表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/118

(5)魔王の予感――??

 積み上がった書類の山に、今日もまた一つ、重い判を押す。魔王国ゾルディアの復興は、思った以上に多くの時間と労力を必要とした。食料の配給、住居の再建、荒れた土地の開墾……戦乱で深く傷ついたこの国を立て直すのは、容易なことではない。

「陛下、お疲れ様です。よろしければ、お茶をお淹れいたしましょうか?」

 傍らで控えていたリセルが、繊細なティーカップを手に、穏やかな声でそう話しかけてきた。彼女の淹れる茶は、なぜか以前いた世界の紅茶に似ていて、今の俺にとっては、ささやかな癒しだった。

「ああ、頼むよ」」

 俺がそう答えると、リセルは手際よく茶の準備を始めた。その隣では、待機中のカルラが、なぜか訓練用の重い鉄塊を軽々と持ち上げ、汗をにじませながら素振りを繰り返している。彼女の身体能力は、本当に目覚ましい。

 そんな平穏な執務室の空気が、ふとした瞬間に微かな緊張感を帯び始めたのは、ベリシアがいつもの穏やかな表情をわずかに曇らせて現れた時だった。

「陛下、緊急の報告がございます」

 彼女の声には、わずかな動揺が混じっている。何事かと顔を上げると、ベリシアは手に持った書類を強く握りしめていた。

「ルーンハイト公国において、異常が観測されました」

「うん? どういうことだ? 詳細を教えてほしい」

 ルーンハイト公国は、ゾルディアとは異なる人間の国だ。俺が聞くと、ベリシアは書類を見ながら説明を始めた。

「ルーンハイト公国に派遣している密偵からの情報によりますと、先日、『ルーンハイト四番回廊』と呼ばれるダンジョンにおいて、予測を遥かに超える魔素の異常な高まりが観測されました」

 俺が少し肩をすくめると、ベリシアは少し冷静になって言葉をつづけた。

「ここは、ルーハイトでは規模の大きい回廊のひとつですが、その魔素は、せいぜい四天王クラスの魔物の発生が限界の量でした。それが急激にあふれだした、ということです」

 ベリシアは書類から目を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。

「その数値は一時的に、我がゾルディアの魔素濃度をも凌駕しかねないレベルだったと」

 その思いがけない報告に、俺は思わず息を詰めた。ゾルディアの魔素濃度は、この世界でも屈指のはずだ。それを一時的にでも超えるとなれば、尋常な事態ではない。

「魔王クラスが発生した可能性がある、ということか?」

 俺がそう問い返すと、ベリシアは重く頷いた。

「可能性は極めて高いと分析されます。過去の計測履歴においても、これほどの魔素の上昇は一度も確認されておりません」

 傍らで訓練していたカルラも、この異常な空気に気づき、重い戦斧を床に置いた。

「魔王クラスが、別の国に……? 一体、何が起こってるんすか?」

 彼女の快活な表情にも、わずかな不安の色が浮かんでいる。

 ソファで気だるげに横になっていたナクティスも、興味を持ったのか、ゆっくりと体を起こした。

「へえ、別の場所で魔王ねえ……面白くなってきたじゃない」

 彼女の瞳は、普段の怠惰な光とは異なる、鋭い輝きを宿していた。

「さらに、これに伴い、ダンジョン内の魔物もランクが上昇し、凶暴化しているとの報告もございます」

 ベリシアの報告は続く。ダンジョン内の生態系の急激な変化は、新たな強力な存在の出現を裏付ける証拠と言えるだろう。

 俺は、重く息を吐いた。また別の問題か……。ゾルディアの内政に専念するつもりだったが、放置できない話みたいだな。

「ベリシア、そのルーンハイト四番回廊の詳細な地図と、現時点で判明している情報をすべて集めてくれないか。ーーそれと、魔王発生の可能性が有るということは、勇者としての仕事かもしれないって事か。セレアリスも動くだろうね」

「はい。彼女の性格なら何か行動を起こすかと」

「ナクティス、念のためにルミナスに行ってでセレアリスとロイドの動向を確認しておいてほしい」

 俺の指示に、ベリシアとナクティスは短く頷いた。

「フィーユは」

 俺がそう問いかけると、部屋の隅で訓練を見守っていたフィーユが、背筋を伸ばしてきっぱりと答えた。

「ボクは、いつでも戦闘準備万端です!」

 彼女の表情は、新たな強敵の出現に、かすかな興奮の色を示していた。

「ああ。フィーユは、万が一の事態に備えて、魔獣軍の戦闘態勢を整えておいてくれ。――最悪の場合の選択だけど」

 別の国に出現した新たな魔王。その存在が、この世界にどのような影響を与えるのか、今はまだ分からない。だが、魔王である俺が、この事態を放置するわけにはいかないだろう。

「さて、ルーンハイトに、誰を送るべきか……」

「陛下――ご自身が赴かれるか迷っておられますね」

 俺の迷いを見かねたのか、ベリシアが穏やかな声で問いかけてきた。

「ああ、お見通しだね。……直接行くべきかどうか、迷っている」

 正直な気持ちを告げると、ベリシアはあきらめた様にため息をついた。

「確かに、陛下の偉大なお力ならば、どのような事態にも対応できるでしょう。しかし……危険も伴います」

 彼女の心配はもっともだ。”新魔王”が実施に発生したかどうか。何もわからない。実際にいた場合、友好的か、敵対的か、中立的か。一体どれほどの力を持っているのか、今はまだ分からないのだから。

 ソファに寝そべっていたナクティスが、気だるげな声で言った。

「へいかは、自分の目で見なきゃ気が済まないでしょー」

 彼女の唐突な言葉に、俺は少し戸惑った。

「……まあな。何が起こっているのか、自分の目で確かめたい」

「だったら、行けばいいじゃないですか」

 フィーユが、琥珀色の瞳を輝かせながら、力強く言った。

「陛下なら、きっと大丈夫ですよ!」

 ベリシアも、短く頷いた。

「ええ、陛下。魔王である貴方がこの異変の中心に赴き、“新魔王”が敵なのか味方なのかを見極めることは、この国の未来のために極めて重要です」

「陛下。ルーンハイトまでの道のりと、そこで対峙するかもしれない新たな魔王の不確定要素を考慮しますと、戦闘能力の高い随行者をお連れになるのが賢明かと存じます」

 確かに、新たな魔王がどれほどの力を持つのか、今はまだ分かっていない。万が一の事態に備え、実力ある者を同行させるべきだろう。

「誰がいいと思う?」

 俺がそう問い返すと、ベリシアは少し思案した後で答えた。

「わたくしは、魔王城の運営と情報収集で手一杯になるかと存じます。戦力として陛下をお守りするのであれば……カルラとリセルはいかがでしょうか。二人は最近加入したばかりですが、その戦闘技術は目を見張るものがあります」

「マジっすか!?」

「え、私たちですか? 長期出張……?」

 喜ぶカルラと、隠し切れない嫌な顔をしたリセル。ベリシアの顔を見た二人は正反対の反応をしめした。

 カルラとリセルか。カルラは巨斧を振るう屈強な戦士で、リセルは素早い動きと魔力探知に優れている。バランスとしても悪くない。

「よし、それで決定とするか」

 俺がそう言うと、ベリシアが二人のメイドに準備を指示し、カルラとリセルは退室した。

 ふと、一つの考えが脳裏をよぎった。俺自身が、魔王でありながら勇者になってしまったこと――それが、この世界の均衡を崩し、新たな魔王を生み出す引き金になったのではないか、と。

「ちなみに、魔王が一つの時代に重複するのはあり得るのかな?」

「私が知る限りはありませんが、先般のダルヴァンの例もあり、――無いことではないかと」

 ベリシアが答えてくれたが、もう一つ気弱な気持ちもある。

「もし……他に魔王が現れたとしても」

 俺は、不安を押し殺すように口を開いた。

「お前たちは、以前と変わらず、俺に従ってくれるのか……?」

 思わず洩れた俺の問いに、三人は顔を見合わせた。

 そして、誰一人迷うことなく、確かな眼差しで頷いた。

「当然です、陛下。わたくしが忠誠を捧げるのは、ゼルヴァ陛下ただお一人です」

 ベリシアの静かな声には、揺るぎない忠誠心がこもっていた。

「んー、当たり前じゃない。へいかがいなきゃ、この城、退屈で死んじゃうもん」

 ナクティスはいつもの気だるげな調子ながら、その瞳は真剣だった。

「ボクも! 陛下はボクのご主人様だもん! ずっと、陛下のそばにいます!」

 フィーユは小さな体をピンと伸ばして、力強く言い切った。

 彼らの言葉に、俺の胸には温かなものが込み上げてきた。世界の状況がどう変わろうとも、俺には、この信頼すべき仲間たちがいる。その事実は、どこか心強い光を俺の心に灯してくれた。

「ありがとうな、みんな」

 短く礼を言うと、俺は再び、自分の中に思考を向けた。

 ルミナスの新たな勇者。ルーンハイトの新たな魔王。彼らは一体何者で、この世界に何をもたらそうとしているのか。

 まずは、さらなる情報を集めなければならない。

 そのためには行動だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ