第5話:親切と嫌がらせ
「ようやく全員、寝たか……。やれやれ、面倒くさいが俺が火の番をしてやろう」
アリス=アンジェラが眠りの底へと堕ちたのを感じ取った後、眼を開けたのがベリアルであった。彼は勢いがかなり弱まっていた焚火に薪をくべる。パチッ! パチチッ! と新たに焚火に突っ込まれた薪が鳴ることになるが、ベリアルは気にも留めなかった。この音で誰かが起きてくるのであれば、一緒に寝酒でも楽しめば良いだろうとさえ考えていたからである。
しかし、今日1日、大変なことに見舞われたアンドレイ=ラプソティたちが眼を覚ますことは無く、ひとり、深酒に陥ってしまうことになるベリアルであった。そして、ベリアルが見せた気まぐれの優しさに誰ひとり気づくこともなく、朝を迎えることになる。
「いてえ……。頭がガンガン鳴る。我輩は昨夜、何をしてたっけ??」
「アリス殿。悪魔に優しさを見せる必要はありません。昨晩、飲み過ぎるなとあれほど注意しておいたのです、これは言わば自業自得なのですから」
ベリアルは結局、ひとり酒を堪能しすぎて、途中で寝てしまったのだ。そんな酩酊状態に陥りながらも、かがり火に適時、新たな薪をくべてはいたが、そんな配慮に満ち満ちていた記憶も酒のせいでどこかにすっ飛んでいたのである。そして、ベリアルが最も不幸だったのは、そんな甲斐甲斐しいベリアルを放っておいて、先に進もうと言い出すアンドレイ=ラプソティの存在だったとも言えよう。
「ちょっと待ってくれよぉ。旅は道連れ、世は情けって言うだろ。我輩もアンドレイたちと旅をしたいんだぁ~~~」
「酔いが覚めたら、勝手に追いかけてください。酔い覚ましになるモノを見繕っておきましたので、それでも食べておいてください。では、アリス殿、コッシロー殿、行きましょうか」
アンドレイ=ラプソティは生のキャベツとトマトを竹製の笊いっぱいに乗せると、それを立ち上がることすら出来ないベリアルの眼の前に置く。酔い覚ましには水分が一番である。そして、水分が多く含まれたキャベツとトマトは、これ以上無い悪魔にとっての嫌がらせでもあった。
とにかく生の野菜を悪魔は嫌う。しかし、キャベツやトマトと言った生野菜は特に暴飲暴食の助けとなる。だからこそ、悪魔は薬になるこれらが大嫌いなのだ。親切と嫌がらせがたっぷり詰まったキャベツとトマトの山盛りをギリギリと歯ぎしりして、睨みつけるしか他無いベリアルであった。
ベリアルに嫌がらせと親切を施せたことで気を良くしたアンドレイ=ラプソティは意気揚々と西へと歩を進める。コッシロー=ネヅはややベリアルに同情心を抱いたが、悪魔をこらしめると言った意味では、アンドレイ=ラプソティの取った行動は正しいものであり、何も言わずにアンドレイ=ラプソティの後を追いかけるのであった。
「では、先に行ってマス。でも、追いついてきて、何かしようものなら、今度こそ、躊躇無くシャイニング・グーパンを叩きこみマス」
「これは手厳しいなあ。我輩はアリス嬢ちゃんに何か悪いことをした記憶は無いんだけどなあ?」
ベリアルはいつものように飄々とそう言ってみせたのだが、アリス=アンジェラが意外にも可愛らしくもじもじとし始めたのであった。ベリアルは頭の上にクエスチョンマークを3つほど浮かべてしまうことになる。そんな不可思議満載の表情となっているベリアルに向かって、アリス=アンジェラは顔を真っ赤にしながら、ベリアルの顔面にシャイニング・サッカーボール・キックをかますのであった。
「と、とにかく、ボクに悪さをしようものなら、とっちめてやるのデス!」
アリス=アンジェラは言いたいことを言ったとばかりに小走りでコッシロー=ネヅの後を追う。顔面にキックをもらったベリアルは二日酔いでグワングワンと鳴る頭に二重でダメージを負うことになり、しばらくその場から動けなくなってしまう。
それから1週間、アンドレイ=ラプソティたちはベリアルが追ってくる気配を感じることなく、西へと進み続けた。インディーズ帝国から西へといくつもの国を越え、1週間と半分を過ぎた夜にはアラジン半島を越えることに成功する。そして、アンドレイ=ラプソティ一行は十字軍が聖地奪還のために侵攻した土地である聖地:エルハザムから東30キュロミャートルに位置するとある街にやってくる。その街では聖地に救世主が新たに誕生したという噂が飛び交っていた。
「救世主……? コッシロー殿。天界から離れて30年の私にはわかりかねますが、創造主:Y.O.N.N様のプランには新・救世主計画が上がっていたのですか?」
アンドレイ=ラプソティの疑問は当然であった。地上界に救世主が登場するということは、そのまま『天魔大戦』に繋がるからである。しかし、『七大悪魔』のベリアルからはそんな情報はまったく得ることが出来ないでいた。それゆえにコッシロー=ネヅに確認を行ったのである。
「チュッチュッチュ……。我輩もそんな話は聞いていないのでッチュウ。アリスちゃんはどうなんでッチュウ?」
「ボクも聞いてまセンネ。ボクが創造主:Y.O.N.N様から命じられたのは、レオン=アレクサンダーから天命を回収することと、アンドレイ様を天界に連れ戻すことの2点だけデス」
コッシロー=ネヅとアリス=アンジェラの返答にアンドレイ=ラプソティはやはりそうなのかという感想を抱く他無かった。こうなれば、救世主は救世主でも、偽・救世主である可能性が高くなる。レオン=アレクサンダーがエイコー大陸の西側を占拠したことで、『恐怖の大王』の名を欲しいままにした事実はある。だが、それは地上界の出来事でしか無く、それが直接、『救世主待望論』となるのはおかしな話なのだ。
そして、レオン=アレクサンダーが死んだことはこの街の住人も知っている事実である。『恐怖の大王』が死んだ後に新・救世主が現れることは明らかにおかしい事象なのである。しかし、その街では新・救世主をひと目、見に行こうという声がそこら中で湧き上がっていた。
そんな話にやや食傷気味になっていたアンドレイ=ラプソティたちは、早めの昼食を取るために酒場を兼営している大きな食堂へと入る。そこでは天井からソーセージがぶら下げられ、店員たちはそのソーセージを切り分け、次々とテーブルへと麦酒と一緒に運んでいた。
誰もかれもが昼間からアルコールを注文しており、ここでも救世主の話が飛び交っていた。もし、救世主の話ではなく、怠惰や淫蕩な話が中心であったならば、この街はソドムとゴモラのように創造主:Y.O.N.Nとその御使いたちの手で『塩の柱』にされているのではなかろうかという危惧をアンドレイ=ラプソティに抱かせるには十分なほどの活気で満ち溢れていた……。




