(17)予定外なのですが、どうしましょう
魔晶喰らいが消滅すると、それまで村を覆っていた破壊の喧騒が、一瞬にして静寂に変わった。悲鳴も、怒号も、魔法の炸裂音も止んだ。ただ、破壊された家屋から立ち上る土埃と、呻き声だけが、先ほどの激戦を物語っていた。
周囲の誰もが、呆然としていた。逃げ惑っていた村人たち、倒れ伏していた騎士や冒険者たち。彼らは、信じられないものを見たという驚愕の表情で、同じ一点を見つめている。
――聖剣エクス=ルミナを手に、立ち尽くす俺に。
しかし、その驚愕は、すぐに別の感情へと変わっていった。困惑の色が薄れ、そこに宿り始めたのは、希望と畏敬の念だ。
「……勇者……?」
誰かが、掠れた声で呟いた。その声に呼応し、ざわめきが広がる。
「勇者だ……! 聖剣を、引き抜いた!」
「勇者様! 我々を救ってくださった!」
声が、次第に大きくなっていく。倒れていた騎士や冒険者も、這い起きるようにしてこちらを見ている。彼らの瞳に宿るのは、疑念ではなく、確信だ。聖剣を引き抜いた者が勇者。この理は、この世界では絶対なのだ。
ベリシアとフィーユも、俺から目を離せずにいる。ベリシアは、いつもの冷静な表情が完全に崩れ去り、呆然と俺を見ている。その瞳には、「なぜ陛下が聖剣を?」という、困惑の色が複雑に混じり合っている。フィーユは、目を丸くして、口をパクパクさせている。
人混みを掻き分けて、二つの人影が俺の元へ駆け寄ってきた。
ロイドと、セレアリスだ。
彼らもまた、驚きと、どこか感動したような表情を浮かべている。
ロイドが俺の目の前まで来ると、足を止め、息を整えた。俺の顔をじっと見つめ、そして騎士として――勇者候補として、最大限の敬意をもって、俺に向けて深々と頭を下げた。
「アイザワ殿! 村を、人々を救ってくださり、誠にありがとうございます! 聖剣に選ばれし勇者としての誕生、心よりお祝い申し上げます!」
ロイドの声は、興奮と純粋な喜びを含んでいた。彼は勇者候補だった。聖剣に選ばれることを目指していたはずだ。その夢が叶わずとも、彼は俺を祝福してくれた。
セレアリスも、ロイドの傍らで、その場に相応しい優雅な礼をとった。彼女の瞳は驚きから一転して、温かい光を宿している。聖王女としての気品と、聖女としての慈愛が、その佇まいから溢れ出ている。
「アイザワさん……聖剣が貴方様を選ばれたのですね。人々に光をもたらす新たな勇者として、心より感謝申し上げます」
彼女の声は、清らかで、聞く者の心を安らげる響きがあった。
ロイドは、顔を上げ、俺の目を見て言った。
「自分では選ばれなかったが残念だが、、アイザワ殿ならば心から祝福できる!」
それは、本心からの言葉だと聞こえた。彼自身の夢破れた悔しさもあるだろうが、それを上回る、この危機を救った俺への感謝と、聖剣に選ばれたことへの祝福。彼らが見せた、偽りのない感情。
俺は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。手の中には、聖剣エクス=ルミナが握られている。体内に満ちる、聖魔反転した聖なる力。周囲からは、「勇者様!」「勇者様!」という声が上がっている。ロイドとセレアリスが、俺を勇者として祝福してくれている。
なんでだ……?
頭の中は混乱していた。勇者しか引き抜けない聖剣を、魔王である俺が引き抜いた。――勇者として、この世界の希望として、迎え入れられている。俺が、勇者? 俺は魔王だぞ。
自分が何者なのか、また分からなくなった。人間だった頃の記憶。魔王としての力。聖なる力を制御し、聖剣を引き抜いてしまったこの現実。そのうえで勇者として祝福される、この状況。全てが、あまりにも乖離している。
俺の手の中にある聖剣エクス=ルミナが、震えていた。
『おいおい、よりにもよって魔王じゃと。我は魔王に引き抜かれたのか!』
頭の中にエクス=ルミナの怒号が聞こえる。
『元に戻せ! やり直しを要求する!』
うるさい。俺も混乱してるんだ。
沈黙は終わり、歓声と祝福の声が上がり始めている。村の騒ぎは、新たな勇者誕生の歓喜へと変わった。人々は、俺に希望を見出している。
気づくと聖剣を手に、ロイドとセレアリス、歓喜する村人たちの中心に立っていた。
魔王として、あるいは相沢直人として、俺の物語は、全く予想外の方向へ動き出した。この一瞬が、世界の歴史を変えることになるだろう。俺は、自分がこれからどうなってしまうのか、全く分からなかった。