第4話:支配者
屋台の店主である30代後半にさしかかろうという半狼半人が頬をヒクヒクと動かしていた。今、自分の屋台に並ぶ食品を物色し始めているのは、昼前にこの『食品販売地区』で、亜人たちを排斥しようとしていた救世主派のニンゲンたちを一掃した御仁たちである。
救世主派は亜人をニンゲンとは認めず、連日のように排斥活動を行っている。その救世主派の横暴に困り果てていたところに、このヒトたちが現れて、さらには華奢な女の子が光り輝く右の拳を用いて、救世主たちを大空の彼方へとぶっ飛ばしまくったのである。
亜人が多く住むこの街では、救世主派こそが異端であった。しかしながら、暴力に対して、暴力で立ち向かうほど、この街の亜人たちは暴力的では無かった。何とか、折り合いをつけようと、屋台に並ぶ食品を無料で渡していたのだが、それにより、さらに頭に乗ったのが救世主派であった。
救世主派たちは亜人たちが大人しい態度を貫くことを良い事に、横暴の限りを尽くそうとしていた。今日も『食品販売地区』へと現れ、無料で腹を満たそうとしたのである。そこに現れたのが救世主派たちが一番にこの世から排斥したい相手であることは、その騒ぎを見ていた食品販売地区の皆がそれとなく知ることになる。
「あんまり長居しないでくださいよ……。救世主派に眼をつけられたら、それこそ、この街に居られなくなりますぜ」
「そこはご安心ください。私の連れが、怒り心頭の余りに、この街の救世主派を一掃しましたから。2時間ほど前に物理的な血の雨が降ったでしょう?」
屋台の店主である半狼半人の顔は引きつるだけ引きつることになる。確かに、昼前にこの『食品販売地区』に現れたこのひとたちは3人組であった。真っ黒な装束に包まれた悪魔のような男が今、この場に居ないことに気づいたのである。
「その御方は根こそぎ、この街の救世主派を殺し歩いているのですかい!?」
「いえ、既に過去形です。私がサーチした限り、周囲20キュロミャートルに存在していた救世主派は彼の怒りの一撃で死に絶えてますよ」
屋台の店主である半狼半人は腰が抜けそうであった。努めて朗らかな表情で、壮年の男がこの街だけでなく、周辺でも救世主派は一掃されたと言ってのけている。それを証明するかのように血の雨が降った。あの血の雨は救世主派の身体に流れていた血であると言う。
あの血の雨の量から言って、相当数の救世主派が死んだことは間違いない。半狼半人の男はホッと安堵し、しばらくは安全になったのだろうと思ってしまう。
「そ、そうであるなら、喜ばしいことですぜ……。あいつらの横暴には困り果てていたところですから、願ったり叶ったりですわっ!」
重い荷が肩から降りたのか、その屋台の店主である半狼半人はアンドレイ=ラプソティたちが聞いてないこともべらべらとしゃべり出す。半狼半人が言うには、遥か北西から出征してきたアレクサンドリア帝がトルメキア王国を征服したかと思えば、ひと月も滞在せずに執政官を置いて、さらに東征を繰り広げているとい噂を聞いたと。そして、その半年後にはそのアレクサンドリア帝がついにインディーズ王国へと到達してしまったことに驚いてしまったのだと。
「ありゃあ、風のように現れて、風のように去っていきましたな……。しかも、遥か東の地で落命されたようで……」
「この地ではさほど大きな混乱がもたらせてないように思えますが?」
「へえ。トルメキア王国に赴任した執政官が、アレクサンドリア帝が亡くなったという一報を受け取るや否や、夜逃げするように帝国へと逃げ帰ってしまったようですな。元々、この地に残すべきであった帝国兵もほとんどいませんでしたし」
屋台の店主である半狼半人が言うことは、アンドレイ=ラプソティにとって、さもありなんという感想しか抱けなかった。そもそも、レオン=アレクサンダーは各国で軍隊を徹底的に滅ぼしつつ、吸収し続けた。そして、東征が進めば進むほど、アレクサンドリア帝国兵は膨れ上がり、インディーズ王国との国境に差し掛かる時には100万以上にも膨れ上がっていたのである。
そして、その100万以上の帝国兵を1日も経たずに全滅させたのが他でもない、アンドレイ=ラプソティ自身である。各国に統治として、帝国兵1000と執政官たちを置いてきたが、レオン=アレクサンダー帝が亡き今、その各国に軍隊が居ないと言えども、統治を続けられるはずも無い。
トルメキア王国から北西へ進んだ先も同じような状況になっているのであろうなと思うしか無かったアンドレイ=ラプソティであった。エイコー大陸の西だけでなく中央部の大半をまで手に入れかけておきながら、これからのアレクサンドリア帝国はその版図を大きく減らすことになる。
「皮肉なことに、『君臨すれども統治せず』という施策が叶ってしまいましたねえ……」
アンドレイ=ラプソティはレオンでも、これほどの巨大な版図を維持出来るなど、思っていなかった。それゆえに反乱の危険性を各国から権威の象徴と実行力となる兵士を奪い取ることで、極力抑えてきた。そして、その施策が自分の暴走で実現することになるなど、夢にも思わなかった。
トルメキア王国は国名こそ取り戻したが、統治するための権威を持つ者は居なかったのだ。それゆえに神聖マケドナルド帝国が派遣した執政官が夜逃げした後、トルメキア王国の王族の生き残りが代理の代表を出し合い、合議制を取っているとのことであった。
こうなると、主権は分散されることになり、国の代表たちはいがみ合うことになる。大きな混乱こそ起きなかったが、その脆弱な基盤ににつけ狙うように現れたのが、聖地:エルハザムの救世主派であった。救世主波は創造主:Y.O.N.N様のために亜人たちを排斥する運動を開始する。
その運動がトルメキア王国にも着々と流れ込んでいた。本来、レオン=アレクサンダー帝に代わり、この混乱を収めるべき執政官たちは既にトルメキア王国には居ない。そして、彼らを護るための帝国兵たちも執政官と共に本国へと帰ってしまった。
残されたトルメキア王国の国民たちはただ黙って、国の推移を見守るしかなかった。それが大きな混乱とならぬことをただ願い続けた。そして、その混乱の火種となっている人物たちがこのトルメキア王国に入国し、さらにはその1名が怒りの色に染まり上がったことにより、トルメキア王国は元の平和な国へと戻ろうとするのは、まさに皮肉の一言に尽きるのであった。




