パンの普及
漢字にすると麺麭。
パンの話である。パンが日本に伝わったのは1543年、安土桃山時代だそうだが、実際に日本全域にパンという食物が普及するのはもっと後のことであった。
1549年。天文18年のことである。当時の長崎県に、現在でいうところの料理研究家がおったそうな。名を琴田宗徳という。
世間ではフランシスコ.ザビエルというカトリック教会の司祭が日本へ渡ってきた時期である。いきなり日本へ布教をしにきたわけではなく、インドで布教をしたる後、日本へ渡ってきのである。いわば布教の行脚である。
さて、サビエルの話ではない。パンの話である。その料理研究家の宗徳のところにもパンというものが回ってきた。
パン。見慣れぬものが入ってきたものだ。どうして食ったものか。さて、宗徳の思案のしどころである。
宗徳は自分が食した様々な物について、後世に残す文献として、大体このように書いていた。
パンというもの、ふかふかとして餅にも似ておる。そのまま食しても味はほのかに甘味あるばかりで物足りぬ。西洋人は何をつけて食っておるのか。味噌を塗ってみたが、どうもいただけない。どうやら西洋人はこのパンにバタというものを塗っておるらしい。これは牛の乳からつくるというものだが、見当がつかぬ。そこで迂生なりにパンの食い方を考えてみた。醤油と出汁にこのパンを浸し、炭火で良い頃合いまで焼く。カリカリとなったパンの上から蜂蜜をかけて食す。これは上等な菓子のようでうまい。
といった具合である。宗徳は、近所に住む者にもこのパンの調理法を教え、なかなかの評判であったようである。惜しむらくはこの菓子、日本に広まることなく姿を消した。
しかし、この料理がそのまま後世に残らなかったのは宗徳としては無念であろう。しかし、料理研究家が発明した奇妙な料理が消滅することは少なくない。
これは流行らぬだろうな、と自らが作ったパン料理を齧りながら、薄々勘付いていた宗徳であった。