(26)それでも、前進します
日が沈み、要衝の石造りの壁が夜の闇に溶けていく頃、俺は、ただバルドたちの墓前で立ち尽くしていた。
そんな俺の元へ、ベリシアが静かに歩み寄ってきた。
彼女の顔には、未だ疲労の色が残っていたが、そこに困惑が混じっているのが見て取れた。普段の冷静さを欠いたような、どこか不安定な佇まいに、俺は言葉を待った。
「陛下……いえ、アイザワ様」
彼女の声は、か細く、しかしその言葉は俺の胸に突き刺さった。
「元々、関係のない人間であった貴方を、この魔王国の運命に巻き込んでしまったのは、私達です。その責任を、私の弱さゆえに、全て貴方様に押し付けてしまったことを……心より、お詫び申し上げます」
彼女は深々と頭を下げた。その仕草は、彼女がこれまで背負ってきた重荷の大きさを物語っていた。俺を巻き込んだこと。その責任を押し付けたことへの自責の念が、彼女の疲弊の根源だったのだろう。
「もうこれ以上、貴方が私達に付き合う必要はありません」
ベリシアは顔を上げ、俺の目を見つめた。その顔には、痛ましいほどの決意が宿っていた。
「ダルヴァンは、私とフィーユで討ちに行きます。この混乱の責任は、私たち魔王国が負うべきものです」
彼女の言葉は、俺を解放しようとする、彼女なりの贖罪だった。
しかし、俺の心には、別の思いが募っていた。
この状況は、確かに魔王国が俺を巻き込んだ結果だが、俺自身が魔王となることを選び行動してきた。
その選択が、今のこの状況を招いた一因であることは、紛れもない事実だ。
俺に責任がないとは、決して言えない。
「ベリシア」
俺は、彼女の言葉を遮り、静かに、しかしはっきりと告げた。
「この結果は、俺自身が招いたことだ」
彼女の目が、微かに揺れた。
「魔王になると決めたのは、俺自身だ。――その後も俺なりに、多くのことを見て、多くの選択をしてきた。それが、今この状況に繋がっている」自嘲するように小さく息を吐いた。「だから、これは、俺自身の責任でもあるんだ」
彼女の顔から、困惑がゆっくりと消えていくのが分かった。俺の言葉は、彼女の心を縛っていた鎖を、少しずつ解いているようだった。
「頼りない魔王だとは、自分でも理解している」俺は、苦笑を浮かべた。「だが、その責任を果たすためにも、俺に行動させてほしい。俺は、この戦いから逃げるつもりはない」
ベリシアは、何も言わずに俺を見つめていた。彼女の瞳に宿っていた疲弊と困惑は、そこに微塵もなかった。代わりに、静かで確かな光が灯り、彼女の表情は穏やかだった。俺の言葉が、彼女の心に巣食っていた負い目を、いくらか取り除けたのなら、それで良かった。夜の闇の中、俺たちの間に、言葉にはできない信頼が生まれたのを感じた。
* * *
翌朝。
夜の静寂とは打って変わって、朝日が差し込む要衝の広場で皆の前に立った。バルドたちの弔いを終え、夜を越したことで、決意は一層明確なものとなっていた。
「俺自身の先行きは、正直言って、まだ決められないままだ」
集まった皆の顔を一人ずつ見つめ、ゆっくりと語り始めた。聖王女セレアリス、騎士ロイド、獣王族フィーユ、四天王ベリシア。皆の視線が、まっすぐに俺に注がれている。
「だが、今、俺がやるべきこと、この場所で果たすべきことは、ただ一つ。ダルヴァンを討つことだ」
俺の言葉に、聖王女セレアリスが静かに頷いた。彼女の表情は、もはや困惑の色はなく、澄んだ瞳には、確かな光が宿っている。
「貴方の告白は、私にとって大きな衝撃でした。しかし、貴方という人間は信じられると思います」
彼女の声は、凛としていた。
「魔王という称号を持つ貴方を信じることは、私の信仰において大きな試練です。ですが、私は貴方の人間性を信じ、ダルヴァンを討つため、勇者アイザワ様、貴方に協力することを決意します」
聖王女の言葉に、俺の胸に温かいものが広がった。その隣で、ロイドが一歩前に出る。彼の表情は、以前のような葛藤ではなく、確固たる決意に満ちていた。
「俺は、セレアリス様に同行するのはもちろんだが、正直、あなたが勇者じゃなくても、あなたと一緒に戦いたいと感じた」
ロイドは、俺の目をまっすぐに見て、剣の柄に手を置いた。
「あなたがダルヴァンを討つというならば、俺はあなたを真の勇者として支え、この身命を賭して、あなたに尽くすことを誓おう」
彼の言葉は、俺に課せられた責任の重さを再認識させると同時に、大きな支えとなるものだった。
フィーユの目には、悲しみの色の中に、燃え盛る炎のような強い意志が宿っていた。彼女は、小さな体をまっすぐに立て、俺を見上げる。
「ぼくは魔王陛下と共に行く。それはじいちゃんの意志でもある。――じいちゃんの仇を打つ。ダルヴァンを倒す」
フィーユの言葉は、迷いのない、まっすぐな決意だった。彼女の中に宿る力が、静かに、しかし確実に脈動しているのが感じられた。
最後に、ベリシアがゆっくりと口を開いた。彼女の顔からは、夜間の疲弊と戸惑いが完全に消え失せ、新たな決意が宿っていた。
「魔王国のため、そしてバルド殿の遺志を継ぐため、私も陛下と共に参ります」
彼女の声は、明確で力強かった。
「魔王陛下の隣で、四天王の一員として、この身が尽きるまで支えることを誓います」
それぞれの言葉が、俺の胸に深く響いた。俺は、自分が何者なのか、この先どこへ向かうのか、まだ明確な答えは見つからない。しかし、この場に集まった彼らは、それぞれの理由と決意を胸に、この頼りない魔王であり勇者である俺を信じ、共に戦うことを選んでくれた。彼らの言葉は、俺に、この道を歩み続けるべきだという、確かな理由を与えてくれた。
俺たちは要衝を後にした。魔界の荒涼とした大地に、俺たちの足跡が刻まれていく。セレアリスとロイドは、魔界の風景に戸惑いを見せながらも、時に互いに視線を交わし、言葉を交わしている。その間に、種族を超えた新たな信頼の芽生えを感じた。ベリシアは俺の傍らで、この先に待ち受ける危険について、冷静に、しかし確かな声音で語りかけてくる。その言葉には、夜の語らいを経て築かれた、新しい信頼が宿っているのが分かった。フィーユは、バルドの仇を討つという揺るぎない決意を胸に、まっすぐに前を見据えている。
俺は一人ではない。異なる力、異なる視点、異なる決意を持った、しかし同じ目的を共有する仲間たちが、俺の隣にいる。この頼りない魔王・勇者と、彼らとの間に築かれ始めた手探りの連携が、未知なる敵との戦いを乗り越えるための、確かな希望となることを信じ、俺は前へと歩み続けた。




