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(16)思わず手に取ってしまいました

 村はパニック状態だ。駐屯の騎士団や他の冒険者たちが、必死に人々を逃がし、魔晶喰らいを食い止めようとしている。しかし、彼らの攻撃はほとんど効果がなく、ただ怪我人や死者を増やしているのみだ。悲鳴、怒号、魔法の炸裂音、建物の崩れる音。あらゆる音が混ざり合い、地獄絵図を作り出している。

 俺たちと、ロイド、セレアリスの五人だけが、魔晶喰らいの猛攻に抗い続けていた。だが、魔封の指輪で力が制限されている俺とベリシアは、決定打を与えられない。

「くっ……これほどとは……」

 ベリシアが、苦渋の表情を浮かべる。この魔物の異常な力と、それがこの場所で現れたという事実に、動揺を隠せないようだ。

 徐々に、俺たちは魔晶喰らいに押し崩され、後退させられていく。村の入り口から中心部へ。このままでは、聖剣の岩の方まで追い詰められてしまう。

「魔物の狙いは聖剣だ! 阻止しろ!」

 聖剣の岩周辺を守っていた騎士団長らしき人物が、切羽詰まった声で叫んでいる。魔晶喰らいは、聖剣の岩から放たれる聖なるエネルギーを吸収しようとしているのか? あるいは、聖剣そのものを破壊するつもりか? どちらにしても、最悪の事態だ。

「アイザワ! ともに戦ってくれるて心強い。すまんが、力を貸してくれ」

 ロイドが、魔晶喰らいの攻撃を避けながら、俺に声をかけてきた。彼の顔は汗と煤で汚れ、疲労の色が濃いが、その瞳には騎士らしい不屈の光が宿っている。目の前の危機から人々を守ろうと必死だ。

「当たり前だ!」

 短く応じた。俺たちも、彼らの、特にセレアリスの癒やしと、ロイドの果敢な戦いには助けられている。彼らもまた、並の人間ではない。旅の途中で見えた人の良さと、今の戦いで見せる強さ。そのギャップに、改めて驚く。

 しかし、それだけでは、このおぞましい魔物を止められない。魔晶喰らいの力は増していく一方だ。村人たちを必死に逃がしながら戦うが、犠牲者は増え続けている。

「陛下、ちょっとヤバイかも」

 フィーユが、かすれた声で言った。その顔色は、珍しく焦りを帯びている。彼女も、この状況の絶望感を肌で感じているのだろう。

「陛下、潮時かと存じます!」

 ベリシアが、冷静ながらも切羽詰まった口調で進言した。宰相ベリシアとしての判断だ。このまま戦っても、犠牲が増えるだけ。一度退いて、態勢を立て直すべきだと。

 だが、俺は首を横に振った。退けるものか。

「ベリシア、お前の魔王は、負け戦になると逃げだす魔王か!」

 それは魔王として、いや、それよりも後悔したくないという俺自身の意志だった。ここで逃げたら、目の前の人々はどうなる? この魔晶喰らいが聖剣に到達したら? ダメだ。逃げるわけにはいかない。俺の目的は、勇者選別を見届け、あわよくば妨害すること。無益な争いを避けたい。そのためには、魔晶喰らいを、ここで止めなければならない。

「はあああっ!」

 叫び、魔晶喰らいの巨大な触手に斬りかかった。魔封の指輪で力が制限されているが、魔王の体と、訓練で培った力を全てぶつける。しかし、奴は吸収したエネルギーで触手を瞬時に硬化させ、俺の攻撃を弾いた。さらに、反撃の触手が鞭が如くしなり、俺の体を襲う。

 回避しきれず、凄まじい衝撃と共に吹き飛ばされた。地面を転がり、瓦礫にぶつかる。全身に激痛が走る。手から剣が滑り落ちた。

 視界が歪む中で、近くに何かが突き立っているのが見えた。それは、戦場の喧騒の中で、不釣り合いなほど、清らかに、力強く光を放っている。聖剣の岩。そして、突き立つ聖剣、エクス=ルミナ。

 逃げ惑う人々、倒れ伏す騎士たち。魔晶喰らいの触手が、ベリシアに迫るのが見えた。彼女は魔封の指輪で力が制限されており、回避が遅い! ベリシア!

 考えるより早く、本能が体を動かした。無理やり立ち上がり、フラつきながら聖剣の岩へと駆け登り、そこに突き立つ聖剣の柄に手を掛けた。

 その瞬間――。

 まるで灼熱の杭を打ち込まれたような凄まじい激痛が、柄から俺の体へと流れ込んだ。それは、ただの痛みではない。純粋な光のエネルギーが、魔族である俺の存在そのものを否定し、内側から破壊しようとしている。全身が燃え上がるように熱く、骨の髄まで軋むような苦痛が走る。

『魔物ごときが、我に触れられると思うな』

 頭の中に、直接、威圧的な声が響いてきた。それは、聖剣エクス・ルミナの声だった。――聖剣が喋ったのか? 俺は驚きと激痛に戸惑う。

 それでも、聖剣の柄から手を離さなかった。この激痛に耐えなければ、ベリシアを、人々を助けられるかもしれない。ここで手を離せば、全てが終わる。俺は、また後悔することになる。

『馬鹿な、なぜ離さない! その身は魔に染まっているはず! おのが命、失うぞ!』

 聖剣の声が、驚愕と苛立ちを露わにして響く。電流の勢いが増し、全身が眩い光の粒子に分解されそうだ。意識が遠のきかけていた。

 魔晶喰らいの触手が、ベリシアのすぐ傍まで迫っているのが見えた。彼女が、歯を食いしばってそれに抗おうとしている。ベリシア……!

 ――死ぬか、ここで全てを賭けるか。

「生憎と、後悔が嫌いなんだ」

 俺は、聖剣の声に、それに自分自身に言い聞かせるように、そう呟いた。全身を駆け巡る激痛の中で、俺の脳裏に、前の世界の記憶がいくつも蘇った。

 ディスプレイに映し出された、無数の線が絡み合う回路図。信号の流れ、電圧、電流、抵抗、キャパシタ……。大学で学び、会社で死ぬほど設計した、電気信号の制御技術。正負反転回路、チャージポンプ、制御IC。ああ、そうだ。こちとら、徹夜でどれだけ設計したか! 電気の挙動なら、体の隅々まで染み付いている!

 ――聖なる力を、制御する。

 朦朧とする意識の中、魔王の体の魔力回路と、技術者だった頃の知識、聖剣から流れ込む膨大な光のエネルギーを、無理矢理繋ぎ合わせた。聖剣から流れ込む、破壊しようとしてくる凄まじい光の電流。それを、ただ受け流すのではなく、その流れを読み取り、制御し、性質を反転させる。プラスをマイナスに。正を邪に。それは、正に聖魔反転魔術。理論は、過去の知識と、今の魔族としての直感、加えて聖剣の構造解析から導き出された。

「うおおおおおおおっ!」

 全身に走る激痛が、ベクトルの違う力へと変わった。聖剣から流れ込んでくる光の電流が、嘘のように弱まり、代わりに、温かく、しかし底知れない力が体内に流れ込んでくる。魔王の体と、聖剣の力が、高次元で融合していくような、とてつもなく奇妙だが、強力な感覚だ。俺の体表から、微かな闇色のオーラと、聖剣の光が混じり合った、新たな輝きが放たれる。聖剣の輝きが、俺の体へと吸い込まれていく。

『なっ……馬鹿な!? 我の力が、この魔に!?』

 聖剣の声が、驚愕に変わる。

『おい、おいおい、なんだ貴様!? お前、なぜ我を引き抜ける!』

 聖剣に拒絶されず、力を与えられた。必死に心を落ち着かせ、その力を制御した。他の勇者候補ですら成し得なかったこと。聖剣エクス=ルミナが、岩に深々と突き刺さっていた拘束から解き放たれ、抵抗なく、すっと俺の手の中に収まったのだ。柄に刻まれた紋様が、俺の手に馴染む。

 聖剣エクス=ルミナを抜き放ち、俺は魔晶喰らいに向き直った。体内に満ちる、聖剣から得た力。それは、魔王の力とは違う、清らかで、しかし底知れない強さだった。聖剣は、俺という『魔』を得て、新たな光を放っている。

 魔晶喰らいの触手が、ベリシアに到達しようとしていた。

 「邪魔だぁぁぁぁああっ!」

 駆け出し、叫び、聖剣エクス=ルミナを魔晶喰らいに振り上げた。聖剣から放たれる、聖魔の力が融合した光が、魔晶喰らいのおぞましい体を両断する。吸収も、硬化も、再生も意味がない。聖なる力と魔なる力を同時に浴びた結晶体が、悲鳴を上げる間もなく、崩れ去っていく。

 勝敗は、一瞬で決した。

 聖剣エクス=ルミナを手に、俺は立ち尽くしていた。周囲の喧騒が、嘘のように静まる。人々は、呆然とした表情で俺と、崩れ去る魔晶喰らいの残骸を見つめている。

 勇者しか引き抜けないはずの聖剣を、魔王である俺が引き抜いてしまった。

 そして、聖剣の村の危機を救ってしまった。

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