夢と現実の間で
もう、あなたの事が好きではないの。
愛する婚約者からの、信じられない言葉にただ呆然とした
耳鳴りが止まない
頭が、叩かれたようにガンガンと、痛む
愛する人の声が遠い
足元から地面が消えたような感覚
倒れはしないが、立っているのがやっとだった
俺のどこが悪かったのか。
そう問えば、彼女は見たこともないような嫌悪の表情をしていた
全部よ。と
今度こそ立っていられず、膝から崩れ落ちた
涙も、声も出ない
無様な姿勢でただ彼女を見るばかりだ
彼女は振り返ることすらなく、そんな自分を置いてどこかへ行ってしまう
拒絶され、縋り付くことも出来なかった
生きる希望を失くしてしまった……
「っ!!」
冷や汗と共にティタンは起きた。
ひどい夢だ。
愛する人がけして言うはずのない言葉を発し、向けるはずのない嫌悪の顔で、ティタンを拒絶した。
ぐちゃぐちゃになった頭と感情。
夢だったと今なら気づけるが、リアリティの強いあの情景は、なかなか頭から振り払えない。
彼女に会いたい
抱きしめたい
愛してると言ってほしい
たかが夢一つに翻弄される弱い自分が、たまらなく情けなくなった。
会った瞬間には彼女を抱きしめた。
驚いてはいたが、優しく背中に手を回され、ポンポンとあやされる。
夢は夢よ、私はあなたの事を愛していますわ。と伝えられる。
良かった、嫌われてなかったと、ホッとした。
次の日も、またひどい夢だった
彼女の婚約者は既に自分ではなかった
見知らぬ男に向けるは、愛情あふれる見知った笑顔
自分に向けられていたあの愛らしい顔が、あのきれいな声が、自分じゃない者に向けられている
絶望を上回る憤怒が駆け巡る
彼女の隣に立つのは俺だ!
お前ではない!
怒鳴りつけたいのを必死で我慢した
ここまでなっても、嫌われたくなかった
話しかけることも出来ず、その場で見ている事しか出来なかった
握りしめた拳が震える
起きた後はぐったりした。
もう嫌だと叫び出したかった。
次の日、思わず自分に不満はないかと聞きに行った。
焦りすぎて他に好きな人が出来ていないかも尋ねてしまった。
彼女はそんな人はいないと笑顔で返してくれる。
よく眠れるようにと、ハーブティーを貰った。
ティタンの従者は呆れた顔で見ている。
心配性過ぎると言われてしまった。
…気づけば彼女の肩を、見知らぬ男が抱いていた
もう我慢は出来ない
関係が壊れてもいい
ティタンは、男を止めに入る
いかに自分が彼女を愛しているかを、訴えた
言葉を尽くし、心を尽くし、話した
全ての想いを曝け出した
それなのに、ただ嘲笑われただけだった
ティタンの事は邪魔なだけだと言われ、二人はティタンの存在すら否定をした
あまつさえ男はティタンの目の前で彼女にキスを迫る
我慢出来るわけもなかった
妙にリアルな感触だ
気づけば男を殴りつけ、顔の形もわからなくなる程拳を叩きつけた
視界はぼやけ、意識もぼやけるが、ただただ目の前の男を殴りつけるだけた
ピクリとも動かなくなって、ようやく手を止めた
彼女の顔を見るのが怖くて、振り向くことはしなかった
やがて視界が黒く塗りつぶされる
「また夢を見た、嫌な夢だ」
「それは不安でしたよね。私ならきっと泣いてしまいます」
ティタンの部屋にて。
ミューズがティタンを心配して、朝から彼のもとを訪れていた。
ティタンは今日も愛する婚約者を抱きしめる。
夢か現実かもわからなくなる程押し寄せる悪夢に、ティタンは疲弊し、傷ついていた。
「私にはティタン様だけですよ」
よしよしと撫で、慰める。
「わかっている。ミューズが俺を裏切るわけがない」
あれだけの悪夢を見た後の、ティタンの願いは一つだけ。
ミューズに嫌われないこと。
夢とはいえ、男を殴ったことは後悔していないが。
ミューズが認めた者でも、だめだ。
「顔色もひどいし、少し休みましょう」
気遣う彼女の声が優しくて愛おしくて、そのまま浸りたかった。
もっと話していたい。
「眠るのは、嫌だ。もっとひどいことになるかもしれない」
「私が付き添いますわ、大丈夫ですからね」
ティタンの手に自分の手を重ねた。
ティタンは促されるまま、ベッドに横になる。
従者も侍女も外に出される。
まだ婚約者のため、二人きりになるというのはあまり良くないが、ティタンの顔色が相当ひどかったのもあるだろう。
外に護衛が配置されるくらいに留まった。
「お側におります、ゆっくりと休んで下さい」
幼子のように、ティタンはミューズに手を繋いでもらう。
眠りにつきたくはないが、ミューズがいる安心感からか、眠気が出てくる。
「愛しております、ティタン様」
そっと額に口付けられた。
ティタンは安心して目を閉じた。
ティタンの寝息が聞こえ、安堵する。
三日でここまで憔悴するとは、余程傷ついたのだろう。
しかし、続けてこんなに悪夢を見るとはおかしな話だ。
内容がミューズに関係のあることばかり。
何かあるに違いない。
夢の中とはいえ、ティタンを傷つけるのは許せない。
そっとティタンの手を外すと、ミューズは部屋を探る。
不審なものはないかと隈なく調べたが、特に変わったものはない。
「ミューズ…」
ティタンの呟きに、急いで駆け寄る。
苦悶の声と、表情。
ティタンの手をヤサシク包む。
「私はここにいるわ」
夢の中の自分は偽物だと伝えたい。
ティタンの手に力がこめられ、体が強張った。
「愛しているの。あなたの事を、誰よりも」
ティタンは苦しそうに表情を歪め、瞼が微かに動いている。
夢の中で、今どうなっているのだろうか。
「きゃっ?!」
突然、腕を引っ張られた。
ミューズはティタンの上に覆い被さってしまうが、ティタンの両腕はそのままミューズにまわされ、離れられない。
離れようともがくが、体格と力に差がありすぎて動けない。
「愛してるんだ…」
穏やかな表情と、穏やかな声。
縋り付くティタンに身を委ね、目を閉じる。
「えぇ、私も愛してる」
暗い、暗い闇の中、目の前のミューズはティタンを傷つける事ばかりを言う
「あなたと一緒になっても、王妃にはなれないもの」
ティタンは第二王子だ。
王位継承権はあるものの、王になることは恐らく、ない。
「顔立ちだって、エリック様はあんなにもキレイなのに、あなたときたら全く似ていない…私に相応しくないわ」
兄のエリックは確かに美しく、称賛されている。
白い肌に切れ長の目。
金髪翠眼はまさに物語に出てくる王子様だ。
自分は違う。
同じ兄弟でありながら、肌は浅黒く、髪は薄紫で父とも母とも違う色だ。
お世辞にも整った顔立ちとは言えない容姿で、剣を握る手は節くれ立っている。
鍛えた体はミューズを余裕で隠してしまえるほど大きい
。
女性化に好かれるような容姿はしていないと自分でもわかっている。
それに比べてミューズは美しい。
豊かな波打つ金髪と幼さの残る可愛らしい顔。
時に自分という婚約者がいるのにも関わらず恋文が来ているのも知っている。
ティタンが丁重にお断りを入れているが。
男性からも女性からも羨まれるウツクシサであるが、ティタンは彼女のオッドアイが特に好きだ。ず
っと見つめていたい程に。
「からかっただけよ、あなたを愛してなどいないわ。婚約者なんて、なりたくなかった!」
王命で結ばれた婚約だった。
悲痛な声とティタンを否定する言葉。
ティタンは詰られるままだ。
夢と気づくまで、この会話はティタンにとって現実だった。
吐き出して楽になるのなら、ミューズに全ての不満をぶつけられても構わない。
しかし、本当は堪らなく苦しいのを感じていた。
「ミューズ…」
返す言葉がない。
ミューズも辛いのだろうな。
こんな不甲斐ない自分が婚約者で申し訳ない。
いっそ、解放した方がいいだろうか?
婚約を解消する勇気はまだ出ない。
例え嫌われても。
その時右手に感じた、温かな手の感触。
小さく柔らかい。
しかし何度も感じたことのあるその感触は、懐かしさすらある。
自分はこの手を知っている。
思わず手に力を込めた。
気持ちが落ち着く。
(…愛している)
やわらかな声が頭の奥で聞こえる。
安心する、包まれるような感覚。
目の前のミューズは相変わらず噛みつくようにティタンを罵っている。
右手に感じるものに縋り付いた。
支えが欲しい。
目には見えないが、ふわっとしたそれをティタンはいだくように両手で包み込んだ。
そうすると安心感や、ミューズに本心を告げる勇気がわいてくる。
「ミューズを愛している…」
何を言われようが嫌われようが、今後離れることがあろうが。
どう足掻いても、ティタンの心はそこに行き着いてしまっていた。
優しく抱きしめたものが徐々に形となる。
「私も、あなたを愛している…」
ぼやけたものが形となる。
愛しい人が自分を抱きしめていた。
「ミューズ…」
ふわりとした笑顔はいつも見る表情だ。
慈しむような、柔らかい笑み。
「ティタン様。私はあなたが好き。あなたとこれからもずっと一緒にいるわ」
ティタンの背中に回された手に、力がこもる。
離れないようにと。
本当の、愛しい人だ。
この温もりも匂いも、紛れもなく俺の婚約者だ。
では、目の前で自分を罵っていたあれは、誰だ。
「お前は、誰だ?」
夢の中だと、なんとなくわかってきた。
それと共にはっきりしていく。
現実のミューズはティタンを否定しない。
ひどい言葉で罵ったこともない。
他の男と二人でなんて、いることもない。
ティタンから離れる時は、女性の従者や侍女が必ず彼女の側にいた。
第二王子とはいえ、王族の婚約者に不埒に近づく者は
、静かに排除されている。
ティタンを差し置いて肩を抱くほど近づける男性は、現実にはいないのだ。
夢とは、自分の心の中や気持ちを映すという説もあるが、ティタンはこんな夢を見るまで、ミューズが自分を嫌っているとは疑いすらしていなかった。
多少自分に自信がないものの、それらをはねのけられるよう努力をしていた。
ミューズは常にティタンを肯定してくれていたから、必要以上に卑屈になることもなかった。
そして彼女も、居るだけで素晴らしい人なのに、ティタンのために更に努力をし続けていた。
互いを高め合い、認め合う存在。
最高のパートナーだ。
それを壊すように現れたこいつは、一体何者だ?
「お前はミューズの姿をして、俺に文句を言いたかったのか?」
止まっていた時が動き出す。
罵られて落ち込んでいたティタンではない。
明らかに夢と気づいたティタンを見て、偽物のミューズは慌てて逃げようとした。
その姿を見て、ティタンは怒りを覚える。
こんな奴のせいで、自分は傷つき、ミューズに心配をかけたのかと。
夢とはいえ、現実に則した姿だ。
ティタンは服の内ポケットに手を入れ、あるものを探す。
護身用に入れてあるナイフが、変わらずそこにあった。
狙いを定め、力いっぱい偽物に向かって投げつけた。
「!!!」
ナイフはミューズの姿をしたそれの背中に刺さり、それとともに消えた。
暗い帳が上がっていく。
「ミューズ…」
目を開ければ彼女の髪が見えた。
ふわふわな髪からは花のような芳しい匂いがする。
回していた手に力を込めれば、柔らかな肢体、丸みを帯びた女性特有のものが、自分に触れているのを鮮明に感じる。
本物の、現実に生きて存在する愛しい人。
「ティタン様、もう大丈夫ですか?」
「あぁ。でももう少しこのままで…」
あと少し、あと少しと思いながら目を閉じ、いつしか穏やかな気持ちで眠りについてしまった。
抱き合って眠る二人は、従者であるマオに起こされるまで幸せそうに寄り添っていた。
「すっかり落ち着きましたね」
「うむ、あれからあのような夢は見なくなった。ミューズのおかげだ!」
元気にはつらつと笑うティタンからは、あのように悩んでいたのが嘘のように感じられる。
二人で楽しく昼食をとり終え、談笑していたところ、マオがミューズに声を掛けた。
「ティタン様、間もなくお仕事になるですよ。そろそろ行くです」
マオの促しに、ミューズとティタンは立ち上がった。
「また後でな」
親子くらいの身長差があるため、ティタンは少し屈んでから、額に口づけをする。
ティタンは最後にミューズの髪を撫でると、仕事場へと向かった。
ティタンの後ろには護衛騎士のルドが無言で付き従う。
「ティタン様は良い人ね…」
「良い人です。ですがもう少し、しっかりして欲しい部分もあるのです」
マオはミューズと二人で話しをするため、少々早い時間だがティタンに声を掛けた。
ティタンはそれに気づいていない。
「ねぇ、マオ。誰がティタン様を傷つけたのかしら」
ミューズは怒っていた。
あのような抵抗も出来ないような夢の中で、悪趣味なものを見せて、苦しめて。
相談を受けて、すぐに夢の事象を調べた。
夢魔、夢渡り、凶夢、正夢、白昼夢、明晰夢、ナイトメア、エンプーサ…
数々の文献と、詳しい人からの話を聞いた結果、他者から悪夢を見せられたのだと疑っていた。
「夢でも人を殺せてしまうわ」
それをティタンに向けたとは、ミューズにとって許し難い行いだ。
「私から、ティタン様を離そうとしたのかしら」
ティタンは王族であるが、彼を軽んじるものが多い。
ティタンが王族として必要な魔力を持たない事、そして第一王子、第三王子と比べて勉学に疎いという事で、侮られていた。
そのためティタンの魔力の低さを補うため、そして臣籍降下しても生活に困ることがないようにと、王命にて幼き頃に公爵令嬢のミューズと婚約を結んだ、とされている。
ミューズは公爵の一人娘、その夫はゆくゆくは公爵となる事が決まっている。
その地位を狙っているものは多い。
ティタンへの間違った噂は、皆が彼を見下す原因となっていた。
爵位が低い者ですら、ティタンを誤解をし見下しているため、彼からミューズを奪おうと思う者もいる。
ティタンさえいなければ公爵になれるとの、ミューズが本気で拒めば王命を覆し、婚約者を替えられるのではとの、間違った認識。
王命は絶対であるのに。
「どんな事をしても、私はティタン様から離れないのに」
ティタンの魔力は低いわけではない。
剣の道を極めようと、魔法の使い方を学ぶのを疎かにしていただけだ。
属性魔法は使えないものの、剣と相性の良い身体強化魔法を習得している。
勉学については、そもそもティタンの兄と弟がずば抜けているだけで、普通なくらいだ。
周囲に凄い人が多すぎて、ティタンが霞んでしまっただけの事。
容姿については確かに美形とはいえないかもしれない。
だが愛嬌があり、精悍な顔つきの彼がミューズは好きだ。
あの太い腕も広い胸板も全てが好みで、剣を振るうその姿もずっと見ていたいほど素敵だ。
無理矢理婚約者にされたわけではない。
この婚約を王命としてもらったのは、ミューズの願いでもあるのだ。
この婚約を他の者に邪魔されないように。
今では逆に、逆らわせない為の政略結婚だと言われてしまった。
「ミューズ様。本題なのですが、ティタン様の投げたナイフは、偽物に刺さったと聞いてるのです。同じ頃に、謎の体調不良を患った令息がいるそうですよ」
疑わしいものだ。
「その令息は、過去にミューズ様に恋文を送り、ティタン様にこっぴどく怒られてるのです」
「そう、わかりやすいわね」
ミューズは嘆息した。
証拠を見つけるのは難しそうだが、もしも関連さえわかれば王族に害しようとした罪で終身刑や死刑だろう。
悪夢をけしかけた令息が、夢ではなく現実にて責められる。
ただそれだけの事だ。
あれからミューズはこまめにティタンの部屋を訪れていた。
ティタンと悪夢を結びつけたのは、使用していた枕に原因があったようだ。
定期で替えられるが、その時に紛れ込まされていたのだろう。
ティタンはそのあたりに執着もしないし、無頓着だったから、変わっていても気づいていなかったそう。
あれからティタンは悪夢は見なくなったものの、自室に頻繁に訪れるミューズに対して、気が気でなかった。
悪夢とはまた別の、落ち着かない時間が増えてしまった。
お読み頂きありがとうございました。
短編は難しいですね、削りまくりでした。
こわい夢見たので執筆しました。
悪夢に傷つきまくりです、夜中に泣きました。
いいね、ブクマ、☆☆☆☆☆など、応援して頂けると励みになります。
今後も作品をよろしくお願いします(*´ω`*)
同名キャラにて他作品も手掛けています。
違うシチュエーション、違う立場のキャラクター達が織りなす物語は、ハピエンばかりです。