第3話:清浄なる風
アンドレイ=ラプソティとコッシロー=ネヅは何を今更、言っているのだろう……と思わざるをえない表情をその顔に浮かべていた。アリス=アンジェラだけは眉間にシワを寄せている。その2人と一匹の表情を見ていたベリアルはアーハハッ! と大笑いしてしまうのであった。
「いつものアリス嬢ちゃんで安心したぜ……。てか、背中に突き立っている手斧をそのままにしておくんじゃねえよ」
ベリアルはそう言うと、アリス=アンジェラが着ている服の上から背中に突き立てられている手斧を左手で引っこ抜く。その感触から、アリス=アンジェラは華奢な身体をしておきながら、まるで羽毛のような柔らかさを持つ背中なのだろうと想像してしまう。
「へえ……。筋肉の鎧で構成されてるっぽいな、アリス嬢ちゃんは」
このベリアルの一言はまさに余計な一言であった。アリス=アンジェラは涙目になりながら、唇をアヒルのクチバシのように尖らせ始めた。アリス=アンジェラはこの貧相な身体が大嫌いである。美の女神:アフロディーテ様、豊饒の女神:イシュタル様のような出るところ出過ぎている豊満な身体になりたいと常々思っている。
実際のところ、脂肪よりも筋肉のほうが柔らかいのだ。アリス=アンジェラの肉付きこそは貧相この上ないが、その代わり、柔らかな筋肉がアリス=アンジェラの骨格を包み込んでいる。そのおかげで、手斧が背中に突き立てられても、その柔らかな筋肉がアリス=アンジェラの身体に傷ひとつ付けなかったのだ。これはベリアルにとっては非常に喜ばしいことであり、つい、ぽろっとアリス=アンジェラの筋肉を褒めたのである。
だが、けなされたと思うしかなかったアリス=アンジェラは涙目から光線を発射し、ベリアルを薄っすらと丸焦げにして、さらには右足でゲシゲシと蹴りまくる。アンドレイ=ラプソティとコッシロー=ネヅはベリアルの失言に対して、やれやれ……と嘆息する他無かったのである。
トルメキア王国のとある街から救世主派が一掃されたことで、ようやく、アンドレイ=ラプソティ一行は休息に入ることが出来た。街の建物という建物に紅い染みが出来上がることになるが、アンドレイ=ラプソティたちにとって、そんなことは些細なことであった。宿屋で部屋を借り、救世主派の血で汚れた服や身体をキレイにするのであった。
「へぇ……。なかなかに便利な御業を創造主:Y.O.N.N様から頂いたのですね」
「ハイ! 部屋を汚してしまっても、この清浄な風で洗い流せるのデス!」
「チュッチュッチュ。どうせならその御業に名前をつけたらどうでッチュウ?」
アリス=アンジェラは両手を握り合わせ、背中の片羽を厳かに羽ばたかせていた。その片羽が生み出す清浄な風は救世主派の血で汚れてしまった自分たちの服や身体を清めていく。清浄な風に包まれるアンドレイ=ラプソティたちは何とも気持ち良さそうな顔をしている。しかし、約1名だけはとっととこの部屋から退散してしまう。
「ふぅ……。アリス嬢ちゃんは俺が悪魔だってことを知ってか知らずか、とんでもないことをかましやがった。我輩が浄化されようものなら、天界に召されるっつうのっ!」
ベリアルは文句を言いながら、アリス=アンジェラたちが居る部屋から廊下に出ると、別室に入り、そこで呪力を生み出す。その呪力によって、新しい服を創り出すのだが、その服に着替える前に、血で汚れた身体を濡れタオルで拭う。シャワーを浴びたり、風呂に入れば良い話ではあるが、街の外れにあるこじんまりとした宿屋に隠れるようにやってきたために、この宿屋には立派な浴場施設は存在しなかった。
ベリアルは仕方ねえか……と思いながら、身体を濡れタオルで拭き上げ、新しく創り出した服へと着替える。そうした後、救世主派の血で汚れた服を呪力で生み出した黒紫色の渦へと放り込む。汚れ物が無くなったことで、気分爽快となったベリアルはベッドの上で身体を横にし、夕飯前まで昼寝を楽しむことになる。この辺りはさすがは『怠惰』の権現様であった。
ベリアルが部屋の外に出て行った後、アリス=アンジェラたちと言えば……。
「この御業の欠点はすっごくお腹が空いちゃうことなのデス。燃費が非常に悪いのデス」
「便利と言えば便利ですけど、あまりアリス殿のこの御業に頼ってはいけないという創造主:Y.O.N.N様からの天啓なんでしょうかね?」
「チュッチュッチュ。ベリアルがもし、この場に居たら、お腹が空いたのなら、我輩のお肉棒をしゃぶりなよ~~~と言ってきていたかもしれないでッチュウね?」
「おっと。それはさすがにベリアルに失礼でしょ。いくら『怠惰』の権現様でも、そんな口説き文句、言うわけがありません」
コッシロー=ネヅとアンドレイ=ラプソティは下品なオヤジギャグで大笑いしていた。アリス=アンジェラはあまり意味がわからず、キョトンとした顔つきになっている。アリス=アンジェラの表情が面白いのか、アンドレイ=ラプソティたちはますます大笑いである。アリス=アンジェラは何が可笑しいのだろうか? と思いつつも、それよりも、お腹を満たしたい気持ちでいっぱいであった。ベリアルがお肉棒を自分に食べさせてくれるのであれば、それを喜んでいただこうとも思ってしまう。
しかしながら、実際にアリス=アンジェラにベリアルのお肉棒が欲しいの……と言われれば、ベリアルは断るであろう。ベリアルにとって、アリス=アンジェラは可愛い娘である。その可愛い娘に向かって、ズボンとパンツを降ろし、我輩のお肉棒を口いっぱいに堪能してくれっ! とは絶対に言わないであろう。それをわかっているからこそ、アンドレイ=ラプソティたちは本気の冗談でオヤジギャグをかましたのである。
なにはともあれ、アリス=アンジェラのお腹を普通の食物で満たそうということで、アンドレイ=ラプソティたちはベリアルを置いて、宿屋の外に出る。残念なことに、この宿屋の横には食堂が無く、アンドレイ=ラプソティたちはその宿屋からかなり離れた場所まで出向くことになる。今の時間は午後3時である。どこの食堂も夕飯時前の仕込みの時間となっており、アンドレイ=ラプソティたちを快く迎えてくれる食堂は無かった。
それゆえにアンドレイ=ラプソティたちはこの街にある『食品販売地区』にまで足を運ぶことになる。さすがに屋台が立ち並ぶ地区なだけはあり、売れ残りの商品がそれぞれの屋台に並べられていた。アンドレイ=ラプソティは半狼半人が店主としている屋台の前に横一直線に並ぶことになる。
「ゲゲッ! 2時間ほど前に、この辺りで暴れていたひとたちじゃないですかいっっっ!!」
「あれは不幸な出来事でした……。私たちが悪いわけじゃありませんっ!」