龍と赤子
昔、あるところに龍がいた。龍は千年を生きて森羅万象を知り尽くし、退屈していた。最早この世のどこにも、俺の知らないことなどありはせぬ。暇つぶしに人間相手に問答などしてみたこともあったが、あれはだめだ。やれ助けてくれ、やれ命だけはとやかましい。俺はただ、暇つぶしをしたかっただけなのに。
ある日のこと、龍は谷底に赤子が投げ捨てられているのを見つけた。その赤子は、目も鼻も、口も耳も、体毛すらもなく、ゴム毬のようだった。だが龍はどういうわけか赤子だと思った。
龍は赤子を手に取り、暇つぶしに話しかけてみた。「赤子よ、なぜ泣かない?お前は赤子だろう」
赤子は何も答えず、打ち捨てられていた時と同様ゴムのようにぶるぶると震えるだけだった。「そうか、口がないのだな。待っておれ」
そういうと龍は自分の口を引きちぎり、赤子に与えた。赤子は生えた口で初めての呼吸をし始めた。口など後から生やせばどうとでもなる、龍はそう思った。
次の日、龍はまた赤子に問うた。「赤子よ、なぜ何も食べないのだ?そうか、鼻もないのだな」
次の日、龍はまた赤子に話しかけた。「赤子よ、なぜ俺と喋ろうとしない?そうか、耳がないのか」
そうして、龍は毎日自分の大切な五官や臓器、体の一部を赤子に与えていった。千年を生きた龍は神にも近い無限の力を持っていたが、しかし赤子に自分の分身を分け与えるたびに小さくなっていった。
反比例するように赤子は日増しに大きくなった。全身をねずみ色の体毛が覆い、手には鋭い爪が、大きく裂けた口から牙が覗き、真っ赤な目が爛々と輝いた。
龍が育てていたのは人間ではなかったが、衰弱した龍は目もろくに見えず耳も聞こえず、わからなかった。
そうして、龍が赤子と出会って百日目のことだった。初めて赤子が喋り、龍に話しかけた。
「あなた様より大切な九九の部位をいただきました。今宵は遂に百部位目。私の願いも成就されましょう。育てていただいた御恩は決して忘れません。お礼に――あなた様をいただきます」
赤子だったものはそう言うとゲッゲッゲッと不気味に笑い、ぺろりと龍を食べてしまった。
龍は赤子の腹の中で思った。ああそうか――俺は余計なことをしなければよかったのだ。あのままお前を見捨てていれば――でもお前を育てている間、俺はとても幸せだった――。