第2話:親の心
翌朝、アリス=アンジェラは洗面所で出会ったベリアルに制裁を加えた後、顔を洗い、借りている部屋へと戻っていく。そこで身支度を終えた後、アンドレイ=ラプソティたちと合流する。しかしながら、宿屋の外はざわざわと人だかりが出来ており、アンドレイ=ラプソティは困り顔になってしまうのであった。
「どうやら、まだ救世主派が聖地に生息していたみたいですね。その残党がすっかり、この宿屋を囲んでしまったようです」
「では、アリスが抹殺してくるのデス!」
「ちょっと待つでッチュウ。アリスちゃんはなんでもかんでも物理の神力で解決しようとしすぎなのでッチュウ!」
コッシロー=ネヅに静止されたアリス=アンジェラはきょとんとした顔つきになっていた。自分は正しいことを為そうとしているのに、それを止められる理由がわからなかったからだ。アリス=アンジェラは首級を何度か左右に傾げ、コッシロー=ネヅが自分を止めた理由を受け止めようと数十秒だけ考え込む。
「コッシローさんの言い分はわかりまシタ。ボクがここで救世主派を一掃しても、第2、第3の救世主派の残党が雨後の竹の子のように生えてくるわけデスネ」
「そういうことでッチュウ。一宿一飯の恩があるこの宿屋にも迷惑がかかるのでッチュウ」
コッシロー=ネヅはくどくどとアリス=アンジェラを説得する。しかしながら、アリス=アンジェラはコッシロー=ネヅから視線を外し、ちらりと宿屋の娘と視線を交わす。アリス=アンジェラの視線に気づいたソフィー=サウサンは右手の親指を天井から床へ向けて突き刺す。アリス=アンジェラはニッコリとソフィー=サウサンに微笑み、紅と黄色を基調とした戦乙女・天使装束をその身に纏わせる。
「もともと、娼婦たちに部屋を貸し出していた宿屋ですわ。救世主が現れるうんぬん関係なく、聖地の住人たちには恨まれてますの」
「いや、おっしゃる通りかもしれませんが、私たちはずっとこの地に留まり続けるわけにはいかないのです。貴女たちの命の保証など、まったく出来ませんよ?」
「お気遣いなく。そろそろ潮時だったと思っていたことですから。アリス様にはワタシたちのことは気にしなくても良いと伝えておいてください。どこかでまたばったりと出くわした時にでも、お相手してもらえれば幸いですわ」
アンドレイ=ラプソティはがっくしと肩を落とす他無かった。アリス殿とソフィー殿の間に何があったのかはわからないが、ソフィー殿の言葉の端々から受ける印象から確かな信頼関係を築いたのだろうと予想する。そして、ソフィー=サウサンの言葉に甘んじて、アンドレイ=ラプソティたちは、アリス=アンジェラが創った真っ赤な絨毯の上を急ぎ足で歩いていく。
ソフィー=サウサンはこちらに振り向きもしないアリス=アンジェラに向かって、右手をひらひらと振り、それを別れの挨拶とした。ソフィー=サウサンとしても、アリス=アンジェラが聖地でひと暴れしてくれているこの時こそが、聖地から脱する好機であった。荷物を急いでまとめ、サウサン一家は聖地から逃げ出すのであった……。
「ふぅ……。朝から気持ちの良い汗をかきまシタ。ここは朝風呂と行きたいところデス!」
アリス=アンジェラは紅と黄色を基調とした戦乙女装束をさらに真っ赤に染め上げていた。救世主派の残党たちを手刀で斬り伏せ、握りこぶしで殴り飛ばしてきた。アリス=アンジェラたちが聖地:エルハザムの外へと出る頃には1000を数える救世主派の信徒たちが紅い血で乾いた地面を潤していた。
しかしながら、そんな気分が上がっているアリス=アンジェラに対して、ジト目で訝しむ表情になっているのがアンドレイ=ラプソティとコッシロー=ネヅであった。アリス=アンジェラは自分の正義を為そうとする場合、周りの事情を顧みる姿勢を全く見せないでいた。アンドレイ=ラプソティたちが彼女を止めようとすれば、彼女はその手刀の振り下ろし先をアンドレイ=ラプソティたちに向ける気がしてならなかった。
それゆえに一度、アリス=アンジェラに対して、強めの諫める言葉を送っておいたほうが良いと考えるアンドレイ=ラプソティたちであった。
「まったくもって心外なのデス! アリスは良かれと思ってやっていることなのデス!」
「確かに貴女にとっては正しいことなのかもしれません。あんな原理主義者の救世主を信奉すること自体は間違っています。しかし、それでもやりすぎだと言っているのです」
「チュッチュッチュ。殺すなとは言ってないのでッチュウ。だけど、収まるところで矛を収めておかないと、アリスちゃんの周りは敵だらけになってしまうでッチュウ」
アンドレイ=ラプソティたちに諫められたことで、アリス=アンジェラはおおいに不満を表す表情となってしまう。ほっぺたをプクゥ! と膨らまし、唇はアヒルのクチバシのように尖っていた。隙あらば、アンドレイ=ラプソティたちに噛みつこうとしているのは明白な態度であった。アンドレイ=ラプソティたちはどうしたものかと、アリス=アンジェラの扱いに手を焼いているところ、場の空気を読まないことで定評があるあの男が重い腰を動かすのであった。
「まあ、良いじゃねえか。アンドレイがアリス嬢ちゃんの代わりに救世主派たちを抹殺出来るはずもない。アリス嬢ちゃんはお前に代わって、汚れ仕事をしてくれたって思っておきなよ」
「それはそうですが……。って、アリス殿の罪を私に擦り付けようとするのはやめなさい」
「おっと。そんなつもりで言ったわけじゃないんだけどな? でも、実際のところ、アリス嬢ちゃんがこうしてくれなかったら、お前自身が心に枷を嵌めることになってたのは事実だろ?」
アンドレイ=ラプソティとしては、ベリアルがこの説教タイムをうやむやなモノにしてしまおうとしているのが嫌が応にもわかってしまう。ベリアルの言い分としては、これ以上、アリス嬢ちゃんを責めたところで、仲間内の空気が悪くなるだけだと主張している。しかしながら、それでも今のうちに忠告しておくことが、アリス殿にとっては巡り巡って、良いことだと考えるアンドレイ=ラプソティであった。そうは言ってもアンドレイ=ラプソティは良い大人である。必要以上にアリス殿を責めすぎている部分があるのだろうと自省するに至る。
「アリス殿。語気が強すぎましたね。貴女の活躍あってこその、聖地からの脱出です。まずはこの部分を褒めねばなりませんでした」
「わかれば良いのデス! 創造主:Y.O.N.N様はおっしゃりました。互いに理解し合えないことこそが、真の『不幸』であると。ボクはアンドレイ様と喧嘩がしたいわけではないのデスッ!」
アリス=アンジェラと喧嘩をしたくないのはアンドレイ=ラプソティも同様であった。しかしながら、しかるべき時に叱るのは大人としての当然取るべき態度である。ここをわかってほしいと思うアンドレイ=ラプソティであるが、まだまだうら若いアリス=アンジェラでは受け止めきれないのだろうと感じる。今の状況には『親の心、子知らず』という言葉がまさにぴったりと当てはまるのだろとうと思ってしまうアンドレイ=ラプソティであった。