(15)騒ぎが起きました
俺たちは、その様子を少し離れた場所から見守ることしかできなかった。聖剣の岩から放たれる神聖な輝きの下で、勇者選別という世界の歯車が、着実に動き出している。そして、その中心に、セレアリスらが立っている。
「グランフォード卿。早速ですが、選別に挑戦なされますか?」
司祭の言葉に、ロイドは緊張した面持ちで――少しためらいーー「はい」と答えた。
セレアリスも、一度ロイドに笑顔を向けたが、すぐに緊張した顔に戻った。
一団とロイドが準備を整え始めた、
その時だった。
村の向こう、入り口の方角から、突如として大きな騒ぎが聞こえてきた。悲鳴や、建物の壊れるような音。
「なんだ!?」
周囲の見物人や騎士たちが、一斉にそちらに視線を向けた。聖剣の岩の前で話し合っていたセレアリスたちも、驚いて顔を上げる。
ロイドは準備を取りやめ、自分の身でセレアリスをかばいながら物陰に移動した。
騒ぎは、みるみるうちに激しくなっていった。悲鳴、怒号、建物の崩れる音。ただ事ではない。
「様子を見に行くぞ!」
反射的に叫び、騒ぎの方へ駆け出した。ベリシアとフィーユも無言で後に続く。周囲の人々が四方へ向かって慌ただしく移動し始めている。パニックが始まっているのだ。
村の中心部から、入り口へと向かうと惨状が露わになった。家屋が破壊され、地面には瓦礫が散乱している。人々が泣き叫びながら逃げ惑っている。その中には血に濡れた村人や、倒れ伏した騎士や冒険者の姿が見えた。
村の北側、メインストリートらしき場所で、それは暴れていた。
巨大で、おぞましい異形。不定形な結晶質の身体から、魔力が脈打ち明滅している。歪んだ体表には、複数の触手や、本来ではあるまじき四肢のようなものがのようなものが蠢いている。見る者すべてに生理的な嫌悪感を抱かせる、不気味な存在。
並の冒険者や、村に駐屯している騎士団が、必死に応戦している。剣を振り、魔法を放ち、弓を射かける。怒号が飛び交い、魔法の閃光が夜空を照らす。しかし、彼らの攻撃は、結晶質の体にほとんど通じない。剣は弾かれ、魔法は体表で吸収されてしまう。攻撃されるたびに、魔物の体表の結晶が硬質化し、さらに頑丈になっていくように見える。
「くそっ、剣が通じねぇ!」
「魔法が効かないだと!?」
「回復魔法が吸われる!?」
絶望的な叫び声が上がる。並の戦闘員では、相手にならない。文字通り、刃が立たない。無差別に触手を振り回し、周囲を破壊していく。逃げ遅れた村人が、次々とその犠牲になっていく。怪我人や死者が、無情にも増えていく。
俺たちは、その惨状を目の当たりにした。
「魔晶喰らい……まさか、こんなところに現れるはずがない」
ベリシアが、信じられないといった口調で呟いた。魔晶喰らいは、野生の魔物ではない。自分はあずかり知らない、とベリシアは言った。
分からないにしても、この状況を見過ごすわけにはいかない。目の前で、人々が殺されているのだ。
「ベリシア、迎え撃つぞ!」
魔封の指輪で力が制限されているが、魔王の体と、訓練で培った力がある。ベリシアもフィーユもいる。聖剣の岩の方から、こちらへ向かってくる人影が見えた。ロイドと、セレアリスだ。彼らもまた、この騒ぎを聞いて駆けつけたのだろう。
「これは好都合とも……!」
ベリシアが呟いた。聖剣の村を魔物が蹂躙するに任せれば、確かに勇者選別は遅れるか無くなるかもしれない。
しかし、こんな、一般人も巻き込んで!
「これは俺が望む方法じゃない!」
ベリシアの言葉を遮った。こんな惨状を前にして、計算ずくで動く気にはなれない。目の前で苦しんでいる人たちがいる。助けたい。それだけだ。
「フィーユ!」
俺が名を呼ぶと、フィーユが力強く応じた。
「はいッ!」
彼女も、この惨状を見て戦うことを決めたようだ。
駆けつけたロイドが、セレアリスを庇うために前に出た。彼の顔には、状況に対する驚きと、決意の色が浮かんでいる。
「セレアリス様、危険です。退避をっ! ここは私が食い止めます!」
ロイドが、セレアリスに退避を促す。彼はセレアリスを何としてでも守るつもりだ。彼の正体は、勇者候補であり、何より、聖王女を守る騎士なのだ。
セレアリスは、ロイドの言葉を聞き、魔晶喰らいと逃げ惑う人々を見つめ、決意した表情で静かに首を横に振った。
「いいえ。この時、この場所にいるなら、これは私の戦いです!」
聖王女として、この危機に立ち向かう覚悟を決めたのだ。
そして俺たち三人と、ロイド、セレアリスの二人は、他の騎士や冒険者たちと共に、魔晶喰らいに立ち向かうべく、戦線に加わった。
「迎え撃つぞ!」
叫び、魔晶喰らいへと斬り込んだ。魔封の指輪で力が制限されている。感覚としては、前の世界の、鍛えられた格闘家程度の力だろうか。それでも、並の人間よりは遥かに強い。
「陛下、危険です!」
ベリシアが、吸収されないよう範囲を絞った魔法で、魔晶喰らいの動きを鈍らせようとする。だが、それすらも魔晶喰らいの体表の結晶に吸収されていく。
「にゃー!」
フィーユが、その素早さを活かして魔晶喰らいの側面に回り込み、二刀の魔剣「疾風」「迅雷」で攻撃する。しかし、魔晶喰らいが体を硬化させると、フィーユの攻撃も弾かれてしまう。
「くっ……硬い!」
ロイドの剣が、魔晶喰らいの体表に火花を散らすが、傷をつけるには至らない。魔晶喰らいは、吸収したエネルギーを使って体を硬化させている。剣や魔法、あらゆる攻撃が、奴を強くしているかのようだ。
「皆さん、怪我の手当を!」
セレアリスが、逃げ遅れた人々や、倒れた騎士たちの手当をしている。しかし、彼女の聖なる癒やしの光も、魔晶喰らいの体表の結晶に吸い込まれる。魔晶喰らいが、一層強く輝き、体を硬化させる。神聖魔法まで吸収するのか!?
魔晶喰らいは、吸収したエネルギーを使い、触手や結晶を歪に再生・変形させ、攻撃を仕掛けてくる。エネルギーを放出すると、衝撃波が発生し、周囲の冒険者たちが吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
衝撃波を避け、倒れそうになった冒険者を支える。この魔晶喰らいという魔物は、桁違いに強い。並の攻撃は通じない上に、こちらの回復や魔法すら奴の力になる。魔封の指輪で力が制限されている俺とベリシアは、特に苦戦していた。俺は体術と剣技で、ベリシアは吸収されにくい物理的な干渉を伴う魔法で応戦するが、決定打を与えられない。
フィーユは素早さを活かして魔晶喰らいの注意を引きつけ、ロイドは果敢に弱点を探して攻撃を試みるが、魔晶喰らいの硬化と再生能力の前になかなか突破口が開けない。セレアリスは、吸収されないように注意しながら、逃げ遅れた人々を避難させ、安全な場所から最小限の癒やしを行おうとする。
人々を守りながらの戦闘は、さらに難易度を上げていた。魔晶喰らいは無差別に攻撃してくるため、回避に専念することもできない。一歩間違えれば、すぐに犠牲者が出る。
苦戦は続く。魔晶喰らいの体表の結晶が、嘲笑うかのように妖しく輝いている。俺たち五人の力を合わせても、このおぞましい魔物を完全に抑え込むことはできない。時間稼ぎにしかなっていない。このままでは、犠牲者が増えるだけだ。
「くそっ、堅すぎる!」
ロイドが渾身の剣撃を叩き込むが、魔晶喰らいの体表には浅い傷すらつかない。火花が散る音だけが虚しく響く。
「回復魔法が吸われてます! これじゃけが人を助けられない!」
セレアリスの悲痛な叫び声が響く。彼女は安全な場所から癒やしを行おうとするが、魔晶喰らいの吸収範囲は広く、たしかな効果を発揮できない。
「にゃー! 硬いよう!」
フィーユが素早い動きで翻弄するが、決定打を与えられない。魔晶喰らいは、吸収したエネルギーを使い、触手や結晶を歪に再生させ、攻撃を仕掛けてくる。エネルギーを放出すると、衝撃波が発生し、周囲の冒険者たちが吹き飛ばされる。