(10)正体を隠しての旅ですが、良い旅です
盗賊団との共闘を経て、俺たち三人組は、ロイドとセレアの二人組と、聖域エルムへ向かう旅を共にすることになった。奇妙な縁だが、互いに同じ目的地を目指す者同士、人間として考えた場合、物騒な道中を考えれば同行するのは合理的だ。
「陛下、無駄な危険は犯すべきではありません。彼らそこそこの手練と存じます」
ベリシアが小声で言ってきたが、
「まあ、情報収集も兼ねてで、良いじゃないか」
と返した。
俺たちは遠い異国から名を上げるために旅をしていて、聖剣を見物しに来た。もし引き抜ければ……なんて話を合わせた。知らないことが多いのは、異国から来たから仕方ない、ということにしている。
ロイドとセレアは王国辺境から来た冒険者で、同じように聖剣を見に来たと言っていた。
しかし、ロイドの視線が、まだ時折俺たちの方に向けられていることに気づいていた。盗賊との戦いでの俺たちの戦い方や、ベリーの落ち着き払った様子、フィーユの素早さなど、並の冒険者ではないと感じているのだろう。警戒と、何かを探るような色が、彼の瞳に宿っている。もしかしたら、俺たちを、たんなる冒険者じゃない、何か別の存在だと疑ってるような。
それでも、旅は続く。五人旅になったわけだが、道中では意外な交流が生まれた。街道を歩きながら、ロイドやセレアが、このあたりの地理や、珍しい魔物、街道にまつわる古の言い伝えなどを話してくれた。
「この先にある『囁きの森』には、夜になると星屑のような光を放つ植物があるそうですよ。とても幻想的だと聞きました」
セレアが、目を輝かせながら話す。彼女は、本当にこの世界の神秘を愛しているようだ。
「へぇ! 見てみたい!」
フィーユが興味津々といった様子で、尻尾を揺らす。
「私も一度見てみたいと思っています。ただ、夜は魔物の活動が活発になるので、近づくのは難しいでしょうね」
ロイドが、冒険者としての現実的な視点から付け加える。彼もまた、世界の不思議に対する好奇心を持っているのが分かる。
星屑のような光を放つ植物か……前の世界じゃ考えられないな
俺は、彼らの話を聞きながら、心の中で相槌を打つ。俺にとって、この世界の何もかもが目新しい。
地上階は魔界とは全く違う景色、気候、生態系。そして、人間たちの文化や、彼らが語る伝承や不思議。彼らは、この世界のことを当たり前のこととして話しているが、俺にとっては全てが未知だ。彼らが、この世界の神秘や美しさに対して、純粋な驚きや感動、畏敬の念を抱いているのを見るのは、新鮮だった。魔王として、あるいは魔族として、世界の構造や歴史を知識として知ってはいても、それを心から美しいと感じることは、あまりなかったかもしれない。彼らの持つ、汚れのない好奇心や感動に触れて、少し心が洗われるような気がした。
疲れが出始めた頃、街道脇で休憩することになった。重い荷物を下ろし、岩に腰を下ろす。
ロイドが、立ち上がる際に、フィーユが少し重そうな荷物を持っているのを見て、何も言わずにひょいと持ち直してくれた。
「フィーユさん、少しお持ちしましょう。軽いものですから」
「えっ、良いの!? ありがとう、ロイドさん!」
フィーユは遠慮なく、ロイドに荷物を渡す。ロイドは、フィーユの荷物と自分の荷物、両方を持って歩き始めた。彼の筋肉質な体には、それほど苦にならないのだろう。フィーユは、ぴょんぴょんと跳ねながらロイドの周りを歩き、楽しそうに話しかけている。ロイド、結構面倒見良いんだな。律儀っていうか、人の良い奴だ。
ロイドの警戒はまだ続いているのかもしれないが、彼の行動からは、計算ではない、素直な親切心が滲み出ているように感じた。
セレアもまた、休憩中に俺の顔見て、そして、傍らに寄り、小さな水筒を差し出した。
「アイザワさん、少しお疲れのようですわ。どうぞ、お水を」
「ああ、ありがとう、セレアさん」
受け取った水は、驚くほど冷たく澄んでいた。普通の水じゃないな。浄化魔法か? それとも、彼女の持ってる水筒が特別なのか?
「もしよろしければ、癒やしの魔法を……」
セレアリスはそう言って、俺の手を取ろうとした。彼女の瞳は、俺の些細な疲れを心配している。見返りを求めない、純粋な優しさだ。
「いいえ、気にかけてくれて、ありがとう。セレアさん。大丈夫だ」
俺はセレアリスに礼を言い、差し出された手を辞退した。魔王の体に聖女の魔法が触れるのがどうなるか分からないし、ベリシアも素早く間に割って入ってくれた。
「セレアさん。アイザワは大丈夫です。あまり他の方に魔力を使われますと、あなたのお体が疲れてしまいます」
ベリーとして振る舞うベリシアが、セレアの気遣いを丁寧に、しかしきっぱりと断った。彼女は、常に冷静で、状況判断を誤らない。
セレアは、ベリーの言葉に「そうですわね、すみません、つい……」と、少ししょんぼりとした。
「いいえ、気にかけてくれて、ありがとう。セレアさん」
俺は改めてセレアに礼を言った。彼女の、見返りを求めない純粋な優しさ。それは、俺が魔王の体になってから、初めて触れた人間の温かさだったかもしれない。
彼らが「人の良い」冒険者だからなのか? それとも、人間という種族全体が持っている性質なのか? そして、そんな彼らの優しさに、俺はなぜこんなに心が動かされるのだろうか?
魔族である俺が、人間の優しさに触れて、温かいと感じる。それは、正常なことなのか? 異常なことなのか? 自分が人間だった頃の感覚と、今の感覚の乖離に、再び困惑する。
目の前で優しさを見せるロイドやセレアと自分、そしてベリシアやフィーユ。だれが「人間」らしいのだろうか。あるいは、この異世界での俺は、もう人間とは違う存在になってしまったのだろうか。
ロイドの視線が、以前までのような警戒の色を失っているのを感じる。
俺たちの純粋な反応。フィーユの屈託のなさ。ベリーの仲間への配慮。そして、セレアの優しさに対する俺の素直な反応。遠い異国から来て、知らないことばかりで、聖剣を見物しに来たという「アイザワ」たちの姿に、ロイドは「スパイ」や「悪意」を見出せなくなったのかもしれない。彼が感じたのは、ただ、不器用でどこか天然な、人の良い冒険者たちの姿だったのだろう。
短い休憩を終え、俺たちは再び歩き出した。ロイドがフィーユの荷物を持って、セレアと並んで歩いている。ベリシアは俺の隣を、常に周囲を警戒しながら歩いている。
束の間の交流。それは、人間と魔族という立場を超えた、短い時間だった。彼らの見せた優しさ、世界の不思議に対する純粋な好奇心。それは、魔王としての俺にとって、これまで知らなかったこの世界の”人間”という存在の、温かい側面だった。
この旅のほんの小さな一歩に過ぎないだろうが、ロイドの警戒が解け、少しだけ彼らと打ち解けられたような気がしたことは、俺にとっては大きな収穫だった。聖域エルムへの道は、まだ遠い。