第6話:ソーセージと麦酒
この街の熱気に一番当てられたのは、意外なことにアリス=アンジェラであった。彼女はこの世に産まれてから16年ほどしか経っておらず、救世主を一度も見たことが無いからだ。アンドレイ=ラプソティは一度であるが、本当の意味での救世主と出会っている。それゆえに、救世主がどんな人物かを知っているために、アリス=アンジェラのように情熱的にはなれない。
「アリス殿に言っておきますけど、救世主は所詮、ニンゲンです。救世主は救世主であり、それ以上でもそれ以下でもありません」
「そうなんデス? でも、創造主:Y.O.N.N様がお選びになるほどの御方なのデスヨ? 地上界のアイドル的存在なのデハ?」
「真の救世主であれば、天使すらも『魅了』してしまうほどの人物であることは間違いありません。そのアイドル性はとんでもなく恐ろしいモノを持っています」
アンドレイ=ラプソティは『第3次天魔大戦』において、天界軍の1将校として従軍していた経歴持ちである。そして、地上界のニンゲンたちをまとめあげていたのは救世主であった。それゆえにその当時の救世主とは知己の仲であった、アンドレイ=ラプソティは。しかし、やはり救世主はニンゲンということもあり、いくら創造主:Y.O.N.Nに選ばれた人物だとしても、ニンゲンの感情でモノを発言していた。
それこそ、アンドレイ=ラプソティの心を鷲掴みにして、グワングワンと揺らすほどの『魅力』を持っていた人物であった。だが、あの『第3次天魔大戦』を終えた後に、彼が取った数々の行動を振り返ってみれば、守護天使を務めたレオン=アレクサンダーの方が優れた人物であったとしか言いようがない。
その当時の救世主は軍才など、欠片も持ち合わせていなかった。ただただ、ひとびとを『魅了』する才には長けていた。それがどれほどのニンゲンたちを死地へと追いやったかと言えば、レオン=アレクサンダーがやったことのほうが1億倍マシだといわざるをえないほどである。そして、天界に残されている救世主に関する文献を読み漁ったことで、アンドレイ=ラプソティは救世主に共通する才能を発見し、さらに確信に至る。
アンドレイ=ラプソティが救世主に見出した才とはすなわち『ひとたらし』なのである。鐘が響き渡るような声で、人々の鼓膜と心臓を打ち鳴らし、脳の回線と回路を焼く。これで救世主は地上界のひとびとを悪魔専用の殺戮兵器へと変えるのだ。救世主を通じて、創造主:Y.O.N.N様を神聖視し、救世主の言葉で、死を恐れぬ兵士へと変える。
救世主の存在は天界にとっては、非常にありがたい存在になるが、それでも無辜の民たちが悪魔との戦いでいたずらに命を落としてほしいとは思わない天界の住人たちであった。そういう想いがあるにも関わらず、救世主たちは女子供たちすらも兵士へと変貌させたのである。その事実を知っているし、体験もしているアンドレイ=ラプソティはむやみやたらに救世主を歓迎する態度を取れないのであった。
「今のうちに言っておきます。その救世主が本物であろうが、偽物であろうが、アリス殿は『魅了耐性』をフルに上げておいてください」
アンドレイ=ラプソティはテーブルに運ばれてきた料理にフォークをぶっ刺しながら、アリス=アンジェラにそう忠告する。まるで父親が悪い男に引っかからないようにと注意するようでもあった。そして、それに便乗するようにとある人物がテーブルの開いた席にドカリと座り、この人物もまたアリス=アンジェラに忠告をし始める。
「そうだぞ。アンドレイもたまには良いことを言う。救世主は『色欲』のアスモウデスも裸足で逃げ出すレベルの『ひとたらし』だからなっ! 我輩もアンドレイも冷や冷やしてるんだぞっ!」
「えっと……。ベリアル? いつのまに?」
アンドレイ=ラプソティたちが陣取るテーブルの席に乱入してきたのは、『怠惰』の権現様であるベリアルであった。彼はアンドレイ=ラプソティたちが注文した料理だというのに、構うことなく、それらに箸をつけていく。それだけでは無く、追加でアルコール類を注文し始めたのだ。
「くはぁ! やっぱり昼間から飲む麦酒は最高だなっ! アリス嬢ちゃんも思わず喉を鳴らしているのがたまらねぇっ!」
「こいつ、悪魔なのデス! アンドレイ様が見ているから、アルコール類を飲むのを我慢しているのに、これ見よがしにゴクゴクと麦酒を飲んでいるのデス!」
「ソーセージとくれば麦酒だろっ! 茶をすするほうが間違ってんだよっ!」
酒は長寿の薬と呼ばれるように、天使と言えども戒律的に一切飲んではいけないというルールは無い。しかし、飲む時間帯や飲む場所というマナーは存在する。救世主誕生で昼間から宴会場になっているこの食堂で、天使ともあろうものがニンゲンたちと一緒に酔いしれるのはどうなのだろうか? という天使としてのマナーから、アリス=アンジェラはソーセージのお供に麦酒を飲むことをためらっていたのである。
アンドレイ=ラプソティは悔しがるアリス=アンジェラを見て、はぁぁぁ……と深いため息をつかざるをえなくなる。そして、忙しそうにあちこちのテーブルで注文を取っている女性店員を呼び寄せて、冷えた生チュウを3つ注文するのであった。
「創造主:Y.O.N.N様なら、多少のお目こぼしをしてくれます。アリス殿に我慢させる方が見ていて忍びなくなりました」
「チュッチュッチュ。さすがは紳士のアンドレイ様なのでッチュウ。でも、アリスちゃんは1杯だけに留めるでッチュウよ?」
「うっ! 大事に大事に飲ませていただき……マス!」
ベリアルは終始、ニヤニヤとしぱなしであった。女性店員が両手で運んできた3つの木製のジョッキになみなみと注がれた冷えた麦酒をゴクリと喉を鳴らしているアリス=アンジェラを見ているだけで、背中にゾワゾワとした快感が昇ってきてしょうがない。
アリス=アンジェラは眼をキラキラさせながら、泡が吹きこぼれそうな麦酒ジョッキを見つめている。そして、アンドレイ=ラプソティがどうぞと言うや否や、アリス=アンジェラは太すぎるソーセージの中ほどを歯で食いちぎり、さらにはそれを麦酒で流し込む。
「ぷはぁ! 最高なのデス! 一気飲みは創造主:Y.O.N.N様に強く止められていますけど、こればかりは手が止まらないのデス!」
アリス=アンジェラは太すぎるソーセージ1本を消費するのに、生チュウ1杯を空にしてしまったのだ。そうなることはこのテーブルの誰しもが予想通りと言えば予想通りであった。そして、アリス=アンジェラは捨てられた子犬のようなウルウルとした眼でアンドレイ=ラプソティに訴えかけてくる……。