(33)そして、総力で!
一瞬、意識がホワイトアウトし、次に視界が戻った時には、俺はセレアリスの魔法の光に包まれていた。彼女の魔力が、俺の身体を覆うようにして、ダルヴァンからの猛攻を防いでいる。その前では、ロイドが盾を構え、まるで鋼鉄の壁のようにダルヴァンの放つ黒い魔力の奔流を受け止めていた。
やばいか。そう、心の底から思った。今、どうにか聖剣を振るうのが精一杯で、周りの状況を把握するのも難しい。ダルヴァンから放たれる魔力は、あまりにも強大すぎた。このままでは、セレアリスもロイドも、押し潰されてしまう。俺自身、もう長くは聖剣を支えられそうにない。絶望にも似た倦怠感が、全身を蝕んでいく。
その時だ。
轟音と共に、押し寄せていたゴーレムやアンデッドの軍勢が、まるで巨大な壁にぶつかったかのように弾き飛ばされた。戦場の空気が一変する。激しい衝撃と、魔力の渦の中で、見慣れた姿が三つ、閃光のように駆け抜けてくるのが見えた。
「陛下!」
まず、一番に聞こえたのは、快活で、どこか幼さも残る声だった。それはフィーユの声だ。小柄な身体が、猫科の獣人らしい俊敏さで宙を舞い、双剣がダルヴァン配下の魔物を切り裂いていく。
「ゼルヴァ様!」
次いで、冷静で知的、それでいて深い忠誠心を秘めたベリシアの声が響く。彼女の銀髪が舞い、紫紺の瞳がダルヴァンを見据えている。その手から放たれる氷の魔術が、敵の足を凍らせ、炎の魔術が後続を阻む。
「へいか~」
最後は、どこか気だるげで甘ったるい声。それはナクティスだ。雪色の髪がゆらめき、その華奢な身体から放たれる魔力が、ダルヴァンの魔物たちを幻惑し、同士討ちへと誘っている。
三人が、俺の元へと駆け付けた。彼らが参戦したことで、ダルヴァンの軍勢は明らかに押し返されている。絶望的な状況だったはずの戦場に、僅かな光明が差し込んできた気がした。
「遅かったじゃないか」
俺は、苦笑しながら、エクス=ルミナを杖代わりに身体を起こした。聖剣が、心の中で文句を言っているのが聞こえる。「この事態に、よくもそんな悠長なことを……!」と。まあ、無理もない。
「申し訳ありません、ゼルヴァ様。城の魔力回路に封印されていたナクティスは解放いたしました。現在、獣王軍はフィーユ殿が、メイド・魔人軍はわたくしとメイド隊長が指揮を執り、城内をほぼ奪還。残るはダルヴァン本人となります」
ベリシアは、流れるような動作でゴーレムの攻撃を避けながら、落ち着いた声で状況を報告してくれた。彼女の言葉から、どれほどの激戦を潜り抜けてきたかが窺える。メイド軍だけでなく、魔人軍も彼女の指揮下に入っているようだ。
ダルヴァンは、俺たちを侮っているかのように、その場で腕を組み、顔には余裕の笑みを浮かべていた。
「愚かな……。今更、数が増えたところで、この圧倒的な力の差は埋まらぬ。貴様らの力など、わが魔力の前では無力なのだ!」
彼の言葉と共に、再び強大な魔力の波動が放たれる。それは、先ほど俺たちを押し潰そうとしたものと同等か、それ以上の威力だ。ロイドは盾を構え、セレアリスはさらに防御魔法を重ねる。フィーユは素早く動き回り、ダルヴァンの魔力をかわしていくが、ベリシアとナクティスは、その魔力の奔流を直に受け止め、後方へと押しやられた。
「くっ……この魔力、尋常ではありません……!」
ベリシアが苦しそうに呻く。ナクティスは、気だるげな表情のまま、その魔力を精神的に逸らそうとしているが、完全には防ぎきれていないようだ。
「ベリシア、城の魔力回路は、他では活きているのか?」
俺は、ダルヴァンの視線から僅かにずれた位置に身を移し、声を潜めてベリシアに尋ねた。ダルヴァンが放つ魔力は、あまりにも純粋で、その量は、俺が魔王だった頃の最大魔力と比べても、遥かに膨大すぎる。まるで、どこからか無限に湧き出しているかのようだった。
「はい。ナクティスの封印に関する部分のみ、解除しただけです。他の城の魔力回路は、未だダルヴァンの手中にあります」
ベリシアの声は、苦しい中でも正確だった。
「ナクティス、魔王城の魔力って、どこから来ている?」
今度はナクティスに尋ねる。
「んー? ここは魔界の奥深くに繋がる回廊だから、魔界から地上に流れる魔力を利用してまーす。その魔力を城の回路で制御して、結界や魔王軍の活動に利用してるの」
ナクティスは、ダルヴァンの攻撃を避けながらも、ふわりと宙を舞い、答えてくれた。
ダルヴァンは魔王の魔力を奪った。俺の魔力は半分以下、いや、もっと減っているかもしれない。しかし、このダルヴァンの魔力の多さは計算に合わない。それに曲がりなりにも、こちらには聖剣が二本もある。エクス=ルミナと、ロイドの旧聖剣。その合計と比べても、ダルヴァンは異様だ。
ダルヴァンの放つ魔力は純粋すぎる。まるで、どこかの源泉から直接汲み上げているかのような。
俺は、ダルヴァンの動きと、彼が放つ魔力の軌跡を注意深く観察した。思考が急速に回転する。まさか。
ダルヴァンは魔王の魔力を奪い、それを使ってこの城の魔力回路に干渉し、新たな魔力回路を構築したのではないか? その回路を通じて、魔界から湧き出る魔力を、あたかも自分のもののように利用している? そうであれば、この尋常ならざる魔力も説明がつく。
俺は、ダルヴァンに聞こえないよう、攻撃を避けながら、しかし明確に指示を飛ばした。
「フィーユ、ロイド! おれと一緒にダルヴァンをかく乱してくれ! 奴の注意を引くんだ!」
「へいか、了解です!」
「承知した!」
フィーユとロイドが即座に返答する。フィーユは、その素早さでダルヴァンの死角に回り込み、ロイドは旧聖剣を構え、一撃を狙う。
「ベリシアとナクティスはダルヴァンの魔力回路を探してほしい! どこかに繋がっているはずだ!」
「魔力回路、ですか?!」
「んー、めんどくさいけど、へいか~のためなら仕方ないわね」
ベリシアが驚きの声を上げ、ナクティスは怠惰な口調で答えるが、その目は既に魔力の流れを探し始めている。
「セレアリス、ベリシアとナクティスの防御を! 奴の攻撃から彼女たちを絶対に守ってくれ!」
「はい!」
セレアリスは、表情一つ変えず、防御魔法をさらに強化した。
作戦開始だ。
俺はエクス=ルミナを構え、フィーユとロイドと共にダルヴァンへの攻撃を開始した。フィーユは残像を残すほどの高速移動でダルヴァンの周囲を駆け巡り、双剣で彼の防御の隙間を狙う。ロイドは、旧聖剣を振るい、ダルヴァンの放つ魔力を切り裂きながら、直線的な攻撃を仕掛けていく。
ダルヴァンは、相変わらず余裕の表情だったが、俺たちの連携攻撃に、僅かに眉を顰めた。
「小賢しい! だが、無駄な足掻きよ!」
ダルヴァンが放つ魔力は、依然として強大で、一撃一撃が重い。フィーユはギリギリで攻撃をかわし、ロイドの盾にはヒビが入っていく。
その間にも、ベリシアとナクティスは、ダルヴァンの放つ魔力の奔流に耐えながら、城の魔力回路を解析し続けていた。二人の額には汗が滲み、ナクティスは時折「んー、この魔力の乱れ、頭痛がするわぁ」とぼやいているが、その集中力は途切れていない。
セレアリスの防御魔法が、二人を護るように輝き続ける。その魔力は、徐々に削がれていっているのが分かる。彼女も、限界に近いだろう。
その時、ベリシアが声を上げた。
「ゼルヴァ様! 発見しました! 天井の奥深くに……巨大な魔力回路の接続点があります! ダルヴァン本人の魔力と、魔界からの魔力を繋いでいるようです!」
ベリシアの言葉と共に、ナクティスが魔力でそれを可視化させた。透明な膜のように見えていた空間に、巨大な輝くパイプのようなものが現れた。それは、天井の奥深くに繋がっており、ダルヴァンの背中へと伸びている。パイプの中を、純粋な魔力が渦巻いているのがはっきりと見えた。
これだ!
「ロイド! そのパイプを断ち切れ!」
「おう!」
「させるか!」
ダルヴァンの攻撃を、俺とフィーユが受け止める。
ロイドは迷わず旧聖剣を振り上げた。彼の全身に魔力が集中し、旧聖剣が眩い光を放つ。
一撃。
ロイドの聖剣が、輝くパイプを両断した。キン、と高音の金属音が響き、大量の魔力が噴き出した。
「なっ……!?」
ダルヴァンの顔から、余裕の笑みが消え去った。彼は、何が起きたのか理解できないといった表情で、切り離されたパイプと、そこから溢れ出す魔力を見つめている。その魔力は、途端に勢いを失い、ダルヴァンから放たれる魔力の奔流も、目に見えて弱まった。
この隙しかない。
「聖剣エクス=ルミナ、力を貸せ!」
『ああ、魔王よ!』
次の瞬間、俺は魔力を最大限に込めたエクス=ルミナを頭上に掲げた。聖剣が、今までになく眩い光を放つ。
「ダルヴァン……貴様は、この魔界を支配する資格などない!」
俺は、ダルヴァンの驚きと困惑に満ちた顔を視界に捉えながら、その頭頂から、エクス=ルミナを振り下ろした。
ズォンッ!
聖剣は、ダルヴァンの身体を、まっすぐに両断した。