第4話:異端
アリス=アンジェラは後ろ髪引かれる思いだったが、この朝市の活気と熱量に当てられて、これ以上、店主の邪魔をしてはいけないとその場から立ち去っていく。マリオ=ポーニャはヒラヒラと右手を降りつつ、彼女たちが見えなくなった途端に商売を再開する。
するとだ。アリス=アンジェラたちが立ち去ってから10分後にマルコ=ポーニャが戻ってくる。マルコ=ポーニャは非常に残念そうな顔つきになり、目に見えて、肩を落としていた。そんなマルコ=ポーニャのケツを分厚い右手で叩く人物が居た。
「マルコ。お別れの挨拶をしっかり出来ない子が、アリスお嬢様のような方を嫁になんか出来ないわよ? うちの唐変木なお父さんだって、私とデートした時は家まで送ってくれる紳士だったの」
「お、おい! 母さん! それを8歳のマルコに言ってどうする!?」
「そんなこと決まっているじゃない。今から練習よ、練習。ほら、マルコ。行ってらっしゃい。そして、さようならって言ってくるの」
「ありがとう、お母さん! 行ってくるっ!!」
マルコ=ポーニャは母親に尻を叩かれて、人波の中を縫うように走っていく。卵料理屋の店主であるマリオ=ポーニャはぼりぼりと頭を掻く他無かった。いつでも男の尻を叩くのは女の役目と言えども、それを出来なかった自分はまだまだ出来た大人では無いなと思ってしまうマリオ=ポーニャである。
(頑張れよ、うちの自慢の息子)
マリオ=ポーニャは自慢の息子が麗しの御令嬢に面と向かって振られる経験を積むべきだと改め直す。これからのマルコの人生において、高嶺の華を摘もうと四苦八苦するであろう。だが、高嶺の華は1つだけではない。自分にとっての高嶺の華に出会うことこそが肝心なのだ。
だからこそ、何人もの女性にアタックしていかなければならないのだ。浮気や不倫はもちろんダメだが、自分の人生のパートナーを手に入れるためならば、その努力を怠ってはいけないのである。
マルコ=ポーニャは走りに走り、アリスお嬢様を懸命に探す。途中、小石に足を引っかけて、転ぶことになるが、それでも立ち上がり、もう1度、あの麗しの御令嬢の声を聞きたいという願いを叶えるためにも駆けに駆けた。
そんなマルコ=ポーニャを愛おしく思ったのか、創造主:Y.O.N.Nは彼に慈悲を与える。マルコ=ポーニャが街中を走っていると、いつの間にか、彼の頭上には白い鳩が一羽、彼を先導するように飛んでいたのである。マルコ=ポーニャはその白い鳩に気づきを得て、その白い鳩を追いかける。
「アリスお嬢様!!」
「マルコっ!!」
アリス=アンジェラは後ろから自分の名を呼ばれ、振り向いたは良いが、そこにはズボンに穴が開き、泥だらけになっていたマルコ=ポーニャが居たのである。アリス=アンジェラは膝を折り、泥が付着したマルコ=ポーニャの顔を白いハンカチで拭うのであった。
その肩で息をしている男の子を見たベリアルは思わず、ヒュゥ! と口笛を吹いてしまう。そして、ニヤニヤとした顔つきでマルコ=ポーニャが喜んでいる顔が泣き崩れていく顔に移行していくのを黙って見ているのであった。
「アリスお嬢様。貴女のことは一生忘れません!」
「いえ、どうか忘れてほしいのデス。きっと、ボクはこの先、この街にやってくることはないのデス」
「それでも僕は産まれてくる卵のひとつひとつをアリスお嬢様だと思っておきます! さようなら、アリスお嬢様!」
マルコ=ポーニャは男であった。立派に別れの挨拶を告げたマルコ=ポーニャは男としての殻をまたひとつ、自分の手で剥いたのである。姉たちにイジメられていた情けないマルコ=ポーニャは今やどこにもなかった。マルコ=ポーニャに男としての自信をつけたのは、アリス=アンジェラであった。
アリス=アンジェラはマルコ=ポーニャに背中を向けて、スタスタとその場を去っていく。マルコ=ポーニャは下を向いたまま、地面にポタポタと涙を流す。そんなマルコ=ポーニャの頭頂部にポンと軽く右手を乗せたベリアルは、マルコ=ポーニャに向かって、その右手をひらひらと振るのであった。
「しっかし、アリスお嬢ちゃんは男泣かせだな。これから立ち寄る街々で、その度に男を振るつもりか?」
「ボ、ボクが悪いわけじゃないのデス! 強いて言うなれば、ボクが可愛すぎるのがいけないのデス!」
「あんまり自分で自分が可愛いと言っていると痛い目を見ますよ? そういうのを心底、気に喰わないヒトだっていますから」
「チュッチュッチュ。高飛車な女を力づくでねじ伏せたいという歪んだ男も世の中には居るでッチュウからねえ。アリスちゃんに悪い意味で悪い虫がつかないように、自分の方でも注意しておくのでッチュウ」
三者三様にアリス=アンジェラの身の安全も含めて、意見を交わす男連中であった。アリス=アンジェラはからかわれているような気がしてならない。だからこそ、これ以上、付き合ってられるかとばかりに、背中の天使の片翼を使って、大空に舞い上がり、彼らから少しだけだが物理的に距離を開けるのであった。
アンドレイ=ラプソティは天界の騎乗獣姿であるコッシロー=ネヅの背中に乗っており、そのコッシロー=ネヅはのっしのっしと、身体を揺らせながら、先行するアリス=アンジェラの後を追う。ベリアルはベリアルでどこからか呼び出した黒い体毛に覆われたバイコーンに跨っている。
アンドレイ=ラプソティたちは一泊した街を出てから3時間後には、聖地:エルハザムの街の門をくぐることになる。しかし、その聖地は聖地らしからぬ雰囲気を纏っていたために、アンドレイ=ラプソティたちは緊張を強いられることになる。
「尻から頭にかけて串刺し……ですか」
「こりゃ、ドラキュラ公でも復活したのかねえ?」
アンドレイ=ラプソティは聖地に足を踏み入れた瞬間には、口と鼻を物理的に手で塞いでしまいたくなる血の匂いを感じ取っていた。しかしながら、それでもこの串刺しとされているニンゲンたちの首に掛けられている木製の札を確認しなければならない使命感に襲われる。
「『この者、異端者也』。これまた相当に面倒くさそうな救世主が誕生したようですね」
「アンドレイ様、それはどういうことデス?」
アリス=アンジェラはマルコ=ポーニャにハンカチを渡してしまったために、新たにもう1枚のハンカチを神力によって生み出し、それを鼻や口に当てていた。
街のあちこちに串刺しになっている者たちが居たが、ご丁寧なことにその死体の首ひとつひとつに木製の札が掛けられていた。そして、どの札にも同じ言葉が書かれている。アンドレイ=ラプソティはこれほどまでに面倒な救世主を創造したのが、創造主:Y.O.N.N様であるとはとても思いたくなかった。それゆえにポツリポツリとしか、言葉を喉の奥から紡ぎだせないのである。
「異端者。要は『異教の徒』であるから、この者たちを串刺しにしたってことです。同じ創造主:Y.O.N.N様の信徒であれば、『七つの大罪』をルーツにした『罰』をこの札に書くんですよ」