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(37) 二つの国を結ぶ希望の証

 世界樹のたもとには、朝の柔らかな光が降り注いでいた。イグラン=エレオスの空気は清々しく、昨日の激戦の痕跡は、もうほとんど感じられない。

 今日、俺たちは魔王国へ戻る。ミルザ、リィゼル、カルナス、ミルティが見送りに来てくれていた。

 ミルザは、あのくたびれた黒猫のぬいぐるみ――グリセルダを、大切そうに抱きしめている。その小さな顔には、もう陰りはなく、穏やかな笑みが浮かんでいた。

「ミルザ。本当に、あのときのままで……」

「ベリシアは、少しだけ大きくなったね!」

 ミルザがそう言うと、ベリシアはやや戸惑った表情を見せたが、すぐに微笑んで頷いた。

「はい」

「わたしね、グリセルダと一緒に、またベリシアと会う日をずっと待ってたの。本当に会えてうれしい」

「わたしも、種を大事に育てて……芽が出た時は、本当にうれしかったです」

「私もうれしい! ――ねえ、ベリシア。また会いに来てくれる?」

「ええ。約束です。また、遠くない日に会いに来ます」

 ベリシアは、定期的に世界樹を訪れるとミルザに約束した。ミルザは目を輝かせながら、「うん! 楽しみに待ってる!」と声を弾ませた。

 その様子を、リィゼル、カルナス、ミルティが温かい眼差しで見守っている。リィゼルが少し照れたような、けれど真剣な表情で口を開いた。

「ミルザ様。これからは、私たちも貴女のお友達にさせてください」

「私も、ずっと貴女とお話ししてみたかったのです」

 ミルティが柔らかな笑みを添えて続ける。カルナスも、いつもの厳めしさを和らげ、静かに頷いていた。

 ミルザは、三人の顔を驚いたように見つめたあと、満面の笑みを浮かべて「うん! ありがとう!」と応えた。その笑顔はまるで太陽のようで、見ているこちらの心まで温かくなる。

 ベリシアとミルザは改めて再会を約束し、そっと抱きしめ合った。言葉にしなくても、二人の間には確かな絆が通い合っている。

 その光景を、ラズと共に静かに見守っていた。

 別れの時が近づき、リィゼルに声をかけた。

「近いうちに、担当の者を派遣して黒エルフたちを迎えに来る。準備をお願いできるか?」

「はい、魔王陛下。承知いたしました。それまでの彼らのための住居や、生活についても手配しております」

 リィゼルの表情は真剣そのものだった。黒エルフたちの行く末を、心から案じているのが伝わってくる。

「どうか、彼らのことをよろしくお願いします。我々エルフには、彼らに何かを言える立場ではありませんが、彼らは――被害者なのですから」

 その言葉には痛切な響きがあった。長年の対立を経て、彼女もまた、黒エルフの苦難に心を寄せていたのだろう。

 カルナスが進み出て、深々と頭を下げた。

「魔王ゼルヴァ=レグナス=ノクス陛下。――改めて深く御礼申し上げます。そして……当初の、陛下と魔王国への無礼を、深く恥じております。陛下と魔王国が成されたこと、それは本当に素晴らしいものでした。我々イグラン=エレオスの民は、この恩義を決して忘れません」

 飾り気のないその言葉に、彼の真摯な心が込められていた。手を差し出すと、カルナスも力強く応えてくれる。

「カルナス。気にするな。互いを理解するには時間がかかる。それでも、俺は――今日、俺たちの間に友情が芽生えたと信じている」

 そう言うと、彼の無骨な顔にも、わずかな笑みが浮かんだ。

 出発の時刻が迫る。ラズが空へ指を鳴らすと、雲を割って巨大な翼を持つワイバーンが舞い降りてきた。その迫力に、ミルザは目を丸くしている。

「さあ、行こうか」

 ベリシアとラズに声をかけ、ワイバーンの背に飛び乗った。地上では、ミルザ、リィゼル、カルナス、ミルティが手を振ってくれている。手を振り返すと、ワイバーンが力強く地を蹴り、魔王城へと飛び立った。

 巨大な世界樹を背に、地平を目指して進む。

 風を切る音を耳にしながら、隣に飛ぶベリシアへと問いかけた。

「なあ、ミルザともっと話したかったんじゃないか? 少しくらいの間なら一人で残ってもよかったのに」

 彼女は、空に広がる景色を穏やかな表情で見つめながら、首を横に振った。

「いいえ、陛下。私たちには、これから長い時間がありますから。それに……わたくしがここに残っては、陛下にたまったお仕事をしてもらえませんもの」

 いつものように、でも、少しからかうような口ぶりだった。

 その紫紺のまなざしには、深い信頼と、ほんのわずかな寂しさが宿っているようにも見えた。

 ラズも笑っている。

 イグラン=エレオスと魔王国ゾルディアの道程は、来た時よりも近く感じた。


 そして、魔王国に戻ってから――。

 相変わらず仕事は山のように積み重なり、書類に埋もれる毎日が続いている。

 そんなある日、ベリシアの部屋の前を通りかかった。ドアはわずかに開いており、中から微かな音が聞こえてくる。

 何気なく覗くと、小さな植木鉢に丁寧に水を注ぐベリシアの姿があった。その鉢には、小さな緑の芽が、力強くまっすぐに伸びている。

 ――あれは、ベリシアが大切にしている、世界樹の芽。

 彼女は、その芽にそっと微笑みかけていた。友達を見つめるような、やわらかな眼差しで。

 普段の彼女からは想像もつかないほど、柔らかなその表情に、心がじんわりと温まった。

 魔王城の一室に宿る世界樹の苗。

 それは、イグラン=エレオスとゾルディアの僅かな者しか知らない最高機密。

 二国の間にに生まれた、絆の象徴だ。

 この小さな芽が、やがて大きく育ち、二つの国を結ぶ希望の証となるように。

 そう願いながら、静かにその場を後にした。

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