22. 有明の月、あなたとの一夜。
それは、まさかの誘いだった……。
突然の着信に誰かと思えば、『三栗屋翔太』の文字。わたしは危うくスマホを落としかけた。
動揺が止まらない。
どうしてだろう。
あなたとは、なんでもないのに。
「はい、佐藤です……」
「あ、そらちゃん? 三栗屋です」
「あの……、どうかされました?」
「あ、いや? あの今度メシ行かない?」
「えっ!?」
「ほら、ライブツアーもお疲れ様でしょ?」
「え、あぁ、まあ……」
三栗屋さんがご飯に誘ってくれてる!?
どういうこと!?!?
まさか、あのラジオを聴いてた?
いや、そんなわけない。
そもそも、あんな熱愛記事が出て……まさか、これは心配してくれてる?
頭の中は考えもまとまらず、やけにうるさかった。
しかし、断る理由も特にないので、わたしは三栗屋さんとの食事に行くことにした。
電話を切ってから思ったが、他にも誰かを誘っていたのだろうか?
聞けばよかった。
いや、聞けない。
聞きたくないわたしもいる。
また後から、笹竹さんが怒るだろうか?
でも、もしその日、告白して振られるなら……この食事は問題ないじゃないか。
そうだ。
本当はわたしから告白して、振られるべきだったんだ。
もっと、とっくの昔に。
そしたら今、こんなに引きずってなどないはず。
振られて終わりにすれば、TAKUMAさんとだって付き合える……。
数日後、その日はやって来た。
行ってみると、そこはオシャレなレストランの個室だった。
淡い光がわたし達を照らす。
「お疲れ様です」
「そらちゃんこそ、お疲れ様」
「今日はお誘い頂いて、ありがとうございます」
「何かしこまっちゃってるの?」
いつもクールな三栗屋さんが、目の前で笑っている。
このふと見せる笑顔が好きで、わたしはいつもドキドキさせられていたんだ。
「さて、飲み物何にする?」
お酒のメニューを眺める三栗屋さんの姿に、わたしは尋ねた。
「今日って、他に誰か来ますか?」
「えっ? いや、誰も?」
ふ、二人きり!?
三栗屋さんが、目の前できょとんとしている。
いやいや、きょとん? じゃないのよーー!
「そう、だったんですね……」
「誰か呼ぶ?」
「あっ、いえ……。ただ、珍しいなって思って。そのぉ、わたしなんかを三栗屋さんが誘ってくれるのが……」
「まぁ、そっか。そうかもね」
「心配、してくださったんですか? そのぉ、記事のこととか……。あっ、違ったらごめんなさい!」
「まぁ、それもあるかな……。でも、そのぉ、なんでもなかったんでしょ? その人とは……」
「はい……」
三栗屋さんは、まるで探るかのように、TAKUMAさんのことを口にした。
何故か、わたしと目を合わせてくれなかった。
それが知りたくて、わたしを呼んだ?
いや、まさかね?
気まずい空気が流れる前に、わたし達のもとに飲み物が運ばれて来た。
わたし達は乾杯した。
三栗屋さんは、わたしのライブツアーの話をいろいろ聞いてくれた。
最近のお笑いの話もしてくれた。
こんなふうに三栗屋さんと話せる日が来ると思わなかった。
わたしは、どこかホッとしていたことだろう。
あっという間に時間は過ぎて、わたし達は店を出る。
春はもうすぐそこまで来ているというのに、外は相変わらず寒かった。
「この後、どうする?」
「へっ……」
「まだ、時間ある?」
「は、はい……」
そうだ。
わたしは、まだ告白していない。
結局、できなかった。
今の関係が壊れることが嫌で、結局、何もできないでいる……。
でも、いい加減終わらせないと……。
「あの、三栗屋さん……。わたし……」
「うち来る?」
「へっ……!?」
え? 今なんて!?
き、聞き間違えた?
「こっから近いんだよ。うちで、飲み直す?」
「は、はい……!?」
えっ? えっ?
ちょっと、『はい』って言っちゃったじゃん!!
え、これって、三栗屋さんの家に行くってこと!?
わたしは、パニックだった。
一気に酔いが醒めていく。
「割と最近、ここに引っ越してきてさ」
「めっちゃ、広いじゃないですか! うわぁ、成功者の部屋……」
「どこのシンガーソングライターがそれ言ってんだよ」
三栗屋さんは笑った。
「まっ、一人じゃ、広くて持て余してるよ」
三栗屋さんは、冷蔵庫からビールを持ち出し、リビングのテーブルに置いた。
わたし達は再び乾杯し、飲み始めた。
三栗屋さんは、有明モンタージュの単独ライブの話や、コントの話を嬉しそうに無邪気に語ってくれた。
それはまるで、幸せに満ちた少年のようで、わたしには眩し過ぎた。
この人は、本当にコントが好きなんだなぁと思わせられる。
わたしは、ますます、振られる勇気がなくなった……。
わたしはズルかった。
さりげなく、時計を見る。
そして、終電がなくなるのを待っていた。
有名なシンガーソングライターになろうとも、わたしは今でも電車に乗る。
「あ、終電……!」
わたしは時計を見て、わざとらしく言う。
「あっ、終電……? もうそんな時間?」
三栗屋さんが知ってか知らずか、時計を見て、動きを止めた。
「でも、タクシーなら、関係なく帰れますけどね……」
三栗屋さんの様子を伺うように、わたしは言葉を付け加える。
「まぁ、そうだね……」
三栗屋さんからの返答には、引き留めたい気持ちがあまり感じられなかった。
何よ、こんな時間まで家に来させておいて……。
「帰れって言うなら、帰りますよ」
わたしは、心にもない言葉を口にした。
「あ、うん……。明日もお互いあるもんね? ごめん、こんな時間まで」
「……」
なんだ、結局、帰れなんだ……。
何に期待していたのか、わたしはがっかりしてしまった。
はじめから、脈なしの人だと分かってたじゃないか。
「俺だからいいけれど、こんな、のこのこ男の家に行ったらダメだよ」
「……!!」
追い討ちをかけるような一言だった。
「だったら、なんで? なんで、家に呼んだんですか?」
思わず、言葉が出てしまった。
「それは……」
「知ってるよね……。とっくに、わたしの気持ち!」
「……!」
「知ってて呼んだんじゃないの? そんな軽い女なわけないじゃん! 誰にでもホイホイついていくわけないじゃん!! それとも試した? コイツやっぱ、尻軽だなって思った? わたしのことは子供としか思ってないから、簡単に家に呼べた? わたしは!! あなたの家じゃなければ、来なかったよ!!」
「!!」
言ってしまった……。
言わずにいようとしたのに。
このまま、立ち去ろうと思ったのに。
終わってしまうことなんて、最初から分かっていたのに。
「もういい! ちゃんと帰るから!」
わたしは三栗屋さんに酷い言葉を吐き捨てて、背を向けると、そのまま部屋を出ようとした。
バカだ……。
わたし、ホントバカだ……。
誰かが、後ろから強引に腕を掴み、わたしを引き留めた。
「行くなよ……」
「へっ……」
ギュッと、腕を掴む力が強まった。
「……!」
わたしは、後ろから抱きしめられた。
自分の鼓動が、うるさい。
「三栗屋……さん……?」
「どこにも、行くなよ……」
「三栗屋さん、何を……酔っ払って……!!」
それ以上、何も喋れないように、彼はわたしの唇を塞いだ。
ねえ、キスするだけの関係って何?
わたしは、あなたに“やけど”している。
今でも、ずっと。
身体から、一気に力が抜けてしまった。
あんなに、怒りに満ちていたはずなのに。
三栗屋さんは、わたしを抱きしめたまま、耳元で囁くように口を開いた。
「ラジオ、聴いた……」
「ラジオ?」
「誰かにとられると思ったら、やっぱり、嫌だった……」
「へっ……!?」
「俺に告白して振られたら、そいつと、付き合うんだろ?」
「……!!」
「国民的バンドのドラマーか知らねぇーけどさ」
「えっ、あのラジオ、聴いてたんですか!? あの、いや、あれは……!!」
「なら、振らなきゃいいんだろ?」
「!」
「そしたら、そいつと付き合わなくて済むんだろ?」
「!!」
想定していなかった言葉の数々に、わたしは言葉を失っていた。
まさか、三栗屋さんが、ARATAさんのラジオを聴いていたなんて……。
「わたし、まだあなたに告白してませんけど……」
「ふふ、そうだね?」
ねぇ、これは、それでもいいと思える恋ですか……?
「わたしがこのマンションから出たら、またカメラに撮られるかも……」
「そうだね」
「週刊誌に載ったら、お互いの事務所が頭抱えて、わたし達、終わりですよ……?」
「撮られたら、撮られた時だ……」
「!」
「もう腹くくってる」
「えっ!?」
三栗屋さんは、わたしの頭にポンと手をのせ、撫でた。
「じゃなきゃ、ここに連れて来れないよ」
三栗屋さんは、わたしの目を見て、にっこりと微笑んだ。
その夜、わたしは三栗屋さんの家で一夜を過ごした。
早朝、ベランダに出ると、まだ暗い空に月が出ていた。
「有明の月……」
三栗屋さんもベランダにやって来た。
「いつから、好きでいてくれたんですか? どこを好きでいてくれたんですか?」
「いつからかぁ……。いつの間にか、好きだった……かな?」
「!」
「コントを踏み台にした女優じゃなくて、人を笑わせるために全力を出したいって思っていたところ……」
「それって、随分前じゃ……!」
「そうだっけ?」
「ただのお飾りだったら、誰だっていいことになっちゃうから」
「有明モンタージュが好きで、爆エン! やることにしたんでしょ?」
「知ってたんですか!?」
「相方から聞いた」
「動機不純ですよ」
「てか、ひと回り年下のめちゃめちゃ売れっ子のシンガーソングライターに、付き合ってなんて、こっちが言えるわけないでしょ?」
「な……!」
「しかも途中から来た新メンバーとは不倫するし」
「ちょ、それは、違っ……!」
「ったく、妬いちゃうね」
春がすぐそこまで来ている。
でも、この時期の朝は、ちょっとまだ寒くて、ベランダは冷たかった。
けど不思議と、心の中はホクホクしていた。
そして、有明の月が、わたしの全てを見つめていた。
ついに、武道館ライブを開催!!
夢を叶える時が来た!!
そして、皆様に大事なご報告があります……。
来週に続く