第6話:今夜の抱き枕
「ええ!? アルピオーネ山脈をこの冬の季節に超える……んですかい!?」
畳が敷き詰められた一室に集まった面々が、長方形の木製のテーブルの前で足を崩しつつ座り、さらにはお茶受けのせんべえをかじっていた時の話である。カゲツ=ボーリダックは、アルピオーネ山脈を北東へと迂回し、次の国であるブルガスト王国へ入る予定だと、アンドレイ=ラプソティたちに言う。
当然のことながら、カゲツ=ボーリダックはアンドレイ=ラプソティたちとしばらく、乗り合い荷馬車で旅を続けられると思っていた。ならず者たちを指先ひとつでダウンさせてくれるような天使たちと同行出来るのは、心強いことこの上無い話であるはずだった。
しかし、アンドレイ=ラプソティは残念そうな顔つきで、自分たちは理由あって、あの雪で閉ざされたアルピオーネ山脈を縦断しなければならないと言ってくる。
「確かにここから北東へ大きく迂回するよりかは遥かに早く神聖マケドナルド帝国に辿り着くこはできますけども……。そこまでして、急がなければならないことなんですかい?」
「はい。1日でも早く、あの帝国の首都に向かわなければならないのです。ダン=クゥガーなる男が私をもっと苦しめたいと言っていたので」
「わかりやした……。何か引くに引けない事情がありますなら、これ以上、止めはしませんぜ。でも、しっかりと準備だけは整えてくだせえ。いくら天使様と言えども、悪魔すらも氷つかせるというあのアルピオーネ山脈を越えるですから……」
カゲツ=ボーリダックはそこまで言うと、一度、言葉を切る。そして、メモ帳を取り出し、そこに何かを書き込んでいき、さらにはハンコを押すのであった。そして、そのページを千切り取り、アンドレイ=ラプソティに手渡してくる。
「あっしが出来るのは、防寒具を売っている店を紹介させてもらうことくらいですわ。この印紙を店長に渡せば、2割引き、いや、3割引きしてくれるはずですぜ」
「ありがとうございます。でも、私たちはお金にそれほど困っているわけではないのですが……」
「おい、アンドレイ。ひと様の御好意はありがたく受け取っておけよっ。こっちには大喰らいで年頃のアリス嬢ちゃんがいるんだぞ!?」
「ベリアルは何かにつけて、ボクに喧嘩を売ってくるのデス。ミサさん、ユーリ。ベリアルを動けないようにしてくだサイ」
ベリアルがちょっと待ってくれ! と女性陣に訴えかけるが、女性陣は皆、アリス=アンジェラの味方であった。七忍の御使いのひとりであるミサ=ミケーンは、ベリアルを羽交い絞めにし、ユーリはベリアルの右足に乗っかる。さらにはアリス=アンジェラがベリアルの左足を固定する。
ベリアルは戦々恐々となるが、あーーーっ! という叫び声をあげるしかなかった。なんと、アリス=アンジェラは眼から光線をベリアルの股間に一点集中させたのであった。ベリアルは女性陣に解放された後、横倒れになりながら、顔を両手で覆い、さらにはお婿さんにいけない身体になったと言いつつ、シクシクと涙を流すのであった。
「不浄すぎるモノを焼いてみまシタ。本気で焼いたわけではないので、一晩寝れば、機能は復活するはずデス」
「こっそり温泉宿から抜け出して、遊女を買おうとしてたのに……。こんなひどい話がどこにあるんだ!?」
「アホは放っておくニャン。アンドレイ様。寝る前にマッサージさせていただきますニャン」
ミサ=ミケーンのこの一言を受けて、ベリアルがアンドレイ=ラプソティの方をギリギリッ! と歯ぎしりしながら睨みつけることになる。何、ひとりで良い事しようとしているんだ!? と眼で訴えかけてくるベリアルである。アンドレイ=ラプソティはベリアルから視線を逸らしつつ、小声で、ぼやきを漏らす。そのぼやきを悪魔耳で拾い上げたベリアルはにんまりと悪魔の笑みを浮かべるのであった。
「さあって、寝るかぁっ! アンドレイの邪魔をするのも悪いからなぁ!?」
「察しが良くて、助かりますニャン。じゃあ、あちきとアンドレイ様は別室に行かせてもらいますニャン」
「誰か助けてください……」
アンドレイ=ラプソティはミサ=ミケーンにずるずると引っ張られて、皆が揃っている部屋から退出していってしまう。アンドレイ=ラプソティが助けを乞う声は彼がこの部屋から消えた後もしばらく廊下をコダマしていたが、誰も彼を助けようとはしなかった。むしろ、そのまま性的に喰われてしまえっ! というのが大人組の正直な想いであった。
アンドレイ=ラプソティとミサ=ミケーンが部屋から退出したことで、残された面々は、この部屋と襖で遮られている部屋へと入っていく。そこには敷布団と掛布団と枕が1セットでいくつか畳の上に並べられていた。
カゲツ=ボーリダックは自分の隣に寝るのは、娘のユーリだとばかり思っていたのだが、そこに追いやられたのはコッシロー=ネヅであった。そして、ユーリと言えば、布団をずらし、アリス=アンジェラが寝る布団とくっつけたのである。
「アリスお姉様が寒いとおっしゃるなら、いつでもユーリがアリスお姉様の布団の中に転がりこませてもらいます!」
「あ、ありがとうございま……ス? でも、ボクはコッシローさんを抱き枕にしないと、よく眠れないのデス」
「それなら、わたしを抱き枕にしてください! コッシローさんよりも遥かに抱き心地が良いと断言できます!」
この百合百合しいカップルに、他の面々は訝し気な表情を浮かべる他無かった。ベリアルは自分がユーリに施した『魅了の毒』が、こんな風に華開くことになるのは、計算違いだったと思わざるをえない。しかしながら、ユーリの魔の手に脅かされるのは、アリス嬢ちゃんだけであるので、就寝中に何か起きたとしても、見て見ぬ振りをしておいてやろうという親心を発揮することにした。
アリス=アンジェラの抱き枕役を取られたコッシロー=ネヅは、たまにはその役目を誰かに譲るのも悪くないと思い、さっさと布団の中へと頭ごと突っ込む。しかしながら、この中でひとり、娘が巣立っていくことにシクシクと枕を涙で濡らしていた人物が居た。それはもちろん、ユーリの父親であるカゲツ=ボーリダックであった。
娘のユーリが男の子よりも、女の子に関心を持っていることには、気づいてはいた。しかし、そこはデリケートな部分であり、娘を傷つけないようにしてきた。そうでありながらも、宿屋で部屋を借りる時は、いつもお父ちゃん、お父ちゃんとべったりくっついてきてくれたユーリである。
(ああ、我が娘よ。思えばもう14歳なのだな。創造主:Y.O.N.N様。どうか我が娘が明日、泣きじゃくらないように、彼女に慰めの御言葉をかけてください)
カゲツ=ボーリダックは、娘のユーリがアリス=アンジェラに対して、特別な感情を抱いていることはすぐにわかった。姉妹愛と言うよりは女と女の間にある愛だ。温泉施設からこの2人が仲良く手を繋いで外に出てきたが、あの時点で何となく察していたのだ。さすがは娘のことを普段からよく見ている父親なだけはある……。