙の臭い。それは俺たちが想像していた平穏な田園風景とは程遠かった。あちこちで炎が上がり、黒煙が空へと立ち昇っている。建物の一部は倒壊し、燃えていた。

「……遅かったか」

 俺は、低く呟いた。馬から飛び降り、焼け焦げた地面に足をつける。鼻をつくのは、焦げ付いた臭いと、微かに混じる血の匂い。

 村に足を踏み入れると、その惨状は目を覆うばかりだった。焼け落ちた家々の残骸、道ばたに倒れたまま動かない人々。中には、まだ小さな子供を抱きしめたまま、黒焦げになっている親の姿もあった。

 その破壊の中心から離れるように、空を組織的な魔物の軍勢が移動しているのが見えた。粗野な武装を身につけ、征服者のような満足げな表情で。その中央には、ひときわ異質な存在がいた。まがまがしい女性――三本の曲がった角、蝙蝠のような黒い翼。黒紅の髪――あれが、四番回廊の新たな魔王か。

 魔物たちはすでにこの村を蹂躙し終え、ダンジョンの方向へ向かっている。

「くっ……!」

 歯を食いしばる俺の隣で、カルラが重い戦斧を握りしめ、黄金の目を怒りに燃やしている。リセルは、周囲の魔力の残滓を冷静な表情で分析していた。

 その時、壊れた家屋の陰から、かろうじて一人の男が這い出てきた。体中傷だらけで、衣服もボロボロだ。

「あ、ああ……貴方たちは……?」

 彼は、俺たちを見ると、わずかな希望のこもった声で問いかけてきた。

「俺たちは通りすがりの冒険者だ。何があった?」

 俺が低く尋ねると、男は震える声で答えた。

「突然です……いきなり、魔物がたくさん現れて……それで、あの……あの魔王が……」

 男は、遠ざかる魔物の軍勢の方を見やり、恐怖に目を見開いた。

 夜明け突然、魔物たちは襲ってきたらしい。

 まだ眠っていたものが多い村は、逃げることもできずただ蹂躙された。

 やがて、ひときわ大きい魔物が、こう言ったらしい。

 『我は魔王ゾルグ。これは先触れなり。これより我はこの国を我が物とす。この災禍こそ、明日のこの国の姿。生き残った者はこの国の全てに伝えよ。降伏か死を選べと』……と

 その言葉は、この破壊の光景と重なり、重く俺の胸に突き刺さった。これは単なる襲撃ではない。人間への明確な宣戦布告だ。

「くそっ……!」

 俺は、思わず拳を握りしめた。間に合わなかった。もし、もう少し早く到着していれば……この村の人々を救えたかもしれない。いや、この惨劇が起きる前に、手を打てたかもしれない。

 自責の念が、腹の底から湧き上がってくる。

『情けないぞ、アイザワ! 民が苦しんでいるというのに、立ち尽くしているのか!』

 腰に佩いたエクス=ルミナが、テレパシーで怒りの声を伝えてきた。

「ああ、この人たちを助けるのが先だ!」

 俺は、聖剣の声を遮るように言い、周囲を見渡した。カルラはすでに倒れている村人に駆け寄り、その体に触れて生存を確認している。リセルも、医療ポーチを取り出し、かすかに息をしている人々に身を屈めていた。

「陛下、まだ生きている人がいます。治療を!」

 リセルの声に、俺は自責の念を力づくで振り払い、意識を今やるべきことに集中させた。

「ああ」

 俺はそう答えると、ベリシアにならった治癒魔法で救援をはじめる。けがをした女性に掌を当て魔力を集めた。柔らかな光が手を包み込む。微弱ながらも、命の炎を繋ぎ止めるように、丁寧に、一人ひとりに治癒を施していく。

 カルラは、重い斧を血に染まった地面に置き、慎重に負傷者を抱き起こしていた。彼女の普段の快活さは影を潜め、真剣な表情で治療の手伝いをしている。リセルは、魔力探知で隠れた生存者を探し出し、俺たちにその居場所を教えてくれた。

 焼け跡から、すすにまみれた子供が、小さな声で母親を呼んでいるのが聞こえた。俺は治療の手を止め、その子供のもとへ駆け寄った。小さな体は震え、涙の跡が残る顔には大きな恐怖の色が見えた。

「大丈夫だ。もう安全だぞ」

 俺は、できるだけ優しい声で話しかけ、そっと子供を抱き上げた。小さな体は熱い。治療が必要だ。

「クソっ。――陛下、あの一団追いかけて、やっつけましょう!」

 カルラは人を助けながら、泣きそうな、悔しそうな顔で俺に叫んだ。

「何言ってるの! あの魔王の軍勢は組織立ってる。今追いかけても、簡単にはいかない。まずは、この村の生存者の治療と安全確保を優先しなきゃ」

 リセルの言葉は、俺の感情と理性の相反を落ち着かせてくれた。

 ベリシアは良い部下を育てている。

 いや、魔族である彼女らが、感情から人間を優先している。

 それは、ベリシアの指示や教育だけでは説明つかない。

 ――もしかすると、魔王である俺の考えが、配下である彼女らに影響している……?

「……そうだな」

 俺は、重く頷いた。腕の中の子供をそっと見つめる。まだ温かい。この小さな命を、まずは守らなければならない。

「カルラ、リセル。生存者の治療と安全確保を最優先に行う。その後で、あの魔王について考える」

 二人は、俺の言葉に頷いた。


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