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「とある日の昼食時、いつも通り私は友人たちと食事をしていたわ。
アゼルを護衛として侍らせたうえでね」
その割には表情が冴えない。
確実に面倒が起こるんだろうなぁ。
「そんな時、貴族派の……確か子爵家の次男だったかな?
そいつがアゼルに喧嘩売って来たの。
『【魔王】とか言われているようだが子犬にしか見えねぇな』ってね。
大半の者たちは――私も含めて――無視していたわ。
当然、アゼルも」
カールラ姉様は悲しそうな表情をして続きを話した。
「そいつは無視されて腹立ったんでしょうね。
追加で最悪の一言を言ったわ」
「『【女帝】のバター犬にでも転職したのか、【魔王】?』」
ブ ワ ッ !
僕が言われたわけではない。
過去の事で、アゼル兄もどういう形で終わらせたにせよ僕が口出しする権利はない。
とはいえ、このふざけたことを抜かした奴に対して怒りを止めることはできなかった。
そのまま僕の怒りの感情が周囲に放出していった。
多分、今の僕は【魔王】や【死神】の後継者と言われても仕方ないような表情をしていただろう。
一緒に話を聞いていたフェーリオとジル嬢は顔を真っ青にして、声を出すこともできなかった。
いや、呼吸もできなかったかもしれない。
カールラ姉様は――
「……流石兄弟と言うべきか、アゼルと同じ反応をしたわね。
ニフェールちゃん、落ち着きなさい。
アゼルは口だけのクズを許すと思う?」
――顔を青くしつつも、軽口を言うかのように僕を嗜めてきた。
深呼吸して怒りを落ち着かせると、フェーリオたちもやっと呼吸ができるようになったのか、咳き込んでいる。
「フェーリオ、あとジルちゃんもジーピン家の兄弟を従えるのならこのくらいの殺気を受け入れられる覚悟をなさい。
ジーピン家は皆善人だけど、怒りの感情に身を任せた場合もっとすごいからね?」
「……これよりですか?」
ジル嬢が確認するが、カールラ姉様は、
「今のもすごかったけど、あの時のは冗談抜きで【魔王】が降臨したと思ったわ。
あれと比べると先程のニフェールちゃんはまだ理性が残っていると思うわよ?」
とあっけらかんと答える。
「ついでに、父様やチアゼム侯爵はこの殺気を受け止められるわよ?
ちゃんと実績ありだからね?」
カールラ姉様は一言付け加えると、煽られたフェーリオは愕然とした表情で「うっそだろう?」と言った後、頭を抱え始めた。
未来の自分がこの殺気を受けてなおまともな会話ができるようになるか。
道のりがかなり遠く感じたのだろう。
「話を戻すわね。
先程の発言をした直後、今より凄い怒りの圧力を食堂にいた全員が受けたわ。
私はなんとか気絶せずにいたけれど、他の学生、教師、食堂の労働者のほぼすべてが気絶したわ。
数少ない気絶しなかった教師が急ぎ応援を呼びに行こうとしたところ、アゼルは全力で叫んだわ」
「叫ぶ?」
フェーリオが聞くと、カールラ姉様は頷き、
「ただギャーギャー叫んだとかじゃなくて、怒り、悲しみ、多種多様な負の感情を全てぶつけるかのように叫んだの。
フェーリオはちょっと前に似たような感情の爆発としか言いようのない叫びを聞いたことあるでしょ?」
キョトンとしているフェーリオとジル嬢。
……ああ、あの時ジル嬢はいなかったね。
「……ごめん、それ僕。
元セリン家のドタバタと婚約者の情報制限とかでぐちゃぐちゃになった感情を、うちの母上に慰撫されたときにやった奴。
ジル嬢は知らなくて当然だよ、だってその時いなかったもの」
「あぁ、あの時の!
え、あれを学食で、ほぼ全員気絶している状態でやったの?」
「正確に言うと、叫びに込められた感情が全く違うけどね。
ニフェールちゃんは喜怒哀楽色々混じったもの。
アゼルのは負の感情一択。
ちなみに叫んだ後、大半は気絶から回復したわ。
でも、全員精神的に大きなダメージを受けていたけどね」
引きつった顔をするフェーリオ&ジル嬢。
「全力で叫んだ後、アゼルはふざけたこと抜かした奴に近づいて頭掴んで持ち上げたの。
奴も気づいて逃げ出そうとジタバタしてたけど、がっちり掴まれた状態では何もできなくて。
半泣きで『助けて!』って叫んでたけど。
そこで、アゼルは言っちゃったのよね、全員への最終通告」
「最終通告ですか?」
「ええ、ニフェールちゃん、想像つく?」
楽しそうに聞いてくるカールラ姉様。
この状態でアゼル兄が最終通告?
……一つしか思いつかない。
「『お前らがそこまで望むのなら、本当に魔王となってやろう!
手加減もせず、貴様らの命を気にせず対峙したものを平等に粉砕してやる!!
学園を卒業できると思うな!
死体として消えるか、自主退学して逃げるか好きな方を選べ!!!』とかですかね?」
僕の答えにフェーリオとジル嬢は呆れ、「いや、流石にそりゃないだろ?」「学園に対しての反乱とも取られますよ」とか言ってくる。
……なぜ、そこまで常識的な発言しかしないんだ、この二人?
ブチ切れたアゼル兄だよ?
学園位潰す気で発言するだろうに。
「ニフェールちゃんかなり正解に近いわ!
ただ後半二行は言って無かったな。
それと『粉砕してやる!』じゃなく『墓に埋めてやる!』だったけど」
「嘘ッ!!」
カールラ姉様の正解の声にフェーリオとジル嬢は目玉が飛び出る位驚いていた。
そこまで驚く?
「どうしてそんな驚くの?
だって、【魔王】呼ばわりに学園も止めなかったんでしょ?
なら、学園だって負の感情の向き先になるでしょうに」
「いやいや、学園に喧嘩売るって……」
溜息をつき、僕はフェーリオに淡々と説明する。
「気づいてないの、フェーリオ?」
「な、何がだよ!」
「今、僕は【狂犬】なんてあだ名を勝手につけられているけど、これに加えてラーミルさんを侮辱する発言を加えられたらアゼル兄と同じことをするよ?
僕には加減する理由は無いし、期待通りに首に噛み付くけど?」
ヒ ク ッ ! !
全く……考えが甘すぎなんだよフェーリオ。
相手を侮辱する以上、どういう未来になっても受け入れる覚悟を持たないとね。
それが死に至ったとしても。
ヘタレているフェーリオに呆れつつもカールラ姉様は話を続ける。
「その発言を真面目に考えたものはその時点でいなかったわ。
私もとても怒っている以上の考えは持っていなかった。
それがとてつもなく甘い考えであったと分かったのはその後。
領主科で剣技の授業の時」
あ、もうオチが分かった。
「殺気駄々洩れのアゼル、生徒は全員ボロボロの状態でうめき声をあげ、教師も同様にボロボロ、どころか怯えて会話が成立しない。
あの授業で領主科の生徒はアゼルを怒らすことは死と同じということを学んだわね。
ちなみにそれ以降【魔王】の名は領主科においては封印されたようよ。
最低限、アゼルの前では言わなくなったと聞いてるわ」
でしょうね。
アゼル兄が本気出して領主科程度の技量で止められるわけがないですもん。
むしろ、命を落とさなかったことを喜んでほしいもんです。
アゼル兄が完全に人の心を捨てたわけじゃないってことなんだし。
「そして【魔王】化の原因となった子爵家次男の所属していた騎士科の方から『よほど強い奴がいるなら戦わせてみたい』というふざけた連絡が入ったわ。
ついでに他の科――淑女科にも来たわよ――に『【魔王】を倒すから見物する気のある者は~』なんて連絡してたわ。
絶対騎士科が滅びると思いつつ友と見に行ったわ」
溜息をついて話を続ける。
まぁ続きを予想するのは簡単すぎたけど。
「当然結果はアゼルの完勝、予想通り過ぎて呆れてしまったけれど。
あの場にいた者達、そして見た者たちから情報を聞いた者たちは皆一つの演劇の一場面を思い出したわ」
一息ついて詩を諳んじる。
詩と言っていいのかは微妙だが。
「【魔王】からは逃げられない
【魔王】には逆らえない
【魔王】に従わぬ者には公平に褒美を与えられる
敗北と、速やかなる死を」
そんなことを言ってカールラ姉様は舌をペロッと出してあの頃の話をちょっとしてくれた。
「確か、アゼルの【魔王】化の後にとある劇団があの劇の再演してたわね。
もしかすると、学園の情報を得ていけると思ったのかしら?
まぁ、実際歴代最高の収入だったとか聞いたわよ?」
……カールラ姉様、実はその劇団の後ろ盾はジャーヴィン家とか言わないよね?
もしくは、カールラ姉様名義で出資してるとか?
念の為フェーリオを見るが、知らないみたい。
ジル嬢は……こちらも知らないか。
「ま、そんな感じで周囲はアゼルを怒らせまくって【魔王】化を自分たちで推し進めてしまったのよ。
あの頃の学園では、いつアゼルが【魔王】の威圧をまき散らすか怯えていたわね。
傍から見て面白かったけどね。
風が吹いて枝の揺れる音が聞こえただけで皆ビクついているのだから。
でもね……」
カールラ姉様がちょっと真顔になった。
「アゼルが私の所に護衛として侍らなくなったのよね」
まぁ、そうでしょうね。
自分の責任だと思ったんでしょうし。
「なんで、ちょっと叱りに行きました!
『あなたは私の護衛となることを受け入れたはずですよね?
それをサボって何しているのですか?
あなたが【魔王】かどうかなんて知ったことではないけれど、私との約定は守りなさい!』ってね」
ブ フ ォ ッ !
「あ、ちなみに他の学園生は【魔王】と【女帝】が接近した時点で全員逃走してるわ。
私もいつもそばにいてくれた仲間たちを連れて行かなかったから」
いや、カールラ姉様。
その発言、最高です!
アゼル兄が闇落ちしなかったのはその叱責の言葉だと思いますよ。
「そしたらアゼルがちょっとポカンとしてたわね。
事態について行けてなかったのでしょうけど。
で、私が叱った言葉が理解できた時点で呆れ、天を仰ぎ、そして笑ったの。
そこからかしらね、本格的に付き合い始めたのは。
出会いはそんなところかしらね」
「カールラ姉様、ありがとうございます。
ただ、今の話を聞いていて気になるのですが……。
領主科の人間がアゼル兄の【魔王】化の理由を知らない、もしくは理解できていないと言うのはありえるのでしょうか?
これが騎士科ならまだわかるのですが……」
ベル兄様の発言を思い出すと、どう考えてもアゼル兄を噂でしか知らないように感じられるんだよなぁ。
でも、食堂で威圧されて気絶するは、剣術の授業でボコられるは、それだけされて理解できていないってありえないでしょ?
「あぁ、ラーミルのお兄さんの事ね。
そこは私も分からないわ。
ニフェールちゃんの言い分は理解できるし、私も疑問ではあるけど相手側の情報が足りない以上何とも言えないかな」
そうですか……。
なら後は場当たり的に進めるしかないですね。
できれば順調に顔合わせが済めばよかったのですが、無理か。
それからちょっとお茶会に付き合い、ジャーヴィン家を後にする。
「ジルちゃん、ニフェールちゃん、また遊びにいらっしゃい!」
「ええ、また来ますわ」
僕は、ジル嬢の言葉に次いでお礼の言葉を言おうと思った。
でも、その前にカールラ姉様に言わなければいけない言葉があると思った。
「カールラ姉様」
「……何かしら?」
ああ、僕が何をいうのか気づいているんだ。
ホント、優しい姉様だよ。
「アゼル兄を声かけて、叱って、救ってくれてありがとう。
姉様のファインプレーが無ければ、冗談抜きで人を辞めていたかもしれない」
「お、おいおい、ニフェール。
礼を言うのはまだ分からんでもないが、人を辞めていたって……」
フェーリオが引きつり笑いしつつ止めようとするが、そんな事態じゃないんだよ?
「一歩間違えれば自殺の可能性もあったと言っているんだが?」
「え゛?」
やっぱり感づいてなかったか。
「アゼル兄だって人間だよ?
心無い人の言葉は身体にダメージ無くても精神には大ダメージが入るんだ。
それに耐えきれなければ、治癒が追い付かなければ、それは心の死につながる。
精神の世界から出て来なくなるかもしれないし、世界に絶望して死を選ぶかもしれない」
フェーリオ、お前も上に立つのなら覚えた方がいいぞ。
自分の言葉で部下の精神が死ぬ場合もあるってことを。
「僕はカールラ姉様の尽力があって生きて卒業できたアゼル兄と会えて、会話出来てる。
そんな幸せな結末をもたらしてくれたことに礼を言いたか――」
ガ キ ッ !
ム ギ ュ ッ !
……一つ目の音は僕の頭、というか首を捕まえる音。
……二つ目の音は捕らえて頭をカールラ姉様の胸に押し付けられた音。
「ニフェールちゃん、いい子ね。
でも、私の我儘もあったのよ。
アゼルを彼氏として欲しかったから頑張ったに過ぎないんだから」
「ぼべべぼ、ぼぶばぼびべば……」
「いや、姉さん、会話にならないから胸から外せよ!」
フェーリオ、ナイス!
「え~、いいじゃない!」
姉様、なぜか首相撲になっているんですけど?!
捻らないで!
(首が)もげちゃう!
「あまりそんなことしているとラーミルが拗ねますので、そろそろその辺で……」
ジル嬢、良く言った!
「あぁ、それは流石にまずいわね」
やっと納得して解放してくれた。
いや、柔らかかったですけど、アゼル兄が拗ねそうだからやめましょ?