(36) これで少しは、平和に近づいたと思いたい
エレオスに戻ってすぐ、長老評議会が開かれることとなった。
広間の中央には、樹齢数千年の大木から切り出されたであろう巨大な円卓が鎮座し、その周囲には前と同じようにエルフやドワーフの長老たちが着席していた。上座には、白銀の長い髭と髪を携えたフィリアス=エテルナ長老が静かに座していた。
俺たちはベリシア、リィゼル、カルナス、ミルティ、ラズと共に円卓の一角に着席した。リィゼルは少し緊張した面持ちであったが、その表情には揺るがぬ決意が宿っていた。
評議会の冒頭、フィリアス長老が静かに口を開く。
「これより長老評議会を開く。本日は、最高巫女リィゼルリアより、世界樹に起きた一連の事件について報告がある」
その言葉を受け、リィゼルが立ち上がった。集まった長老たちに深々と頭を下げると、淀みない口調で語り始めた。
「長老方。このたび世界樹イグラン=エレオスに甚大な被害をもたらした元凶は、黒環サーヴァの主、アノン=グラーティアによるものです」
彼女は、アノンがいかにして妖精女王ミルザを孤独に囚え、その力を利用して世界樹の枯死を早めようとしたか、詳細に説明していった。長老たちの顔に、驚愕と憤りが浮かぶのが見て取れる。
「しかし、魔王ゼルヴァ=レグナス=ノクス陛下の尽力により、アノンは討伐され、ミルザ様は解放されました。そして、世界樹は――」
そこで言葉を区切り、彼女はゆっくりと円卓を見渡したあと、力強く告げた。
「――再生を始めています」
広間がざわめきに包まれる。長老たちは既に兆候から何らかの変化を感じ取っていたのだろうが、それが再生であるとは思ってもいなかったようだ。
「再生だと……!? 本当なのか、リィゼルリアよ!?」
「まことか、最高巫女殿!」
驚きの声があちこちから上がる。フィリアス長老も、わずかに眉を上げた。
「……信じがたい話ではありますが、この回復の兆しは確かに感じられます」
リィゼルの言葉に、長老たちは戸惑いながらも、次第に納得し始めていた。そして、フィリアス長老の視線がこちらへと向けられる。
「魔王ゼルヴァ=レグナス=ノクス殿。貴殿の尽力により、我々の世界樹、そして妖精女王ミルザ様が救われたと、最高巫女より報告を受けました。エルフの民を代表し、心より感謝申し上げます」
そう述べた彼は、深々と頭を下げた。これに倣い、多くの長老たちが続く。ただ一人、エレノアリス長老だけは腕を組んだまま、その銀のまなざしに懐疑の色を残していた。
「……しかし、魔王がそこまで我々のために尽くすとは……」
そのつぶやきが、広間の静寂に染み入る。
「エレノアリス! これほどの功績を目の当たりにして、なお疑うのか!」
フィリアス長老が厳しい声で叱責し、他の長老たちからも非難が飛ぶ。
「無礼であろう、エレノアリス!」
「何を言うか、この期に及んで!」
エレノアリスは居心地悪そうに視線を逸らした。そんな空気の中、俺に発言の機会が巡ってきた。
ゆっくりと立ち上がり、広間に向かって語りかける。
「長老方、本日は三つの提言をさせて頂きたく存じます」
静かな声が広間に響き渡り、皆の視線がこちらに集まった。
「まず一つ目。私は、魔王国ゾルディアとイグラン=エレオスの間に、新たな友好関係を築きたいと考えています」
ざわめきが起こる。魔族とエルフ――対立の歴史を持つ両者にとって、想像もしていなかった提案だろう。
「目指すは、無益な争いのない世界です。異なる種族が互いを理解し、共存の道を探るべきだと考えます。今回の危機が、その必要性を示してくれたのです。力を合わせれば、より大きな困難も乗り越えられると」
できるだけ穏やかに、しかし揺るがぬ意志を込めて語る。フィリアス長老は頷き、エレノアリスは依然として無言のままだった。
「そして二つ目、この危機を乗り越えるために尽力してくれた黒エルフの民の処遇についてです。アノンの暴走によって、彼らは今、行き場を失っています。魔王国ゾルディアは、彼らを移民として受け入れる用意があります」
この発言のあと、長老たちは沈黙した。黒エルフはエルフの歴史の中で、常に日陰者として扱われてきた存在だ。彼らを魔王国が受け入れるというのは、エルフにとって一種の屈辱とも受け取られるかもしれない。
「これは決して内政干渉ではない。だが、魔王国とイグラン=エレオスの友好を進める上で、この問題は避けて通れない。黒エルフたちを魔王国で受け入れることは、種族間の融和への第一歩になる。彼らが新たな地で生活を始めることで、互いの理解が深まり、いずれはエルフとのわだかまりも解消される日が来るかもしれない」
長老たちの顔を一人ずつ見つめながら、ゆっくりと言葉を続けた。フィリアス長老が、深く頷く。他の長老たちも、やがて一人、また一人と賛意を示していった。エレノアリス長老も、表情には複雑さを残しつつ、異を唱えることはなかった。
「そして三つ目。これは、エルフの民にとって触れてほしくない過去かもしれません。けれど、真の友好を築くためには、避けて通れない」
隣にいたベリシアが、わずかに肩を強張らせるのが感じられた。
「私は知っている。かつて幼いベリシアの記憶が、何者かによって消されたことを。なぜ、そのようなことが行われたのかも」
広間に動揺と困惑が広がる中、エレノアリス長老が慌てて言葉を発した。
「あの時は……魔族の娘が我々の聖域に入り込んだため、外に秘密を漏らさぬよう……」
だが、その弁明は遮られる。
「エレノアリス!!」
フィリアス長老の怒声が広間を震わせた。続けて、長老たちから非難が飛ぶ。
「そのような言い訳が通用するとでも!?」
「幼い子どもに、何という仕打ちを……!」
エレノアリスは、うつむいたまま沈黙した。
「私は、その行為を責めるために話したのではありません」
場を静めるように、俺は声を落とす。
「あの時の判断には、それ相応の事情があったのだろうと理解しています。ですが、ベリシアはそのことで大切な友との記憶を失い、心を閉ざして生きてきた。それでも、彼女はこの世界樹の危機にあたり、命を懸けてミルザを救い、世界樹を守ろうとしてくれた。その功績は、何物にも代えがたいものです」
隣を見ると、ベリシアが驚いたようにこちらを見ていた。その目元には、かすかに涙の光が浮かんでいた。
「最後に、一つ提言させてください。これも内政干渉と受け取られるかもしれませんが、世界樹の根の管理についてです。本来は黒エルフの役目であったこの職務を、今後はエルフたち自身が担うべきではないでしょうか」
その発言に、場の空気が再び張り詰める。根の管理は、長年黒エルフが担ってきた職務。それをエルフが引き継ぐとなれば、新たな負担を背負うことになり、不慣れゆえの戸惑いもあろう。
「ゼルヴァ陛下のおっしゃる通りでございます」
リィゼルが、凛とした声で応じた。驚いたように、長老たちが一斉に彼女へと視線を向ける。
「本来ならば、この場で申し上げるのは私の役目でした。アノンの暴走は、世界樹の根の管理を黒エルフに任せきりにしていた、我々エルフの怠慢が招いた結果でもあります。世界樹を本当に想うのであれば、この提言を無視すべきではありません」
その言葉は、深く長老たちの胸に響いたようだった。彼女は最高巫女として、心から世界樹とエルフの未来を案じている。その真剣な思いが伝わったのだろう。フィリアス長老が、静かに目を閉じ、大きく息を吐く。
「……承知した。ゼルヴァ陛下、そして最高巫女リィゼルリアの提言を、我ら長老評議会として了承する」
その言葉を受け、心の中で小さく拳を握った。これで、世界樹の真の再生に向け、大きな一歩を踏み出せる。
「その結果、うれしく思います。――細かい規定事項や、協力、貿易関係、移民の移動については、後日事務方を手配します」
「ええ、我々も魔王陛下の寛大なるご配慮に感謝いたします。詳細については、改めて双方の事務方で協議を進めましょう。この新たな関係が、両国に実り多き未来をもたらすことを願っております」
フィリアス長老は厳かながらも安堵の表情を浮かべ、深く頷いた。エレノアリス長老も、複雑な面持ちながらも、その言葉に異論は挟まなかった。
こうして、評議会は幕を閉じた。長老たちの顔にはまだ戸惑いが残っていたが、それでも、エルフたちとの間に新たな信頼が芽生えたことを、確かに感じていた。異なる種族が手を取り合い、世界の危機を乗り越えた。今回の出来事は、この世界に新たな希望の光をもたらすだろう。世界樹は深く傷ついたが、ベリシアの苗木とミルザの力によって、その再生はすでに始まっている。。ゆっくりと、時間をかけて――けれど、確かに。
「疲れたな……」
広間を出た瞬間、思わずため息が漏れた。隣を歩くベリシアが、心配そうにこちらを見上げる。
「陛下、お疲れ様でございました。今日の交渉は、大きな成果だったのではないでしょうか」
その声に、思わず笑みがこぼれる。
「そうだな。面倒なことは多かったが……これで少しは、平和に近づいたと思いたい」
空を仰いだ。世界樹の枝葉の隙間から、眩しい光が差し込んでいる。その光が、これからもこの世界を照らし続けるように――魔王として、やるべきことをやっていくだけだ。