(29)最後の決戦を始めましょう
重々しい軋みを上げて、眼前の巨大な扉が開かれた。
その奥に広がっていたのは、俺が魔王として宣言した、この魔王城の謁見の間だった。巨大な空間の天井は遥か高く、かつては魔族の臣下たちが忠誠を誓うために集った広間だ。しかし、今やその荘厳な雰囲気は、禍々しい魔力の奔流によって完全に歪められていた。空気そのものが、ダルヴァンの魔力によって飽和しているような圧迫感がある。
空間の中央には、不気味な魔導陣が鈍く輝き、そのさらに奥に、ローブを纏った骸骨の姿――魔導士ダルヴァンが、不遜な態度で佇んでいるのが見えた。
奴は俺たちの姿を認めると、暗い紫の眼窩を妖しく輝かせ、嘲るように口角を歪ませた。その光景は、まるで生きていた頃の、傲慢な賢者の姿をそのまま模しているかのようだ。まさか、この謁見の間で奴と対峙することになるとは……。
だが、ダルヴァンは俺たちをそう簡単に、そこへ到達させるつもりはないらしい。魔導陣の周囲には、全身を漆黒の装甲で覆われた巨大なゴーレムが数体、深紅の瞳を持つ幾体もの上級アンデッドが、無言で立ち塞がっていた。その一体一体から放たれる魔力は、通常の魔族を遥かに凌駕している。
躊躇なく、ロイドが先陣を切った。彼の手に握られた剣は、まるで彼の決意そのもののように輝いている。
「先に出る!」
彼の声が、この魔力に満ちた空間に響き渡る。彼は、真っ向からゴーレムの一体へと突進し、その剣は、瞬時にゴーレムの分厚い装甲へと叩きつけられた。甲高い金属音が空間に響き渡り、俺の耳朶を打つ。
一撃では砕けないと見るや、ロイドは流れるような動きでゴーレムの側面へと回り込んだ。その肉体は、まさに鍛え抜かれた騎士のそれだ。彼は魔力の流れが集中する関節部を瞬時に見抜き、寸分の狂いなく剣を突き立てる。ゴーレムの巨体が軋み、その動きが鈍った。元はと言え聖剣を、ロイドは使いこなしている。
その隙を逃さず、聖王女セレアリスが神聖魔法を放った。
「神よ、この道が正しいとお示しください……」
彼女は、祈るように呟くと、掌から純白の光の奔流を放った。その光は、ロイドが動きを止めたゴーレムの周囲にいた上級アンデッドたちを瞬く間に包み込み、その存在を浄化していく。セレアリスの表情は穏やかで、まるでこの死の空間に、一輪の白い花が咲いたかのように見えた。
『おい、左後方!』
エクス=ルミナの声が、俺の脳内に響いた。その警告は的確だった。俺は即座に反応し、視界の隅で輝く魔導装置へとエクス=ルミナを向けた。魔導装置からは、すでに放たれようとする魔力弾が形成されつつある。
俺は、エクス=ルミナを水平に構え、渾身の力を込めて振り抜いた。漆黒の魔力と聖なる光が混じり合った斬撃が、魔力弾を寸前で捉え、文字通り叩き斬る。閃光と共に魔力弾が四散し、魔導装置が破壊された。
『まったく、我の誇りはどこへ消えたのだ……!』
ぼやく声まで聞こえるのだが。
その間も、ロイドは、残りの上級アンデッドの群れを相手に、まるで舞うように剣を振るっていた。彼の剣戟は、もはや技術の粋を超え、芸術の域に達しているかのようだ。
一閃、また一閃。彼の剣は、無駄な動き一つなく敵の甲冑を切り裂き、そのたびに血飛沫ならぬ、瘴気の霧が舞う。彼の栗色の髪が、素早い動きに合わせて揺れている。彼は、俺が信じた通り、弱き者を守り抜くという己の信念を、この戦場で体現していた。
おそらくエクス=ルミナが言うように、彼が本来勇者になるべきものだったのだろう。
ロイドの剣が、ダルヴァンへと続く最後の守護者を切り裂き、俺たちは遂に、その中心へと辿り着いた。巨大な魔導陣の中央、禍々しい光を放つ祭壇のような台座の上に、ダルヴァンは立っていた。ローブを纏った骸骨の姿は、以前よりもさらに禍々しい魔力を纏っているように見える。暗い紫の眼窩が、俺たちを嘲笑うかのように輝いていた。
「フフフ……よくぞここまで辿り着いたものだ、ゼルヴァ……いや、アイザワよ」
ダルヴァンの声は、以前よりもさらに深みを増し、空間全体に響き渡る。
「つい先日だったな。この謁見の間で、貴様が『魔王』を名乗ったのは。滑稽極まりないな。貴様は、あの魔王の力の一部を受け継いだだけの存在。だが、わしは違う。この魔王国を喰らい尽くし、その魔力全てを吸収したのだぞ。フフフ……わしこそが、この魔王城の、真の支配者だ。かつては人間として、勇者の傍らにいた愚かな魔導士が、ここまで辿り着いたのだ」
ダルヴァンの言葉と共に、彼の周囲の魔導陣がさらに輝きを増し、膨大な魔力が彼へと流れ込むのが目に見えるようだった。彼は、まるでこの魔王城そのものが彼の肉体であるかのように、堂々と君臨している。
「知恵と力を持つ者が支配する。これは揺るぎない真理だ。愚かな魔王が遺した力は、わしのような知恵ある者が正しく運用するべきものなのだ。かつて、己の無力さを嘆き、知の深淵に魅せられたわしが、今、この魔界の王となる。貴様らはただの駒に過ぎん……わしの支配のもと、無益な争いを起こす愚か者どもよ」
ダルヴァンは、高らかに笑った。その声は、彼がこの魔王国を完全に掌握しているという、揺るぎない確信に満ちていた。謁見の間に響くその声は、かつて魔族たちが俺に示した忠誠の誓いを、嘲笑っているかのようだ。
「滑稽なのは、貴様の方だ、ダルヴァン」
俺は、静かに、しかし毅然として答えた。ダルヴァンの圧倒的な魔力と威圧感に、一瞬体が竦むかと思ったが、ここで引くわけにはいかない。俺の肩には、フィーユやベリシア、この魔王国の未来が懸かっているのだ。
「力と知恵を持つ者が支配する? 違うな。力は、弱き者を守るために使うべきだ。――知恵は、争いを避けて、異なる者同士が理解し合うために使うべきものだ。お前は、その両方を間違った方向に使っている。かつて勇者と共に世界を救うはずだった貴様が、その知恵を憎悪と破壊のために用いるなど、愚の骨頂だ」
俺は、ダルヴァンの姿を真っ直ぐに見据えた。彼の魔力に比べて、俺の魔力はまだ微々たるものかもしれない。だが、俺には、彼にはない信念がある。
「魔王国を喰らい尽くしただと? それは支配とは言わない。ただの略奪だ。貴様のようなやり方では、新たな憎しみしか生まない。俺は、二度と後悔しない生き方を選ぶ。貴様をここで止めなければ、全てが無駄になる」
俺の言葉が、空間に冷たく響いた。ロイドとセレアリスが、俺の隣で静かに剣を構え、魔法を準備している。彼らの視線もまた、ダルヴァンを真っ直ぐに見据えていた。
「フン……戯言を。ならば、その『信念』とやらで、わしを止めてみせろ、魔王の出来損ないよ」