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(25)葬送

 黒曜石の要衝に、重く、しかしどこか厳かな静寂が満ちていた。

 激戦の喧騒は遠ざかり、残されたのは、ただバルドをはじめとする倒れた獣人たちの亡骸を弔う、静かな時間だった。

 俺もまた、バルドの傍らに膝をつき、彼の安らかな寝顔を見つめていた。彼の体に手を触れると、冷たさが伝わってくる。その冷たさが、俺の胸に、彼を救えなかった無力感をじんわりと広げていった。

 そんな中、聖王女セレアリスが、静かに俺の元へ歩み寄ってきた。彼女の足音は、弔いの場の静寂を破ることもなく、まるでその場に溶け込むかのようだ。その表情には、先ほどの激しい戦いの名残と、俺の正体を知った困惑が浮かんでいた。

 フィーユは、バルドの亡骸に寄り添い、その小さな肩を震わせている。

 セレアリスは、フィーユの背をそっと撫でた後、俺に視線を向けた。

「アイザワ様……いいえ、魔王陛下。あなたは、一体、何者なのですか? なぜ今までその真実を私たちに隠してこられたのですか?」

 彼女の声は、落ち着いていたが、その問いには、一切の誤魔化しを許さない、真っ直ぐな意志が込められていた。俺はバルドの亡骸から視線を上げ、セレアリスの視線を受け止める。この場に立ち、この問いに応えることは、俺が背負うべき責務だ。苦悩は胸の内にとどめ、冷静に、しかし正直に、言葉を紡いだ。

「俺は……元は、この世界ではない、異世界からの人間だ」

 俺の言葉に、セレアリスの目が微かに見開かれた。ロイドも、静かにその場に立ち尽くし、俺の言葉に耳を傾けている。

「それは、天界や魔界ということでしょうか?」

 俺は首を振った。

「そして、この世界に、魔王ゼルヴァ=レグナス=ノクスの復活体として転生させられた。なぜ俺が、そのような宿命を背負わされたのか、俺自身にも、わからないままだ」

 淡々と語る俺の言葉は、彼らが知る「魔王」という存在とはかけ離れていたかもしれない。だが、それが、俺が知り得る全ての真実だった。

「しかし……この魔王国で共に過ごす中で、俺は知った。魔王国の者たちも、その心は、地上の人間と何ら変わりない者が多いと。喜び、悲しみ、怒り、そして誰かを愛する心。彼らは、ただこの地に生き、懸命に日々に耐えているのだと」

 疲弊した様子のベリシアの方へ視線を向けた。彼女は、俺の言葉を静かに聞いていた。

「地上にも、セレアリス殿下やロイド殿の様に、自分の国を深く想い、民のために尽くそうと心を砕いている人間が多くいることも知った。俺がこの世界に来て見てきたのは、単純な善悪の区別では測れない、複雑な現実だった」

 セレアリスは、俺の言葉をじっと聞いていた。彼女の表情には、戸惑いと、しかし真実を受け止めようとする知的な眼差しがあった。

「薄々感じてはいました……。貴方の考え方……私たちが知る人間や魔族それとは違うことを……。ですが、同時に、貴方が人間として見せてくれた誠実さも、確かに感じていました。今、何を信じれば良いのか、この心は揺らいでいます……」

 彼女の声には、聖王女という立場と、一人の人間としての感情の狭間で揺れる苦しみが滲んでいた。彼女の信仰と、目の前の現実が、静かに衝突しているのが見て取れた。

 静かに立ち尽くしていたロイドは、俺の言葉を聞き終えると、ゆっくりと口を開いた。

「俺やセレアリス様は、あなたに騙されていたと、そういうことなんだろう。だが……」

 彼の言葉は、確かな怒りを孕んでいたが、それを抑え込むように、静かな声音だった。

「俺は、あなたが勇者に選ばれたから一緒に戦いたいと思ったのではない。俺が信じたのは、あなたのその言動、あなたという男だった。それは、今も変わらない……。あなたの言葉が真実ならば、俺たちは今、何をなすべきか……」

 ロイドの言葉は、信じていたものへの複雑な感情と、騎士としての彼の責任感が混じり合ったものだった。それは、俺にとって、何よりも重い問いかけだ。

 ベリシアは、その場に座り込んだまま、顔を覆い隠し、小さく、しかしはっきりと呟いた。

「正直、疲れたわ……。全てが悪いほうに動いている。どうしたら良いか……もう、私にはわからない……」

 彼女の声は、心からの疲弊を表していた。常に冷静沈着だった彼女が、ここまで追い詰められているのだ。

「バルドのように、ただ単純に陛下を親愛できれば、どんなに楽だったか……」

 その言葉には、バルドの純粋な忠誠を羨むような響きがあった。彼女の忠誠は、魔王への複雑な義務感と、魔王国への責任感によって成り立っている。迷いなく親愛の情を捧げられるほどの単純なものではないのだ。

 再びセレアリスとロイドに視線を戻す。

「俺が魔王になったことも、勇者としてふるまったことも、俺にとっては、この世界に来てから巻き込まれた、偶然の出来事の積み重ねに過ぎない。だから俺自身、今、この状況で何をすべきか、何を選べば良いのか、たしかな答えは見つからないでいる……」

 その時、バルドの亡骸に寄り添っていたフィーユが、ゆっくりと顔を上げた。その小さな目は、先ほどの悲しみで真っ赤に腫れていたが、その奥には、燃え盛る炎のような強い意志が宿っていた。

「じいちゃん……」

 フィーユの声は、まだ震えていたが、その言葉には、確かな響きがあった。

「ボクは……ボクは、じいちゃんの仇を打つ。ダルヴァンを倒して……ボクが、この獣王族の長となる!」

 フィーユの小さな体に、計り知れないほどの決意が満ちていた。祖父の死が、彼女の中に新たな使命を芽生えさせたのだ。その言葉は、この場にいる全員の心に、静かに、しかし強く響いた。

 そしてエクス=ルミナの声が、俺の脳裏に響く。その声は、以前のような憎まれ口とは違い、どこか複雑な感情を帯びていた。

『お前は、人間でありながら魔王となった。認めたくはないが、勇者でもある。その宿命を、お前自身がどう受け止め、どう進むか、誰にも決めることはできぬ。自分で自身の進む道を決めるがよい』

 エクス=ルミナは、俺の迷いを見透かしたかのように、静かに言葉を続けた。

 聖剣の声は、俺の肩に、新たな決断の重みを乗せる。

『いずれにせよ、我はお前と一蓮托生じゃ。お前が選ぶ道ならば、それがたとえ闇の道であろうと、共に歩むしかないな。聖剣としては屈辱じゃが』

 エクス=ルミナの言葉は、俺の複雑な状況を深く反映していた。俺は、何者なのか。何をすべきなのか。答えは、まだ見つからない。だが、フィーユの目に宿った決意の光と、聖剣の静かなる宣言が、俺の背中を押す。

 やがて、簡単な墓が作られ、バルドをはじめとする獣人たちの魂を弔う準備が整った。セレアリスは、その墓の前に静かに立ち、両手を組み、祈りを捧げた。その横顔は、静かで、どこか厳粛だった。

「私のこの行為が、私の神やあなた達に対しふさわしいか分かりません……」

 彼女の声は、僅かに震えていたが、その言葉には、確かな覚悟が込められていた。

「でも、こうしなければいけないと思うんです」

 セレアリスの祈りが優しく、この要衝に響き渡った。葬送の儀が、静かに執り行われる中、それぞれの人物が抱く複雑な思い、そして彼らのそれぞれの決意を感じ取っていた。俺自身もまた、この複雑な世界の真ん中で、自らの道を見定めなければならないことを、改めて強く認識するのだった。


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