第7話:器量良しのニコル
アンドレイ=ラプソティは、はぁ……と生返事する他無かった。頭には真っ赤な大きななリボンを付けている。さらにはひらひらのスカートを履いている。半狼半人の特徴である立派な狼耳が無ければ、本気で女の子と勘違いしてしまうほどであった。アンドレイ=ラプソティは念のため、ニコルに何歳なのかと聞いてみる。
「今年で12歳になりますぅ。声変わりすれば、もう少し、男の子として見てもらえると思うのですが」
「12歳ですか。いやでも、声変わりすると逆にもったいない気がしますね? そう思いませんか? ベリアル」
「お前、そこで我輩に話を振るか!? う、う~~~ん。そのまま男の娘ってやつを貫いたほうが世の中、上手く立ち回っていけそうな気がするなぁ!?」
ベリアルの言うことはもっともであった。それほどまでにニコルは『女性』に見えたのである。このくらいの年頃だと、男の子はそのやんちゃぶりでしか、男であることを証明しづらい。しかしながら、アリス=アンジェラと比べれば、アリス=アンジェラの方がよっぽどやんちゃである。いっそ、アリス=アンジェラとニコルの性別と性格の両方が入れ替わったほうが良いのではな無いのか? とさえ思ってしまうベリアルたちであった。
「では、自分はこの辺でっ! ニコル、頑張るんだぞっ!」
ニコルの父親はそう言うと、宿屋から退散してしまうのだが、残された面々としては、何をどう頑張ってもらうのだろう? と頭の中で疑問符が浮かんでしまう。しかしながら、給仕役としてだろうと言うことで、ニコルにさっそくお酌をしてもらうベリアルとアンドレイ=ラプソティであった。
しかしながら、ニコルに対するベリアルとアンドレイ=ラプソティの印象が180度ガラリと変わってしまうことになる。自信の無さそうなしゃべり方からして、お酌の方も危なっかしいと想像していたのだが、ニコルはお酌慣れしきった手つきで、空いたグラスにお酒を足してくれるのである。
「なあ……。こんなこと聞くのも野暮なんだけど、それをどこで習った?」
「シー――! ひとには言えないことなんて、ベリアルにだってあるでしょうがっ!!」
ニコルの父親が言っていたように、ニコルはどこに出しても恥ずかしくない息子なのだろうと、感じ取ってしまうベリアルとアンドレイ=ラプソティであった。ニコルのお酌はタイミングが良すぎるのだ。ニコルに一升瓶を持たせて、自分たちの隣に立たせているのだが、グラスに注がれているお酒があと一口分となったところで、音もなく近寄ってきて、何も言わずにグラスを酒で満たしてくれるのだ。
これは一朝一夕で身に付いた技術では無いことは、酒飲みのベリアルには当然わかっていた。しかし、その先にある事情を聞き出そうとしたところで、ベリアルはアンドレイに止められてしまう。そして、問われた側のニコルはペコリと軽くお辞儀をした後、何も言わずにベリアルの側から音も無く離れてしまう。
(こいつはプロだ。その筋のプロに違いねぇ……)
ベリアルはそう思うのだが、アンドレイ=ラプソティに止められたこともあり、それを口に出すことは無かった。この手のプロは気分良く、客を酔わせてくれる。給仕役を徹底し、余計な口を決して挟むことは無い。
その証拠として、アリス=アンジェラが星々が夜空に煌めく装飾が為された小瓶を手にし、その中身を飲むか飲むまいか悩んでいるところに、ちょっとした助言を与えているニコルである。
「それはですねぇ。中身を飲み干した後は色付きのお水で満たしておくことで、いつでも楽しめる工夫が為されているのですぅ」
「へぇぇぇぇ。ニコルは物知りなのデス! じゃあ、気兼ね無く飲んで良いんデスネ!」
「そのお酒に合うのは、こちらの肉料理ですぅ。今、切り分けますので、ちょっと待ってくださいねぇ?」
さすがは肉料理屋の息子なだけはあり、どのお酒と合うのかを知り尽くしていたのだ、ニコルは。彼は皿に盛られた骨付き肉の身をフォークとナイフで切り分け、小皿に盛り直して、それをアリス=アンジェラに手渡す。アリス=アンジェラはありがとうございマス! と元気いっぱいに感謝の念を伝える。しかし、ベリアルはニコルの所作を見れば見るほど、不安になってしょうがない。
「なあ、やっぱり、ツッコミを入れたほうがよくねえか?」
「シャラップ。見て見ぬ振りをしましょう。せっかくの美味しい肉料理の味がわからなくなってしまいます」
ベリアルはひそひそとアンドレイ=ラプソティに耳打ちするのだが、アンドレイ=ラプソティはニコルの手際の良すぎる所作の数々を目に入れないように徹するのであった。ベリアルはお、おう……としか返答のしようがなかった。アンドレイ=ラプソティが言うように、宿屋に運び込まれた肉料理はどれも美味しいものばかりである。要らぬところに注意を払ってばかりだと、アリス=アンジェラの気持ちも無下にしてしまうことになるのは明白であった。
それゆえに、ベリアルだけでなくアンドレイ=ラプソティも純粋に肉料理とお酒を楽しむことにしたのだ。ニコルは出来が良すぎる給仕役なだけだと思い始めると、段々、ニコルの存在が気にならなくなってくる。これこそ、プロの給仕役の面目躍如といったところであろう。
ベリアルとアンドレイ=ラプソティとコッシロー=ネヅは宿屋に運ばれてきた肉料理に舌鼓を打ち、酒屋で別で買ってきたお酒に酔いしれた。アリス=アンジェラはアンドレイ様がたくさん料理を食べて、たくさんお酒を飲んでいてくれることに心底、安堵した。自分はただ心配し過ぎただけであったのだと思えるようになってくる。
アンドレイ様の様子を横目でチラチラと確認し続けたアリス=アンジェラは、もう遠慮は必要無いとばかりに、給仕役のニコルをこき使い始める。左手に持っている小皿が空になると同時に、ニコルへとその小皿を渡す。ニコルはアリス=アンジェラですら驚くほどのニッコリとした笑顔で、その小皿を受け取り、手際よく肉料理を小皿に盛り直していく。
「すごいのデス。アンドレイ様の手際の良さがかすんで見えるくらいなのデス」
「アリス様には特にお仕えしろとのパパからの伝言ですぅ。さあ、いっぱい食べて、飲んでください」
「ハイ! わかりましたのデス! アンドレイ様の心配をしなくて良いとわかれば、アリスも遠慮することなんて何も無いのデス!」
「私って、ここまで心配されるようなことをしてましたっけ??」
「甲斐甲斐しいのは良いが、あんまり自分を押していかないアンドレイだからなっ。ほれ、どんどん喰え。飲め。アリス嬢ちゃんがもっと喜んでくれるぜ?」
「ちょっと、ベリアル。私はアリス殿とは違って、300歳を超えているんです。自分のペースで飲み食いさせてくださいよ」
「チュッチュッチュ。年寄りくさい発言なのでッチュウ。そんなんだから、アリスちゃんに心配されるのでッチュウ」
コッシロー=ネヅのこの一言で、ウグッ! と唸ってしまうアンドレイ=ラプソティであった。確かに今の自分の発言は若者なら、絶対に言わない一言である。アンドレイ=ラプソティは、300歳を超えた今となっても、少しくらいは若作りしたほうが良いのだろうと思う他無かった。