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(35) 貴女との約束の証として、大切に

 体中の魔力が底を尽き、指一本動かすのも億劫だ。だが、心には確かな安堵が広がっていた。

『アイザワ、よくやった……! まさか、あの魔力を全て使い切るとは……私も初めてだぞ』

 エクス=ルミナが、弱々しいながらも、いつもの調子で俺に語りかけてくる。

 こいつの小言も、今日はなぜか心地よく聞こえるな。

 目を向けると、リィゼルが衰弱したミルザを抱きかかえ、ミルティがその傍らで心配そうに顔を覗き込んでいる。カルナスは周囲を警戒し、ラズは倒れた精霊たちに神聖魔法をかけていた。

「リィゼル、ミルザの容体は!?」

 俺は慌てて声を上げた。まだ油断はできない。アノンの精神体は完全に消滅したのか? ミルザは無事なのか? 疑念が次々と頭をよぎる。

「ゼルヴァ陛下! ミルザ様は非常に衰弱されていますが、命に別状はございません。ただ……精神的な消耗が激しいようで……」

 リィゼルの声には、安堵と疲労が滲んでいた。彼女もまた、全力でミルザの解放に尽くしてくれたのだ。

「回復魔法を……! 俺もできる限りのことはする!」

 すぐに立ち上がろうとするが、体が重く、思うように動かない。魔王種としての回復力があるとはいえ、ここまで消耗したのは本当に久しぶりだった。

「わたくしも加勢します!」

 ベリシアがミルザの傍らに膝をつき、掌から温かな光を放ち始めた。その表情は、静かに彼女を案じている。彼女もまた、ミルザを救うために戦ったひとりだ。

 リィゼルとミルティも、それぞれ回復魔法を施す。神聖な光、自然の癒し、そして紫紺の魔力。三つの光がミルザを包み込み、徐々に顔色に血の気が戻っていく。俺も残った魔力を振り絞り、微力ながらも闇の力で回復を助けた。

 やがて、ミルザのまぶたがゆっくりと開き、淡い空色の眼差しがぼんやりとこちらを見つめる。

「……みんな……?」

 かすれた声に、リィゼルが涙ぐみ、ミルティも安堵の吐息を漏らした。

「ミルザ様! ご無事で……! 本当に、ご無事でございますか……!」

 リィゼルが彼女を抱きしめる。その様子は、まるで親子の再会のようだった。

 ミルザの意識がはっきりすると、ベリシアがそっと寄り添った。

「ミルザ……!」

 その声は、普段の冷静なものではなかった。どこか弾むような響きに変わっている。彼女の表情も、喜びと安堵に満ちていた。

「ベリシア……?」

 ミルザも顔をほころばせる。二人の間に、穏やかな空気が流れた。

 そして、言葉が堰を切ったように溢れ出す。

「ミルザ、覚えていらっしゃいますか? 幼い頃、わたくしが迷子になった時、貴女が話しかけてくださったこと……」

「うん、覚えてるよ、ベリシア! あの時、寂しかったの。ベリシアが来てくれて、すごく嬉しかったの」

 忠義を尽くし、宰相として振る舞ってきたベリシア。だが今は、世界樹の根元で出会った幼い魔族の少女のようだった。顔を覆って泣いたあのときとは違う、けれどどこか懐かしい、純粋なあどけなさが滲んでいた。

「あの頃、貴女は美しい精霊たちの歌をたくさん聞かせてくれましたね。わたくし、あの歌が大好きでした……」

「そうだよ! あの時は、精霊さんたちも一緒に遊んでくれたんだよ! また、みんなで歌おうね」

 ミルザのことばに、ベリシアは懐かしそうに微笑む。ふたりの会話は、他の誰にも立ち入れない特別な時間だった。

「それに、あの時、貴女がくれた世界樹の苗木……わたくし、ずっと大切に育てていました」

「あの苗木……! 大きくなったかな?」

「はい! とても大きく育ちました。貴女との約束の証として、大切に、大切に……」

 ベリシアは持っていた苗木をミルザに見せた。それは、かつて俺に見せた芽吹いたばかりの小さな命であり、その微かな輝きが、それがただの植物ではないことを示していた。

「ベリシア、育ててくれてありがとう……!」

 ミルザが潤んだ目で苗木に手を伸ばす。その瞬間、淡い光が放たれ、苗木がみるみるうちに形を変えていった。

 小さな芽へと姿を戻していく。それは衰弱ではなく、まるで原点に立ち返るような、澄んだ光を帯びていた。そして、そこから広がる生命の波動が、世界樹全体へと届いていくのが感じられる。

「これは……! 世界樹の再生……!」

 リィゼルが、喜びと驚きの声を上げた。深く傷ついていた幹や根が、ゆっくりと、しかし確かに癒されていく。ベリシアの育んできた命と、ミルザの本来の力が、世界樹に新たな息吹を吹き込んでいた。

「それに、グリセルダも……わたくしの、大切な友達……」

 ベリシアが、抱えていた黒猫のぬいぐるみを取り出す。ボタンの目に、欠けた耳。粗末だが、彼女の孤独を癒し、約束を守り続けてきた存在だ。

「グリセルダ……! 会いたかったよ、グリセルダ……!」

 ミルザはそれを抱きしめ、頬を擦り寄せた。その姿は、まるで幼い少女。数千年を生きる妖精女王とはとても思えない。けれど、その無垢な純粋さこそが、世界樹を蘇らせている――そう思わずにはいられなかった。

「この力……ミルザ様が、再び妖精女王として……!」

 リィゼルがミルザに跪き、深々と頭を下げた。ミルティやカルナス、そして残されたエルフたちも一斉に頭を垂れる。

 ミルザは、まだ戸惑っているようだったが、ベリシアがそっとその手を取った。

「ミルザ、貴女は世界樹の、そして私たちエルフの希望なのです。今、貴女の力が世界樹を救っているのですよ」

 ベリシアの静かな語りかけに、ミルザはゆっくりと頷く。その顔には、幼い頃にはなかった確かな決意が浮かんでいた。

 世界樹の再生が始まったとはいえ、アノンの暴走によって受けた傷は深く、完全な回復には長い時を要するだろう。

 そんな中、俺はカルナスに尋ねた。

「そういえば、黒エルフたちは、あれだけだったのか。――少なくとも女子供はいなかった」

 少しだけ顔を曇らせながら、カルナスが答える。

「戦えないものは、黒環サーヴァの奥にある隠された施設に匿われていました。……アノンは、暴走する前は、確かに黒エルフたちのことを案じていたのでしょう」

 アノンは、長らく日陰者とされてきた黒エルフたちを救おうと動いた。しかし、その手段はあまりにも歪で、ついには己も力に呑まれてしまった。皮肉な結末だ。

 カルナスの案内で、俺たちは黒環サーヴァの奥深くにあるその施設へ向かった。そこには、女子供や傷ついた者たちが、怯えた表情で身を寄せ合っていた。世界樹に居場所を持てず、アノンの強硬な判断によって、ここへ押し込められていたのだろう。

 リィゼルが、彼らに向けて静かに語りかける。

「どうかご安心ください。皆様は、ここを出て、自由に過ごすことができます」

 だが、彼らはすぐには信じられない様子だった。長年の迫害を思えば、エルフの巫女の言葉が心に届くには時間が要るのかもしれない。

 俺が一歩、前に出る。

「俺は魔王ゼルヴァ=レグナス=ノクスだ。お前たちに、魔王国へ来ることを勧めたい。そこには、お前たちを迫害する者も、居場所を奪う者もいない。新たな土地で、新たな生活を始めてみないか?」

 その提案に、黒エルフたちはざわめいた。魔族の王が自分たちを受け入れる? 信じがたい、という表情が浮かぶ。

 ベリシアが一歩進み出て口を開いた。静かに、しかし芯のある声で語りかける。

「わたくしたち魔族は、多様な種族が共に暮らす国を築いています。種族や信仰の違いによって争う必要などありません。魔王陛下は、心から平和を望んでおられます。皆様の居場所は、必ずそこにあります」

 彼女のことばは、ゆっくりと黒エルフたちの胸へ届いていった。かつて異種族としてエルフの国で迷子になり、孤独を知ったベリシアだからこそ、言葉に重みがあるのだ。

 やがて、一人の老いた黒エルフが、おずおずと顔を上げた。

「本当に……我らを受け入れてくださるのですか……?」

「ああ、俺は約束する。魔王国では、お前たちを等しく、国の民として遇する」

 その声に、黒エルフたちは顔を見合わせる。そして、小さな子供たちが、おずおずと、しかし希望に満ちたまなざしを向けてきた。ラズもまた、優しい笑みを浮かべて彼らに応えている。

 こうして、黒エルフたちは魔王国へと迎えられることとなった。彼らが新たな地で穏やかな日々を送れることを、心から願うばかりだ。

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