第7話:悪魔的美学
豚ニンゲン・キングは右の拳に纏わりつく片翼の天使をまるで蚊を叩き潰すかのように、その右の拳を左手でビッターン! という音を奏でながら、ぶち叩く。しかし、片翼の天使は蚊ではなかったことが最大の誤算であった。豚ニンゲン・キングの左手は平から甲にかけて、丸い穴が開くことになる。そこから血と肉と骨片が間欠泉のように噴き出し、豚ニンゲン・キングはますます気持ち悪さを感じてしまう。
「やれやれ……。どうやらボクを夏の虫と勘違いしているようデス。さながら、ボクは蝶のように舞い、蜂のように刺すビューティフル・淑女なのデス!」
左手に出来た丸い穴から、まるで小虫のように這い出てきたのが片翼の天使であった。そして、その者は断崖絶壁で洗濯板の胸を誇らしげに張ってみせる。豚ニンゲン・キングは頬の筋肉をピクピクと痙攣させる他無かった。
どのようなことをすれば、自分の左手にキレイな丸い穴を開けられるのかという疑問がひとつ。そして、ちんちくりんなくせに、ビューティフル・淑女だと無い胸を張って言えることがひとつ。どれをどう解釈しようが、虫スケールの思考能力しか無い豚ニンゲン・キングの脳みそでは理解不能であった。
アリス=アンジェラはよいしょよいしょと、豚ニンゲン・キングの手を這い上って行く。豚ニンゲン・キングの左手の上で立つアリス=アンジェラは真っ赤に染まってしまった天使装束に眼を移す。しかしながら、これは戦士だからこその色だと彼女は思ってしまう。
戦士が着る装束は紅が一番似合うと思っているアリス=アンジェラであった。敵の返り血を浴びるその姿こそが、勇壮な戦士になるための必要条件であると。だからこそ、アリス=アンジェラはますます無い胸を張り、さらには右腕を前に突き伸ばす。そして、その右手の先にある人差し指を混乱の渦中に放り込まれている豚ニンゲンの顔に真っ直ぐ向けるのであった。
「ここで退けば、命までは取らないと約束するのデス! でも、向かってくるのであれば、アリス=アンジェラが指先ひとつで貴方をダウンさせるのデス!」
混乱の渦中に放り込まれている豚ニンゲン・キングであったとしても、この小娘が言っていることは挑発であることを理解する。左手で鷲掴みにして、グシャッという音と共にミンチにしてやろうと思うのであった。
アリス=アンジェラは豚ニンゲン・キングが怒り心頭になってしまったことに、やれやれ……と嘆息してしまうのであった。天使は創造主:Y.O.N.N様のように寛大な心を持っていなければならない。それが例え、醜い豚ニンゲン相手でもだ。
彼らは地上界のニンゲンたちに魔物だと蔑まれる可哀想な生物なのである。天使の眼から見ればニンゲンも魔物も命という大切なモノを持つ生物なのである。しかし、そうだからと言って、自分に危害を及ぼそうとするのであれば、全力で排除するに決まっている。アリス=アンジェラは慈悲の心で、豚ニンゲン・キングに降伏勧告した。だが、豚ニンゲン・キングはそれを侮辱として捉えた。
「まだまだボクは創造主:Y.O.N.N様のような威厳を発することが出来ないのデス。こんな貧相な肉付きであることが憎いのデス……。シャイニング・スピアなのデス!」
もし、アリス=アンジェラが女神:アフロディーテのような、女性からも羨ましがられる豊満な肉付きであったならば、結果が違っていたのかもしれない。豚ニンゲン・キングも所詮、男なのだ。股間にはもれなくおちんこさんがついている。女神:アフロディーテならば、豚ニンゲン・キングの鼻の下をだらしなく伸ばせていたかもしれない。
しかしながら、そんな想いを持ちながらも、アリス=アンジェラは突き出した右手の人差し指から一条の光線を撃ち出す。さながら光の槍のように放たれたそれは、豚ニンゲン・キングの眉間に突き刺さり、内部へと入り込む。そして、後頭部から、その光の槍が飛び出すと同時に、スイカが内側から破裂するように、豚ニンゲン・キングの脳漿が飛び散ることになる。
「無駄な殺生をボクにさせないでほしかったのデス」
後ろ倒れになっていく豚ニンゲン・キングに追従するようにアリス=アンジェラは地面へと着地する。その足元には豚ニンゲン・キングの後頭部から流れ出した血と脳漿が池を作っていた。アリス=アンジェラは何とも言い難い表情になりながら、豚ニンゲン・キングの側から離れていく。
豚ニンゲン・キングが倒されたことで、生き残った豚ニンゲンたちは、またもや散り散りに逃げ始めた。ベリアルはこんなもんだろうと追撃を止め、猛り狂うバイコーンをドウドウ……と宥める。そして、バイコーンに跨ったまま、アリス=アンジェラの下へと近づいていく。
「せっかく、こんな大物を仕留めたって言うのに、なんだか浮かない顔をしているな?」
「それはそうです。途中で気づいてしまいましたカラ。アリスの方が圧倒的に強いという事実ニ。そうなれば、もうこれは戦いでも何でもありまセン。ただの殺戮なのデス」
「ああ、そういうことか。しかし、それでも向かってくるなら、倒すしかねえだろ」
「それが象が蟻を踏みつぶす行為でも……デスカ?」
「まあ、そりゃ後味としては最悪だが、あっちはそれなりに気概を持って、向かってくるんだ。変に手加減するほうがよっぽど気分が悪い」
ベリアルのこの言葉に対して、なるほど……と感慨深く頷くアリス=アンジェラであった。獅子はウサギを相手でも全力を出すと言われている。それは、命を屠る相手に対しての礼儀なのだと。
「わかりまシタ。向かってくる相手に情けをかけるほうが礼を失するのデスネ」
「おう、その通り。だから、天使面して慈悲なんか与えるんじゃねえぞ?」
「それはどうかと思いマス。慈悲の心は大切なのデス」
半天半人と言えども天使なのだなと思ってしまう悪魔である。悪魔ならば愉悦の表情を浮かべながら、相手をぶっ殺すものだ。そこに慈悲の心など一片足りとてない。ましてや、向かってくる相手なのだ。尻尾を巻いて逃げる敵を追いかけまわすほど、悪魔も堕ちた存在ではないだけである。
「戦いの美学ってのは、鼻で笑われることもあるが、笑いたい奴には笑わせておけば良い。我輩たちは何と言っても、誇り高い悪魔なんだからなっ!」
「お言葉ですが、ボクは可愛い天使なのデス。悪魔のベリアルとは一緒にしないでほしいのデス」
「そこは冗談でも、悪魔的美学なのデス! って言っておけよっ! ったく、ノリの悪い嬢ちゃんだぜ」
ベリアルはそう言いながら、右手で頭をボリボリと掻く。そんなベリアルが可笑しくてたまらないアリス=アンジェラは、先ほどまでの憂い顔がどこかへと飛んで行き、自然と美少女らしい笑みを零すのであった。