(19)魔王国でも問題発生です
聖剣の岩の前で、セレアリスたちとの話し合いは平行線のまま、一旦解散となった。俺たちを勇者として王都へ連れて行きたいセレアリスと、勇者発生を阻止したことで用済みとなり魔王国へ帰りたい俺たち。どちらも譲れず、話は次回に持ち越しだ。
俺たち三人は、人々の熱狂から少し離れて、村に確保した宿へと戻った。
魔晶喰らいの襲撃で、宿も半壊状態だった。壁には大きな穴が開き、瓦礫が散乱している。とても快適とは言えないが、この状況では仕方ない。
部屋の中も、壁にひびが入り、家具が倒れている。質のいいプライベートな空間のはずだったが、今は吹きさらしになっていた。ここで、改めて三人で今後のことを話し合う必要がある。
「……どうしますか、陛下。王都へ行くか、それとも魔王国へ帰還いたしますか」
ベリシアが、瓦礫の上に座りながら俺に尋ねた。彼女の顔には、旅の疲れと、そして僅かな苛立ちの色が浮かんでいる。無理もない。彼女の目的は、勇者発生を阻止することだった。魔王である俺が聖剣を引き抜くとは思わないだろう。ベリシアとしては、勇者が人間界の中心で力をつける前に、一刻も早く魔王国に戻り、体勢を立て直したいのだろう。
俺自身の気持ちは、半分以上は魔王城に戻りたいと思っていた。ダルヴァンやナクティス、バルドたち、――魔王国がどうなっているのか気になる。魔界のことも、もっと知りたい。しかし、ルミナス聖王都に行きたい気持ちも、僅かだが存在していた。旅の途中で触れた、人間の優しさ。ロイドやセレアリスとの交流。聖剣を引き抜いてしまったことで、人間側の勇者として彼らが俺に何を期待するのか、見てみたいという好奇心も湧いていた。
「……正直、まだ迷ってる。魔王城の様子も気になるし、魔王国に戻るのが一番だろう。でも、ルミナス聖王都ってどんなところなのか、ちょっと見てみたい気もするんだ」
正直に答えた。情けないかもしれないが、それが今の偽りのない気持ちだった。
「私は、陛下が聖剣を引き抜かれた今、これ以上ここにとどまる必要はないと考えます。目的は形を変えましたが、達成されました。一刻も早く魔王国に戻り、今後の対応を協議すべきだと存じます」
ベリシアは、揺るぎない口調で言った。彼女の判断は合理的だ。危険を冒してまで、人間の国の王都に行く必要はない。
「フィーユはどうしたい?」
俺が尋ねると、フィーユは少し悩んだ顔をした後、元気なく答えた。
「うーん、僕、旅を続けたいって気持ちもあるんだけど……陛下に任せる、かな」
フィーユも、俺と同じで旅への興味はあるようだが、バルドやナクティスのことを考えると、魔王国へ帰りたい気持ちもあるのだろう。結局、判断は俺に委ねられた。
魔王国へ帰るか、王都へ行くか。正解が分からないまま、話は平行線のままだった。このまま決めかねていると、セレアリスたちが再び来るかもしれない。
「ただ、陛下。少し気になることが」ベリシアが言った。「念のため持ってきておりました帰還石の法具が反応しません」
「帰還石……? こちらの法具の問題? それとも魔王城か?」
「そこまでは……」
その時、ベリシアがふと、何かを感じて顔を上げる。
素早く部屋の窓辺へと移動し、半壊した窓枠から外を覗き込んだ。
「……魔族」
ベリシアが呟いた、その直後。
ガシャン、と音を立てて、半壊した窓から、誰かが部屋の中に飛び込んできた。
驚いて身構える俺たち三人の目の前に、ボロボロの格好をした一人のメイドが、地面に膝をついた。顔や手足には擦り傷があり、メイド服もところどころ破れている。しかし、その目には強い意志の光が宿っていた。それは、俺たちのよく知るメイドの一人だった。
「カルラ!」
ベリシアが、驚きと安堵がないまぜになった声で名を呼んだ。
「はい、ベリシア様! ご無事で何よりです!」
カルラと呼ばれたメイドは、そのまま地面に膝をついたまま、ハキハキとした声で言った。彼女は戦闘特化の魔人族。新人ながら一撃の威力は隊でもトップクラスだと聞いている。なぜ、こんなところで、しかもこんな姿で?
「急報があり、参じましたっす」
カルラは、息切れしている様子もなく、真っ直ぐに俺たちを見据えた。
「魔王城にて、反乱発生」
カルラの言葉に、俺たちは息を呑んだ。反乱? 魔王城で?
「ダルヴァンとバルドが、魔王城を占拠」
次にカルラが放った言葉に、俺は思わず立ち上がった。ダルヴァンはともかく、バルドが? あの獣王が? 信じられない。
「何を……ナクティスは」
ベリシアが、震えるような声で尋ねた。
「封印なれたご様子っす」
カルラの報告は続く。
「魔王城は現在、ダルヴァン配下の魔導軍団がほぼ占拠しております。抵抗する配下は、都度鎮圧されています」
「獣王軍は……!?」
フィーユが、悲痛な叫び声を上げた。彼女にとって、獣王軍は家族のようなものだ。
「獣王軍は、半数が獣王バルド様と共に、ダルヴァンと行動を共にされています」
カルラの言葉に、フィーユの顔から血の気が引いていく。そんな馬鹿な。
「メイド軍は、ルディア隊長と共に、魔王城より撤退しました。現在、ダルヴァン、バルド混合軍は、国境まで進軍中です」
カルラの報告が終わると、部屋の中に重苦しい沈黙が訪れた。あまりにも衝撃的な内容だった。
「じいちゃんが……じいちゃんが、反乱なんて……嘘だ……」
フィーユが、信じられないといった様子で呟いている。彼女にとって、バルドは敬愛する祖父だ。その祖父が、なぜ?
俺自身も、バルドがダルヴァンと組んで反乱を起こしたという報告に愕然としていた。彼は俺を魔王として一番に認めてくれたはずだ。なぜ、こんな真似を? ダルヴァンに操られているのか? それとも、何か別の理由が?
魔王国が、危機に瀕している。王都へ行くか、魔王国へ帰るか、なんて悠長なことを言っている場合ではない。
「……陛下」
ベリシアが、冷静さを取り戻し、俺を見た。その目に迷いはなかった。
「ともかく、すぐに帰還を。魔王城へ戻り、事態を把握する必要があります」
ベリシアの判断は迅速だった。魔王城が占拠された以上、一刻も早く戻る必要がある。ナクティスが封印され、バルドが敵に回った今、魔王国は大変なことになっているだろう。
王都へ行くか、という迷いは、この急報の前では霞んで消えた。俺が、魔王としてやるべきことは、目の前に突きつけられた。
魔王国からの急報は、聖域エルムでの俺たちの状況を一変させた。
聖剣を引き抜いた勇者として祭り上げられようとしていた俺は、今、反乱に揺れる魔王国の君主として、帰還を迫られていた。
「カルラ、済まないが、先に魔王国へ戻って状況を確認してほしい。特に、ナクティスの封印が解けていないか、バルドが本当にダルヴァンと結託しているのか、その辺りを確認してくれ」
俺が命じると、カルラは傷だらけの体にも関わらず、ビシッと敬礼した。
「はいっ! 了解っす! 全力でやります!」
彼女らしい、まっすぐな返事だ。窓から飛び降りたカルラは、あっという間に闇の中に消えていった。彼女の身体能力なら、人間界の夜道を突破して魔王国へ帰還できるだろう。
「陛下、私たちが戻れば、残軍と合流し、現状を把握できます。バルド様のことは、まだ信じられませんが……」
ベリシアは冷静な口調を保とうとしていたが、その声には明らかな焦りの色が混じっていた。フィーユも不安げな顔で、バルドの名を小さく呟いている。
バルドが反乱……俺も信じられないが、カルラが嘘をつくはずがない。一体何が起きたんだ?
バルドは何らかの陰謀に巻き込まれている可能性が高い。ナクティスが封印されたことも気がかりだ。彼らは俺を信じてくれた、ある意味恩人だ。