「突然だが、貴女との婚約を破棄させてもらう!」と言われました。人違いです。
「あなたがアステリア嬢……だな?」
――と。突然声をかけてきたのは、王子様だった。
比喩でなく。いや外見も、長身金髪碧眼に中性的な美男子と言ういかにも王子様然としていたけれど、この場においては真実、この国の王太子殿下そのひとだった。
「えっ……と。あ、あなたは、エリオット様……ですよね? な、なぜこんなところに……」
半ば茫然としたまま聞き返す。
ここは王都の婦女子が集まる学園、いわゆる女子校である。今日はその卒業式兼記念パーティーだった。お祝いに保護者や関係者、町の有権者などが集まってはいるが、さすがに王太子が来るのは前代未聞ではなかろうか。それもこんな、女生徒――私の腕をがっちり掴んで。
異様な光景に、周囲の生徒、教師達もざわめきながら、動けない。
なにこれ? どういうこと? なんで王子が私に話しかけて……っていうか、さっきなにやら変なことを言われた気がする。たしかアステリアなんとかって……。
…………誰のこと?
混乱のあまり、声が出ない。そんな私をじっと、睨むように見つめて、エリオット王子は言い放った。
「アステリア嬢。突然だが俺、エリオット・シューバッハ十四世は、君との婚約を破棄する!」
「――えっ!?」
私は思わず、大きな声を上げた。
だって私の名前、アステリアじゃないよ! 人違いだよ!!
しばらく口をぱくぱくさせてから、やっと声を絞り出す。
「あ、っ、わ、た、し」
「突然のことに驚かれても無理はない。君との婚約は、両家の間で正式に取り結ばれた、厳粛なものであったからな」
確かにビックリだけどソコじゃないよ! 私との婚約はしてないってところだよ!
「それも、俺と君とが顔を合わせるのは今日が初めてのこと。なぜ婚約を破棄されるほど嫌われたのか、不思議で仕方ないだろう……」
不思議なのはソコじゃないよ! なんで人違いされちゃってるかってことだよ!
「あの」
「だが己の胸に手を当てて考えてみればわかるはずだ」
「いや、ですから私は」
「なぜ俺に婚約破棄を言い渡されたのか、自分が犯した罪のことを!」
「待って違」
「認めないというのか? まあそうだろうな」
私の手を放し、マントを翻して背を向ける王子様。
やっと喋れるようになったのに、この王子、人の話を聞かない。
私は何度も口を開きかけたけど、そのたびに王子に遮られる。言い訳無用、とか言って。言い訳っていうか、私アステリアじゃないんだけど。
「あくまで白を切るというならば、この場で君の罪をさらけ出し、辱めることになる。それでもいいのか」
別にいいですよ。私アステリアじゃないし。
「お父上、ルードヴィッヒ侯爵の名誉も傷つけることになる」
別にいいですよ。うちのお父さんの名前はトムだし。
…………ん? 侯爵?
「アステリアって、ルードヴィッヒ侯爵令嬢のことなの?」
問いかけると、王子は初めて私の言葉に応えた。ただ頷く、という形だけど。
なるほど、私はそれで、王子様がここに居る理由を理解した。
この学園はどこにでもある普通の学校、一般教養や算術を習うための学園でしかない。生徒は当然、普通の町娘ばかりだった。だけど一人だけ、侯爵令嬢という特別階級の女生徒がいる。なんでも一般市民の視点を学ぶためとかそんな理由らしいと、噂に聞いた……というか、担任の先生からそう聞いた。クラスメイトなので。
しかし卒業式の今日この日まで、一度も顔を見たことは無かった。さすが侯爵令嬢、一般の学生寮とは違う特別な棟に個人部屋をもらっていて、そこに引きこもり、教室に来ていないのだ。先生方が従僕のように部屋に通い、世話までしているという。
まあ仮に登校してきたとしても、私のような地味モブ子と接点は出来ないだろうけどね。
とにかく王子様は、この学園のこのクラスに婚約者のアステリアがいるとは知っていた。しかし親が決めた婚約者同士で、ほとんど顔を見たことも無かった。それでも何かの特徴は聞いていて、それが私とカブってた――と。人違いの真相はそんなところだろう。
……となると、私はそのアステリア嬢を王子の前につきだしてやれば話は終わるってわけだ。サボり魔のお嬢様も、さすがに卒業式には参加しているだろう。私も顔は知らないけど、私と似た特徴、ってことだから、きっと小柄で貧乳で、髪と目の色が茶色で貧乳で、そばかすメガネで貧乳の子……。
私はあたりをキョロキョロ見回した。そして見つけた。私と同じ貧乳の子、ではなく、こっちを見つめて蒼白になってガタガタブルブル震えている、ピンクブロンド縦ロール長身巨乳の美少女を。
おまえがアステリアか! 全然私と似てないじゃないかよっ!!
私はアステリア嬢のもとへ駆けだそうとしたけど、アステリア嬢がブンブン首を振った。口パクとジェスチャーで、「私じゃない私じゃないお願い知らないフリしてその場を収めてちょうだいお願い、あとでお金あげるから」と必死に訴えてくる。
どうやらアステリア嬢、王子のいう「罪」とやらに心当たりがありまくるらしい。
…………。ちょっと気になる。
私は、王子に向き直った。自分がアステリア嬢だと肯定はせず、かといって否定もせず、ただ黙って、続きを促す。王子はフンと鼻を鳴らした。
「我が王家にとってルードヴィッヒ家と姻族になることは何の利益もない。ただ侯爵から、娘は未来の王妃とするにふさわしい、気高い淑女だと推されての縁だった」
ふむ、なるほど。政略結婚ってわけでもないのね。それで相手の顔も知らないってのも変な話だけど。
「王妃とは、ただ王の隣に飾り立てられていればよいものではない。妃は王と共に公務をこなし、この国の未来を背負って立つのだ。外見の美しさなどではない、賢く誠実でなくてはならない」
おっしゃる通りだと思います。王子のほうが人違いで婚約破棄というスカタンなことを今まさにしてるけども。だからこそお妃は賢いほうがいいでしょうね。
「この学園の卒業をもって、アステリア嬢は正式に俺と婚姻を結ぶ手はずになっていた。だがその前に、あなたのことを調べさせてもらった。女性の身辺を探るなど、卑劣と誹ってくれて構わん。国民の命がかかっているのだ、俺にはやらねばならないことだった」
うん、その通り。卑劣どころか、王族のあるべき姿、真面目でいいひとだと思う。人違いしてるけど。
「三年間、専門の調査員をこの学園に派遣し、綿密に記録を取らせてもらった」
三年間も間違い続けていた? なにそのスカポンタンな調査員、首にしろ。
「そうして、あなたの裏の顔を知ったのだ……三年間、授業を受けることは一度もなく、贅沢な私室を構えて遊び惚けていたと」
あ、調査してたのは本物のアステリア嬢なんだ。報告書は間違ってない。調査員は優秀だ。スカポンタンなのは王子だけか。
「大体この学園に入学したのも、妃教育はおろか貴族の令嬢としての教養すら身に付けず逃げまわっていたからだ。業を煮やしたルードヴィッヒ卿に無理やり放り込まれたのだろう」
あら、それは初耳。そうなんですかアステリアさん?
振り向いて確認してみると、脂汗だらっだらの美少女がいた。顔面に「やべぇどこまでバレてるんだ?」と書いてある。合ってるらしい。
「――というわけで。君は、このエリオット・シューバッハ十四世の妻にはふさわしくない。この婚約は破棄させていただく! 文句は無いな?」
あっはい、文句は無いです。私は。
だって私、アステリアじゃないもん。
「ふぇ……っ」
後ろでなんか小さく泣き声みたいなのが聞こえたけど、異論があるなら出てこいやって話。アステリア嬢、どうやら本気で打たれ弱いというか、嫌なことから全力で逃げるタイプの女性らしい。どうせ婚約破棄を免れないなら、王子に叱られるストレスからだけでも逃げたいと思い、出てこれないのだ。
……まあ、気持ちは分からなくはない。
私は無言のまま、王子を見上げた。
エリオット・シューバッハは、本気で怒っていた。絶世の美男子が怒った顔は怖い。ただでさえ長身なのに、育ちの良さからなるまっすぐに伸びた背筋。凛々しい眉を吊り上げ、桃色づいた形のいい唇をへの字に食いしばり、青い瞳で見下ろされると、トラウマになるほど迫力があった。
…………ただ、怒られてるのは私じゃなくてアステリア嬢であり人違いをされているだけなので、逆にこの緊張感が面白可笑しくて仕方ないんだけど。
いや本当、笑っちゃいそうなのよ。だってこの状況、王子様はものすごくシリアスなんだもの。人違いだけど、王子様的には真実、長年婚約者だった女性に残酷な刑を告げているシーンなわけで。
――そう、王子様は、これ以上なく真剣だった。
「…………アステリア。残念だよ」
湿っぽい声で、王子は呟いた。その瞳もわずかに濡れている。
本当はきっとすごく優しい人なんだろうな。そして真面目な人。なにより愛情深い人。
強い怒りは期待していたからこそ。婚約者の身辺調査も、王子としての責任のため、国民のためせざるを得なかったのだろう。卑劣な行為だと誹っているのは彼自身だ。彼が王子でアステリアが妃候補でなければ、怠け者で弱虫の少女もその慈愛で包み込み、妻に迎えていたのかもしれない。
王子様、立派なひとだ。人違いしてるけど。
心身ともにイケメンだ。ちょっと頭は悪いかもしれないけど。
王子は私の手を取った。私の手の甲に、額を押し付ける。まるで詫びるように。
「……身分などどうでもいい。たとえあなたが平民の娘でも、ただ真面目に、課題と向き合えるだけの強さがあればよかった。それだけあればどれだけ時間がかかろうともいずれ妃にふさわしい女性に成長し、夫婦で助け合って国政に臨めた」
お望み通り私は平民、木綿問屋の娘ですよ。問題はアステリアじゃないことだけど。
「叶うことなら……あなたと結婚したかった。……残念だ……」
ホント、残念だよ。その声とセリフ、心臓にギュンッと来たよ。人違いでさえなければギュンギュンだったろうよ。
ああでもほんと、いい男だなあ。アステリア嬢は惜しいことしたわね。こんな人に愛されて王妃にまでなれたなら、これ以上なく幸福だったでしょうに。
……本当、残念だこと。
王子は私の手から額を離し、代わりに唇を寄せた。触れる直前、私はそれを振り払った。
「アステリア?」
王子が問う。
私は真実を告げた。
「違います」
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後日談。
学園を卒業した私は実家に帰り、稼業である木綿問屋の店番をしていた。
ある日、手紙が届いた。送り主の住所は王宮、署名は、エリオット・シューバッハ十四世。
片手でカウンターにハタキをかけながら、空いた手で、手紙を読む。
『先日はたいへん失礼な言動を向けてしまい、申し訳ありませんでした。改めて深く謝罪を申し上げたく、筆を執らせていただきました』
真面目なひとだねえ。
『あの場面で、まさか人違いをしてしまうとは……思い出すと恥ずかしくて顔から火が出る思いです』
私もだよ、共感性羞恥ってやつで。
そういえば王子様、なんであんなトンチキな勘違いをしたのかしら?
『――親が決めた婚約者で、アステリア嬢とは会ったことがありませんでした。そのため俺は、調査員からの報告書の、文面に書かれた特徴だけでアステリアを探してしまったのです』
いやなんでだよ。本物のアステリア嬢と私、ちっとも似てなかったじゃん。
あちらは、中身はともかく絶世の美少女で、ゴージャスピンクブロンドの縦ロールの巨乳で――。
『俺が理想の妃として考える通りの外見、学園で一番美しい女性であると。俺はそれだけの情報をもとに、卒業生のなかにあなたを見つけ、てっきりアステリアだと――』
…………ん?
『筆が滑りました。忘れてください』
………………ん?
『――ということで、今回のお詫びとして。来月催される王宮での舞踏会に、貴方様を招待したく、お誘い申し上げます。それほど畏まった場ではございません、美味しいごはんと楽しいダンスのために、遊びに来てください。当日こちらから馬車でお迎えに上がりますし、ドレス等もご用意いたしますのでご安心を。
ただし名目上、新たな王子妃を選び出すための社交界、という催しになっておりますので……その旨ご覚悟のうえ、お越しいただければ幸いです。 エリオット・シューバッハ』
…………ん、っと……?
私はしばらく無言で目をぱちぱちさせ、手紙を見つめた。最初から終わりまで、顔を動かして何度も何度も読み直した。
内容を暗記するほど読み直したのち、封筒を取り出し、宛名を確認する。そこに書かれているのは私の名で間違いないか。
何度も何度も確認した。
なぜか、人違いではないようだった。
お読みいただきありがとうございました。
主人公の名前はモブ子です。