(14)二人の正体がわかりました
村の中心にある聖剣の岩を目指し、再び外に出た。
村の中は、日中よりもさらに人が増え、熱気が高まっていた。聖剣の岩に近づくにつれて、村の雰囲気も変わっていく。入り口付近の賑やかさから、次第に厳粛で、どこか張り詰めた空気が強まるのを感じる。
人々の表情は真剣になり、鎧を着た騎士や、神官などが多く見られはじめた。彼らは村の中心部へと向かう道を固めており、その警戒ぶりは、ここがただの村ではないことを示している。
人混みをかきわけ進んでいくと、少しずつ視界が開け、一段高くなった場所が現れた。そこが、目的の「聖剣の岩」だ。周囲には多くの見物人や関係者が集まっており、皆が同じ一点を見つめている。
俺は見た。
村の中心に鎮座する、人の丈の倍ほどの巨大な自然石。長い年月を経たのだろう、どこか荘厳な雰囲気を持つその岩の頂に、一本の剣が突き立っていた。柄の部分からは神々しい光が放たれ、見る者の目を奪う。
あれが、聖剣エクス=ルミナ。勇者が持つという、伝説の剣だ。
聖剣の岩の周囲は、清められた空間になっているようで、数名の神官らしき人物が静かに祈りを捧げている。その外側には、武装した騎士たちが立ち並び、周囲を厳重に警戒している。
俺たちは、他の見物人たちと同じように、少し離れた場所から聖剣の岩と聖剣を静かに見つめた。間近で見る聖剣の輝きは、想像以上に強く、その場にいるだけで心が洗われるような、不思議な感覚に包まれる。これが、聖なる力……。
聖剣の岩の側面には、木や縄で作られた簡素な足場が組まれていた。その足場を使って、何人かの冒険者らしき人物が、岩の頂上まで登っているのが見えた。彼らの目的は一つ。聖剣を引き抜くことだ。
聖剣に選ばれた人間でなければ、どれだけ力があろうと、この岩から剣を引き抜くことはできない。
そう。この聖剣エクス=ルミナを岩から引き抜いた者こそが、新たな勇者となる。
それが、この聖剣――勇者の選別らしい。
俺が聖剣を見ている間にも、一人の男が岩の頂上に到達し、聖剣の柄に手をかけた。見物人たちの視線が一斉に彼に集まる。男は力を込めて聖剣を引き抜こうとするが、剣は微動だにしない。やがて、男はがっくりと肩を落とし、諦めて岩を下り始めた。その様子を見て、見物人たちの間からため息や、残念がる声が漏れる。また失敗か……。
おそらく、聖剣としても、まだ機は熟していないだろうが、挑戦する人は絶えない。
聖剣の岩の麓には、先に挑戦して失敗したのだろう、疲労困憊した様子の冒険者たちが座り込んでいる。中には、岩から落ちたのか、怪我をしている者もいる。聖剣に選ばれることの特別さを物語っていた。すでに何人もの挑戦者が現れては、聖剣に拒絶されたのだろう。
魔王として、勇者が現れる原因そのものである聖剣を、俺は今、この目で初めて目の当たりにしていた。その神聖な輝き、そこから放たれる強大な力。周囲に漂う、勇者誕生への期待と、挑戦者たちの焦燥、選別という運命を見守る緊張感。この聖剣選別は、単なる儀式ではない。魔王と勇者の戦いへと続く、世界の命運をかけた出来事なのだ。
これが、勇者を生み出す仕組み……
複雑な思いが胸に去来する。勇者は、いずれ魔王である俺と戦う相手だ。その誕生を、俺は妨害しに来た。しかし、目の前の聖剣は、見る者を圧倒するほど神聖で、そこから放たれる力は、どこか清らかで温かい気配すら感じさせる。こんな聖なる力で選ばれた勇者と、俺は本当に戦うのだろうか。戦わなければならないのだろうか。
もし、俺に、聖剣を引き抜ける資格があったなら……なんてな
一瞬、そんな馬鹿げた考えが頭をよぎった。魔王である俺に、聖剣が選ばれるわけがない。そもそも、俺は勇者になりたいわけじゃない。ただ、後悔しないために、やれることをしたいだけだ。勇者選別を妨害する、あるいは見届ける。それが、今の俺にできる、俺の目的だ。
決意を新たに、聖剣を見つめ続けた。
隣では、ベリシアが冷静に聖剣周辺の状況を観察していた。
彼女の瞳は、セキュリティの厳重さ、挑戦者たちの動き、聖剣から放たれるエネルギーの性質を分析しているかのようだ。
彼女は、この聖域で何が起きるのかを正確に見極めようとしている。
フィーユは、目を丸くして聖剣の輝きを見つめている。
「わー……綺麗……」
その神聖な輝きに圧倒されているようだ。
俺たち三人は、しばらくその場に集まる他の人々と同じく、静かに聖剣の岩と聖剣を見つめた。
偵察の第一段階は完了した。聖剣の存在、勇者選別が始まっていること、――そこから漂う張り詰めた空気。全てを肌で感じ取ることができた。
聖剣の岩から放たれる輝きは、聖域エルムの空気を震わせていた。
聖剣から目を離せずにいた。
その時、見物人たちの間に、ざわめきが広がった。視線が、村の中心部から聖剣の岩へと続く参道の方に向けられる。何事かと思い、俺もそちらに目をやった。
現れたのは、明らかに周囲とは格の違う一団だった。豪華なローブを着た聖職者や文官らしき人々。道にいた人たちは、彼らのために道を譲っていた。
きらびやかな装飾を施された鎧を纏った騎士たちの厚い警護に囲まれて、こちらへ近づいてくる。
その仰々しい雰囲気は、見る者に彼らがただの冒険者や一般の旅人ではないことを明確に示していた。
なんだ? 偉い人でも来たのか?
そんなことを思っていると、その一団の中央に、見慣れた顔があることに気づいた。優しげな光の魔法を使う女性と、爽やかな顔立ちの剣士。
ロイドと、セレアだ。
彼らは、あの後村には入らず、外で野営することにしたはずだ。王国関係者と関わり合いになりたくないと言って、俺たちと別れたはずなのに。なぜ、こんな、見るからに王国の「偉い人」たちに囲まれて、ここに?
――その瞬間、俺の頭の中で、全ての点が線で繋がった。ロイドが、俺たちのことを警戒していた理由。セレアの桁外れに強力で、神聖な魔法。ロイドの、冒険者には見えない騎士のごとき立ち居振る舞い。彼らが王国関係者を避けて外で野営したこと。あれは、王国関係者「に」見つからないためじゃなく、王国関係者「として」、身を隠すためだったんだ。
彼らは、王国辺境から来た冒険者なんかじゃない。
ロイドは、勇者候補の中でも特に有力な、この国の騎士か何かだ。そして、セレアは……。
豪華な聖職者のローブ、周囲の恭しい態度、そのうえ彼女自身から溢れ出るような清らかさ。間違いない。
教会……王国でもかなり高位。
旅の途中で出会った、人の良い冒険者だと思っていた二人の、あまりにもかけ離れた正体に、驚きを隠せなかった。ベリシアとフィーユも、俺と同じく彼らに気づいたようで、驚きに固まっている。
一団が俺たちのすぐ傍らを通り過ぎようとした時、ロイドとセレアの二人が、俺たちの存在に気づいたようだった。彼らの視線が、一瞬、俺たち三人に向けられる。ロイドは、少しだけ苦笑するように見えたが、すぐに表情を引き締めた。セレアは、僅かにいたずらが見つかって困った表情浮かべた後、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
言葉は交わされない。ただ、彼らは俺たちに向けて、静かに、しかし確かに、目礼をした。頭を深々と下げるわけではない。ただ、瞳の動きと、ごく僅かな顔の角度で、「ここで会いましたね」「しかし、今は話せません」という意思が見えた。それは、旅の途中で見せた親しみやすさとは全く違う、高貴な、どこか寂しさを帯びた仕草だった。俺たちも、咄嗟に目礼で応じることしかできなかった。
二人は、俺たちの横を通り過ぎ、そのまま一団と共に聖剣の岩の前へと進んでいく。周囲の見物人たちは、彼らの正体に気づいているのか、道を開けて恭しい態度で見守っている。
「聖王女セレアリス=フォン=ルミナス殿下と騎士ロイド=グランフォード卿だ。聖剣の視察に参られた」
一団の先導が、声を発した。
セレア……セレアリス? 聖王女? おいおい。想像よりはるかに偉い人だ。
ロイドも騎士だって?
今までの態度、失礼なかったのか……と脳裏をよぎったが、その自分も魔王であったと思い出した。
一団が聖剣の岩の前に到着すると、周囲の騎士や神官たちが一斉に跪いた。
セレアリスが、付き添いの神官から何か話を聞いている。神官は、聖剣の岩と聖剣を指差しながら、真剣な顔で説明している。勇者選別の状況や、聖剣の反応について話しているのだろう。
話を聞き終えたセレアリスは、静かに聖剣エクス=ルミナへと向き直った。おごそかに白い手を聖剣にかざし、小さな声で呪文を唱え始めた。光の魔法使いとして見た、あの神聖な魔法だ。
セレアリスの魔法に応えるように、聖剣エクス=ルミナが、わずかに強く輝いた。しかし、その輝きはすぐに収まり、元の明るさに戻ってしまう。
魔法を終えたセレアリスは、付きの神官やロイドに向き直り、穏やかな声で報告した。
「お話通り、あと数日以内で聖剣は勇者を選ぶでしょう」
ロイドは真剣な顔で頷いている。彼も、聖剣に選ばれる可能性のある一人なのだろう。ロイドや周囲の有力者や騎士、冒険者たちが、皆、聖剣に挑戦するためにここに集まっているのだ。
セレアリスがロイドや神官たちと、今後の選別について話し合っている。聖王女として、勇者を選び出す重要な儀式に関わっているのだろう。彼らの姿は、数日前まで共に旅をしていた「人の良い冒険者」とは全く違う、国の命運を背負った者たちの姿だった。