幸福手術_
「四組の七川さん幸福手術を受けたらしいぜ?」
「マジ? あの可愛い子だよな? すげぇ。金持ちだったんだな」
「いや。なんでも、親が心臓を売っぱらったらしい」
「マジかよ——」
昼休み、一人寂しく弁当を食べていると、そんな噂話が聞こえてきた。煩い教室でなんでそんな話が聞こえたのかというと、その噂の七川さん。七川愛奈は俺の彼女だからだ。
付き合ったのは去年の十月三日。学園祭の準備で仲良くなった。高校生カップルにしては随分続いている方だと思う。彼女の儚い笑顔が好きで、学園祭を一緒に回ろうと誘い、当日に告白。晴れて恋人になったわけだが、実はこの三か月間会えていなかった。別に喧嘩をしたわけじゃない。今噂されているように、愛奈が手術を受けていたからだ。
「幸福手術」ここ数年前に話題になったと思ったら、いつの間にか生活に溶け込んでいた言葉だ。手術を受けた人は幸福になるらしい。厳密に言うと、全ての出来事が幸福に感じ、不幸を感じなくなるらしい。今では日本人口の10%が幸福手術を受けている。生まれたての赤ん坊にさえ、おっぱいを飲ませる前に手術を受けさせるなんていうんだから驚きだ。
今日は愛奈が三か月ぶりに登校する日。実はまだ会っていなかった。なんだか、照れくさいというか、恐ろしいというか。毎日連絡を取っていたとはいえ、三か月も顔を見ていないんだ。なんだか、全くの別人になっていそうで怖かったんだ。
六限の授業も終わり、下校の時間。俺も愛奈も部活はしていない。愛奈は片親で高校を出たら直ぐに働くつもりらしい。俺もそんな愛奈を少しでも支えたいと思い、バイトをしていた。三か月前まで毎日待ち合わせをしていた玄関に急ぐ。怖いと思いつつも、足はどんどん速くなっていった。階段を降りて、少し行くと——
「愛奈……」
「流矢くん! 会いたかった!」
愛奈が抱きついてくる。俺は受け止め抱きしめた。彼女が腕の中にいる感覚。なんて幸せなんだ。
「良かった。手術成功したんだな!」
「なにいってんの。ちゃんと電話で教えたじゃん」
「それでも、実際に見てみないと。本当に良かった。実はなんだか、愛奈が消えちゃうような気がしてたんだ」
「消えないよ!」
愛奈が笑う。今までのような憂いのない、まるで不幸なんて一切ないようなはつらつとした笑顔だ。愛奈が手を引く。
「早くデートに行こう!」
「おう!」
俺達は学校を出た。デートと言っても二人とも金のない身。だから、ファストフード店でジュースとソフトクリームを頼んで話したり、公園でのんびりしたり。そんなもんだ。今日は久し振りのデートだから、コンビニでおやつとジュースを買い込んで公園でピクニックをすることにした。
朝からバッグに忍ばせていたレジャーシートを広げておやつを並べる。人のいない小さな公園で、ここはいつも来るお気に入りのデートスポットだった。二人で座りポテチの袋を開いた。
いつも何を話していたんだっけ? 改めて話そうとすると話題に困る。
「私さ。本当は手術受けるの怖かったんだ」
愛奈が言う。
「……そりゃ、そうだよな」
「うん。でも、今は受けて良かったって思ってる。手術受ける前は流矢君が支えてくれたし、手術は成功して今私とても幸せだから」
「そうか。良かった」
俺は長く息を吐いた。いつの間にか息を止めていたみたいだ。緊張が解けると、なんだか馬鹿らしくなってくる。こうしてみればいつもと変わらない。いや、いつもよりも幸せそうな愛奈だ。
「そういや、髪型変えたんだな。前は髪を結んでいたのに」
「そうなの! 似合ってる?」
「すごい似合ってるよ。前の髪型も好きだったけど、今の髪型も良い。こう。エネルギッシュな感じで」
結んでいたときは下の方でまとまっていた髪が、今は風に吹かれてなびいている。愛奈の柔らかな髪を見ると風の形がわかるようだ。
「あれ? でも、あの髪留めはもう使わないのか。お母さんの形見だったんだろ?」
愛奈のお母さんは愛奈が中学生のときに亡くなった。愛奈はお母さんのことが大好きで、だから形見の髪飾りを肌身離さずつけていると言っていた。小さなエメラルドのついた黒い髪飾りで、その大人びた感じが愛奈に良く似合っていた。
「あぁ、あれね。なくなっちゃったんだ。多分入院のときのごたごたで」
「なくなっちゃたんだって。あの髪留め愛奈すごい大切にしてたじゃん。毎日つけてさ」
「うん。でも、まぁなくなっちゃたものは仕方ないよ」
「そりゃそうだけどさ」
「流矢だって、私がずっと悲しんでいるより。良いでしょ?」
「まぁ……」
俺は違和感の正体に気が付いた。愛奈はこういう時に悲しむ子だった。俺が大切にしていた腕時計が壊れたときだって悲しんで泣いてくれたのに、お母さんの形見の髪留めをなくして悲しまないわけがない。
「なぁ」
「なに?」
愛奈がポテチを食べながらこっちに振り向く。俺はなるべく避けていた話題を口に出した。
「幸福手術ってすごいお金がかかるんだよな。愛奈の家はお父さんと二人暮らしで、お父さんは病気があるから働けなくて。だから、愛奈は今もバイトをいっぱい入れてるし、卒業したらすぐに就職するつもりなんだよな」
「うん。そうだよ」
「じゃあさ。どうやって幸福手術の医療費だしたんだよ」
「あー。それは。ね」
愛奈は言いづらそうに笑う。
「俺、噂を聞いてさ。結構話題になってるやつなんだけど。その……。愛奈の親が心臓売ったって」
俺の言葉に愛奈は素直に頷いた。
「そうだよ。お父さん病気で、お薬のお金とかすごいかかってたし。お母さん死んじゃって、辛かったみたいでさ。だから最後に私のためにって。使える臓器全部売ってくれたの」
「売ってくれたのって……」
「お父さん優しいでしょ? だからね。お金はいっぱいあるから、大学に行けることになったの。私、流矢君と同じ大学に行きたいな。でも、大学行かないつもりで全然勉強してなかったから、教えてね?」
「いや、なんでそんなに幸せそうなんだよ! お父さんが死んじゃったんだぞ!」
「そうだよ?」
「そうだよって。なんで悲しまないんだよ」
「え? だって別に悲しくないし。私は幸せだよ?」
愛奈は本当に幸せそうだった。不幸なんて一ミリもないって顔で、微笑んでいる。でも、その顔がのっぺりとした作り物のような気がして。俺の顔はそうとう引きつっていたと思う。
「そうだ! 流矢も幸福手術受けようよ! お金は私が家のものとか売ってなんとかするからさ。流矢が幸せになってくれれば私も幸せだから」
「いや。大丈夫だよ。俺は今でもう十分幸せだから」
「そんな。遠慮なんてしなくていいのに。手術したからわかるけど、私手術を受ける前は本当に不幸だったんだよ? お金もないし、お母さんは死んじゃったし、病気のお父さんの面倒も見なくちゃいけないし。でも、手術をしたら全部気にならなくなったの! 流矢くんも手術をしたらきっと今がどんなに不幸か分かってくれるよ」
「大丈夫だって言ってるだろ!」
口に出してから、すぐに後悔した。きつく言い過ぎた。だけど、愛奈は全く傷付いている様子なかった。
「お金だって、家のもの全部売っても足りなかったら、私の臓器を売れば良いからさ。お父さんが使ってた伝手があるから、きっと高く売れるよ。なんたってjkの臓器だからね」
「もうやめろ!」
俺は愛奈の口を手で強引に塞ぐ。愛奈は不思議そうに黙った。
「愛奈。お前おかしいよ。言ってること全部……。それに、俺が愛奈の臓器売るって言われて喜ぶと思うのか?」
「喜ばないの? 私は幸せだけどな。大好きな流矢くんのために出来ることは全部してあげたいし」
「俺は、愛奈が俺のために臓器を売ったって聞いたら悲しいよ。臓器じゃなくたって、家のものも。お父さんとお母さんとの大切な思い出があるんだろ?」
「思い出はあるけど、でも二人とも死んじゃってるし。悲しくなんてないよ?」
「それがおかしいんだよ。愛奈。お前幸福手術を受けてからおかしくなってる。悲しいってなんで思えないんだよ」
そう言って俺は気が付いた。「幸福手術」全ての出来事が幸福に感じ、不幸を感じなくなる手術。もしかして、この手術は悲しいって言う感情を消す手術なんじゃないか。悲しいって思えなければどんなことでも、幸せを感じられるのかもしれない。でも、悲しいって思えないなんて、それは……。
「そんなにおかしいかな?」
愛奈が言った。
「流矢くんは悲しいって思えなければ人間じゃない。みたいに言うけど、悲しいって感情って本当に必要? 悲しいって思えなければ、世界はこんなに違って見えるのに。幸せに満ち満ちているのに。ねぇ。知ってる? 戦争をやってる国はね。国民の殆どが幸福手術を受けてるんだって。だから、みんな苦しまず幸せなんだよ? それって戦争をやってない日本に住んでいる私たちより幸せじゃない?」
そう言うと愛奈は制服のボタンを外し始めた。上から一つづつ。彼女の下着が見える。
「なにやってるんだ。こんなとこで!」
自分の彼女が目の前で服を脱いでくれるのは嬉しいが、場所が悪い。いくら人がいないといっても、まだ日のある公園で脱がれるのは困る。俺は自分の上着を愛奈に被せ、人目につかないように庇う。
「良いもの見せてあげる」
「今じゃないだろ!」
「ほら。私の手術痕……」
服をたくし上げたそこには、ぽっかりと穴が空いていた。その場所は、本来心があるような……。そんな場所に穴が空いていた。
「幸福手術はね。胸を軽くしてくれるの」
何も言えない俺を愛奈は抱きしめた。
「一緒に幸福になりましょ?」
首筋にちくりと痛みが走る。そして、意識が…と……お……k……。
大学の課題で書いたやつです。荒いけど、面白く書けたので