第2話:調理場と悪魔
アリス=アンジェラは眠い眼をこすりながら、むくりと起き上がり、周囲を見渡す。視界には省エネ状態となったコッシロー=ネヅが毛布を頭から被り、腹を丸出しのベリアルが毛布を蹴っ飛ばして寝相の悪さを披露している。そして、もうひとりは座った状態でうっつらうっつらかっくんと首級を前後に振っている。
アリス=アンジェラはその面白い動きを見せているアンドレイ=ラプソティを見て、プフッと噴き出してしまう。その小さな笑い声を耳に入れたアンドレイ=ラプソティは、おっと! という声を出しつつ、挙動不審な態度を取ってしまう。
「アンドレイ様。お疲れでしたら、寝てらしたら良かったノニ」
「い、いえ……。アリス殿が眼を覚ました時に、スープを温めなおそうとしていましたので」
「それくらいボクひとりで出来るのデス。こう見えても立派な16歳なのデス」
アリス=アンジェラのその言いに、ほぉ……と興味深そうな声を出してしまうアンドレイ=ラプソティであった。純血種の天使と半天半人の年齢的感覚を地上界で例えれば、エルフとヒューマノイドとなるだろう。半天半人はヒューマノイドと比べれば、長命種の分類に入るが、純血種の天使から見れば、半天半人は短命種になる。それゆえに見た目は16歳程度ではあるが、もう少し歳を重ねているとばかり思っていたアンドレイ=ラプソティである。
そして、そのことを察したのか、アリス=アンジェラはムッ! という表情に変わってしまう。
「花も恥じらう16歳の聖女なのデス! 初老に足を踏み入れているアンドレイ様とはそもそもが違うのデス!」
「しょ、初老!? 私はまだ壮年ですよ! ナイスミドルです。そこは撤回してください。そうしないと、ちんちくりんって言いますよ!?」
「ちんちくりんは失礼すぎマス! 眼から光線を喰らいマスカ!?」
アリス=アンジェラが少し涙目になりながら眼光鋭く、アンドレイ=ラプソティを睨みつける。口はアヒルのクチバシのようになっており、アンドレイ=ラプソティの『ちんちくりん』発言はアリス=アンジェラの左胸を深く抉ったことは間違いなかった。このアリス=アンジェラの態度からはアンドレイ=ラプソティは良い大人でありながら、ダメ大人としての失格印を押される発言であったのはありありとわかることであり、アンドレイ=ラプソティはムムム……と唸りながらも自省を促されることになる。
「すいません、言い過ぎました。壮年のくせに少々、熱くなってしまいました」
「わかれば良いのデス! 16歳の聖女相手にアンドレイ様は大人気無さすぎなのデス!」
謝罪の言葉を送ったというのに、それでもまだ納得しきっていないという感じを醸し出すアリス=アンジェラに対して、どうしたものかと悩んでしまうアンドレイ=ラプソティであった。しかしながら、アリス=アンジェラがプンプンと怒っているところ、クゥ~~~~という腹の虫の鳴き声が響き渡り、それと同時にアリス=アンジェラの顔は火が噴き出したのかと思えるほどに真っ赤に染まってしまうのであった。
アンドレイ=ラプソティは彼女が精神的に不安定だった原因の半分ほどは、お腹が空いていることだと察し、何も言わずに取っ手付きの鉄鍋を暖を取るための焚火の上へとセットする。そして、ことことと数分ほど温めなおした鉄鍋の中身を木製のお椀の中へとおたまですくい、アリス=アンジェラにその木製のお椀を手渡すアンドレイ=ラプソティであった。
「コッシロー殿の言われるがままに、アリス殿が好む味付けにしてみました」
「あ、ありがとうございマス。コッシローさんは口やかましいママのような存在なので、アンドレイ様にご迷惑をかけたかもしれないのデス」
「ああ……。栄養バランスがどうとか、辛すぎるのはダメとか、ベリアルにツッコミを入れまくってましたね……」
アンドレイ=ラプソティやベリアル、そしてコッシロー=ネヅが作ったのは野菜と干肉のごった煮のスープである。だが、ベリアルは『怠惰』の権現様であり、食材を切りもせずに鉄鍋の中へと突っ込もうとした。それだけではない。ワインや麦酒で味付けをしようと言い出し、それを止めたのがコッシロー=ネヅであった。
少量のアルコールをスープに混ぜるのは悪い手では無い。しかし、ベリアルは『怠惰』なのだ。ほっとけば、どこからか見つけてきた無事なワインや麦酒を瓶の中身全部ぶち込みそうな雰囲気があったために、コッシロー=ネヅは全面的に禁止したのである。
それだけならまだマシな方であり、自分は辛口が好みだと言い出して、ベリアルは香辛料の類を瓶ごと、鉄鍋の中へとぶち込もうとしだしたのだ。結局、アンドレイ=ラプソティがベリアルを背中側から羽交い絞めにして、コッシロー=ネヅが前足でベリアルが手に持つ数々の香辛料の瓶をはたき落とすという無駄な作業をさせられることになる。やるなら、自分の分のお椀の中にぶち込めということで落ち着くことになる。
その話をアンドレイ=ラプソティから聞かされたアリス=アンジェラはプフッと軽く噴き出すことになる。アンドレイ=ラプソティは身振り手振りでベリアルがどれほどに『怠惰』なのかをアリス=アンジェラに示してみせるが、それがさも可笑しいのか、アリス=アンジェラはスープを飲む手が止まってしまうほどであった。
「ベリアルは、というより悪魔は自由すぎマス」
「自由で踏み止まれば良いのですが、彼らは『混沌』そのものです。料理は『秩序』、そして『調和』なのです。彼らを決して調理場に立たせてはいけません」
「しかし、時にはその『秩序』を破壊する必要性もありマス。新しい料理を生み出すには『混沌』というスパイスも必要な時がありマス」
アンドレイ=ラプソティはなるほど……と思わざるをえなかった。さすがは半天半人のアリス=アンジェラであると。ニンゲンの血が半分流れているゆえに、アリス=アンジェラは『混沌』を受け入れる余地があるのだろうと思ってしまう。
しかし、そうだからと言って、ベリアルの案を受け入れる気は全くもって無かったアンドレイ=ラプソティとコッシロー=ネヅであった。どう考えてもゲテモノと呼ばれるモノになるのは確実であったからだ。それを何としても止めねばならないという使命が自分たちにあると思ってしまったのである。
「もし、このスープを作る時に、アリス殿が起きていたら、もう少し、決まりきった味にはなっていなかったかもしれませんね」
「そうとも言えるし、そうでもないと言えマス。そもそも、ボクは料理に関してはド素人なのデス。ド素人の意見など聞いたら、ベリアルが口出す以上のゲテモノが誕生していた可能性があるのデス」




