第3話:ボーリダック
クロマニョン王国の領土の内、北西側の3分の1はアルピオーネ山脈に支配されていた。そのアルピオーネ山脈のすそ野とそこに添うようにクロマニョン王国が展開されていたのである。これは国防という面において、優れた立地とも言えた。北西にアルピオーネ山脈があるということは、隣接する国は2か国しかない。南東に位置するトルメキア王国くらいなのだ、脅威となるのは。
西には地中海が広がり、イタリアーナ王国からの侵入が心配さられたが、そのイタリアーナ王国は北部をアルピオーネ山脈で完全に蓋をされているために、どうしてもクロマニョン王国と友好を結ぶしかない。何かあった時に頼る国がクロマニョン王国しか無いからである。
そして、クロマニョン王国は立地の上で、トルメキア王国さえ注意しておけば良い。西エイコー大陸と中央エイコー大陸の玄関口であるトルメキア王国よりかは国土を護りやすかったのである。しかしながら、その常識を打ち破ったのが神聖マケドナルド帝国であった。わざわざ東に大回りに神聖マケドナルド帝国が侵攻してきたため、クロマニョン王国は為す術なく神聖マケドナルド帝国兵に踏みつぶされるしか無かったのだ。
神聖マケドナルド帝国という巨大な帝国が出来上がっても、クロマニョン王国は平然と平等な国交を神聖マケドナルド帝国と結ぼうとしていた。だが、神聖マケドナルド帝国はクロマニョン王国の北や北東に位置するブルガスト王国、セシリア王国をたった1カ月ほどで征服してしまったのだ。慌てたクロマニョン王国の王族・貴族たちはそれでも、神聖マケドナルド帝国はそれらの国々で一旦、足を止めると思い込んでいた……。
「神聖マケドナルド帝国が樹立された後にも、対等な立場で物申す国々が乱立したのですニャン。でも、レオン=アレクサンダー帝のすごいところは、それらを武力で平定してしまったことですニャン」
「すごいのデス。さすがは創造主:Y.O.N.N様に『覇王の天命』を与えられたことだけはあるのデス!」
『七忍の御使い』のひとりであるミサ=ミケーンが鼻高々にしながら、アリス=アンジェラに神聖マケドナルド帝国の偉業を解説するのであった。しかしながら、アンドレイ=ラプソティは心臓がバックンバックン! と跳ね上がって仕方が無い。その帝国の帝の天命を奪ったのが、ミサ=ミケーンが講釈を垂れている相手なのだから。
もし、レオン帝の天命を奪った張本人がアリス=アンジェラだと知ったら、ミサ=ミケーンはどのような態度をアリス=アンジェラに取るのか? と思うと、気が気ではないアンドレイ=ラプソティであった。
「ごほんっ! レオンが志半ばに命を落としたのは非常に残念ですが、今、神聖マケドナルド帝国はどうなっているのですか?」
「あちきもよくわかっていませんのニャン。義妹たちから送られてくる伝書鳩からは、各国で独立運動が計画されているというくらいの情報しか……。ですが、それはまだまだ時間がかかりそうですニャン」
アンドレイ=ラプソティは無理やり、レオンのことから別の話へとミサ=ミケーンを誘導した。アリス=アンジェラが口を滑らせないようにするためも含めてだ。しかしながら、ミサ=ミケーンからもたされる情報は限定的であった。アンドレイ=ラプソティ直属の忍集団である『七忍の御使い』たちは各国で情報収集するために散らばってはいるが、きな臭い話は聞こえてきても、実際に動きを見せる国は未だに現れていないとのことであった。
「あくまでも様子見といったところですニャン。しかしながら、神聖マケドナルド帝国の首都に近い国が蜂起すれば、それは野原に放たれた火の如く、神聖マケドナルド帝国を燎原に変える可能性はありますニャン」
「そう……ですか。まだ神聖マケドナルド帝国の威厳は完全には損なわれてはいないわけですね?」
「はいですニャン! いくら3歳児と言えども、レオン様が後継ぎを指名してくれていたおかげでもあると思いますニャン! ミハエル様が無事に帝位に就けば、くすぶっている蜂起の芽も潰せるはずですニャン!」
ミサ=ミケーンの言うことは予測に過ぎないが、確かに光明とも言える内容であった。しかし、アンドレイ=ラプソティには懸念があった。そう、自分を堕天から救った人物の存在である。その人物が自分にもっと苦しんでほしいと願っている。そのため、その人物がレオンの遺児であるミハエル=アレクサンダーの命を狙っていることは明白であった。
「ダン=クゥガー? どこかで聞いた気がするのですニャン」
「どうにかして思い出してくれませんか?」
「わかりましたニャン。義姉たちに聞いてみますニャン。伝書鳩でやりとりはしますけど、数日お時間を頂くことはご了承してほしいのですニャン」
アンドレイ=ラプソティは出来る限りのダン=クゥガーの身体的特徴をミサ=ミケーンに伝える。しかしながら、ミサ=ミケーンの頭の中には、名前と外見がマッチングする相手は存在しなかった。だがそれでも、何かが引っかかるモノがあると言い、義姉たちにも聞いてみると言ってくれるのであった。アンドレイ=ラプソティは頼みましたよ……とミサ=ミケーンにその件についての情報収集を任せるのであった。
一方、蚊帳の外に置かれていたアリス=アンジェラたちは、先ほど、ならず者たちに暴力を振るわれた親子と会話を楽しんでいた。
「旅をしている真っ最中なのデス? 仕事か何かなのデス?」
「はい……。神聖マケドナルド帝国の首都近郊で商売ができないかと、模索しておりまして。ボーリダック商会というのをご存じで?」
「いえ、まったく知らないのデス!」
アリス=アンジェラが力強くそう言うと、ボーリダック商会の幹部であるカゲツ=ボーリダックはがっくしと両肩を落とし、背中を丸くしてしまうのであった。彼はボーリダック商会を構成する親族のひとりであった。カゲツ=ボーリダックの名前は知らぬとも、ボーリダック商会の名前くらいは耳にしているだろうという自尊心を持っていた。
ボーリダック商会は中央エイコー大陸では、それなりに名前が知られた商会である。特に織物の仲介業をやっており、東エイコー大陸の絹を大陸中央へと運び入れている。シルクロードと呼ばれるエイコー大陸を横断する商路はボーリダック商会が切り開いたという自尊心を持っていたのだ。しかし、眼の前の少女と白いネズミは首級を横に振り、まったくもって知らないと言ってみせる。ますます、身体から力が抜けていくカゲツ=ボーリダックは、ついには額を荷台の床へと着けてしまうほどに落ち込んでしまうのであった。
「良いんです、良いんです。シルクロードは今や、誰かが独占する商路ではありませんし。歴史に名前が埋もれてしまうのは当然ですよね……」




