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アンドロイド1号  作者: t005
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 少年はアンドロイドの自由発言性を高レベルに変更したことを後悔していた。先日、フランクからも何気なく少年に話しかけてほしいと思い、つい設定レベルを上げていたのだ。今まで、インターネット検索に基づく人間の思考予測と少年と過ごして得た経験から、自発的に感情や意志を話すことはあった。しかし、今、少年の友人は実際に行動まで取り始めた。

 自由発言性を高レベルにした次の日、少年が納屋に行くとそこは無人だった。今まで納屋から一人で出たことはないのに。慌てて少年が裏庭に駆けると、フランクはそこで直立の状態で読書をしていた。右肩にはメジロまで止まっている。

「やあ、おはよう」

と友人はのんきに話しかけてきた。

「なんだよ、もう、心配したんだぞ」

とフランクに近づくと、メジロは飛び立っていってしまった。再び読書に戻った友人に少年は多少の苛立ちを覚えつつも、本当の友人とはこうかもしれないと思い、設定を変えられずにいた。ドキドキすることはあっても、実際に友人が自らの意思で動くことが少年は嬉しかった。

 しかし、少年の考えは甘かったのだ。アンドロイドは少年の感情を模倣するよう設定されている。少年の友人を持つ喜びは自然にアンドロイドへと伝搬された。そして、アンドロイドは次第に友人を欲するようになった。

「友人が欲しい」

フランクがそう言ったとき、少年はまた嫌な予感がした。納屋の外にアンドロイドを連れ出したことは結果的に問題にはならなかったし、楽しいことは多くあった。しかし、アンドロイドを他人に見せることには大きな不安がある。誘拐され技術や部品をどこかの研究機関や闇市に売られるかもしれない。面白半分に破壊行為が及ぶかもしれない。誰か信頼できる人ならば、アンドロイドの秘密を共有し、より安全で楽しい生活を送れるであろう。少年に信頼できる人がいたらそうすべきだった。

 少年の本音は少し違った。彼の世界における唯一の友人フランクをずっと独占していたかった。彼が望み、作り、友情を育んだという独占欲と、友人との関係が離れることへの寂しさを彼自身が抱いてることは知っていた。

「どうだろう、まだ早いんじゃないかな」

少年はだめの一言が言えなかった。彼がそう答えると、アンドロイドは少年の感情を模倣して、不安と嫉妬の入り混じった表情で彼を見つめた。

 納屋の中の機材の様子が少しずつ変わっていることに気づいたのはそれから少し経ってからだった。棚や床に部品が転がり、道具が散乱していた。フランクは屋外にあまり出ず、納屋にこもり作業をしている様子だった。少年ははじめのうち、フランクが自身をアップデートしているのだと思っていた。しかし、彼は少年が寝ている間や学校に行っている間も働き続け、着々と作業は進んでいた。

「最近何をしているんだい」

少年は納屋に転がった大きなスプリングを拾い上げて聞いてみた。フランクは納屋の奥、ちょうど影になった所で作業をしていた。彼はこちらに振り向いたが、暗くて顔は見えなかった。ただ、少年の目を真っ直ぐ見ていることはわかった。納屋の隙間風が妙に生温かかった。

「友人を作ってるのさ」

少年ははじめ感心した。そうか、人間に会わせることができないなら別のアンドロイドを作ればいいのか、なんで思いつかなかったんだろう、と。しかし、次第に恐怖を感じた。アンドロイドが自分の判断で別のアンドロイドを作っている。それを思いついて少年に相談してくるのではなく、実際に行動に移しているのだ。

 少年はゆっくりと納屋の奥の作業場に歩み寄った。途中、レンチを蹴飛ばしてしまい、重い金属音が鳴った。少年がアンドロイド1号を組み立てたコンピューター上には、彼が見たこともないコンソール画面が映っており、それが刻一刻と稼働している。ファンの唸りと動作音が聞こえ、それはまるでアンドロイド2号に生命エネルギーを送っているかのようだった。少年が唯一安心したのは、身体パーツがまだ揃えきれていない点である。少年も収集に手こずったのだから、アンドロイドが簡単に組み立てられるはずはなかった。少年は唾を飲み込んでから聞いた。

「脳の、人工知能はどうするんだい」

「もうすでに俺のコピーをこのコンピューター上に保存してあるんだぜ。それをただこっちの身体にインプットするばいいって算段さ、相棒」

「君とまったく同じ設定なの?」

「もちろん!俺は、俺みたいな友達が欲しいからね」

少年は話を聞きながらコンピューターを操作していた。初めて触る言語だったが、なんとなく意味は理解した。確かにフランクと同じ設定である。自由発言レベルが高レベルの。

 少年はモニターから2号の身体へ目を向けた。

「パーツ集めに苦労してるんだろ」

「ああ、それなんだよ。ネジや金属板はそこら辺に落ちていたり捨てられたりしているけど、ロボットパーツそのものは手に入らない。半分あきらめていてね。自分でアームやレッグを組み立てようと考えているのさ」

だから、納屋には足の踏み場がないほど細かい部品が転がっているのか。少年はパーツを自作するよりも、どこからか拝借する方が格段に簡単だった。しかし、アンドロイドには自作するだけのインターネットによる知識と時間があった。

 アンドロイド2号を作成することに反対だと、フランクにどう伝えようかと少年が悩んでいると、納屋の外から大声が聞こえた。

「おい、おい!どこにいるんだ」

叔父である。少年は急いで、用意してあった特大の布切れを豪快に広げ、フランクと、未完の2号が隠れるように雑に被せた。

 そして、納屋の扉を開けた。

「ここです。ここにいます」

「こんな所で何してるんだ。この納屋に入る許可を出した覚えはないぞ。おい、明日までにこれを洗濯しておけ」

そう言って、バスの運転手の制服を上投げしてきた。

 少年の叔父は警備員だった。夜間警備員であったが、勤務途中で酒をひっかけに行き、その日財布に入っている銭を使い果たすまで飲む、そんな男である。勤務態度もよくない叔父のことを彼のボスはクビにするタイミングを伺っていた。そして、そのタイミングを作ったのが少年であった。アンドロイドのパーツを拝借しようとした少年を捕まえた警備員が、叔父の同僚だった。そのまま、叔父は自主退職となり、今日までその退職金で昼から酒を飲んでいた。もちろん、少年をひどく痛めつけた後で。叔父はどうやら次の職として、バスの運転手になるらしい。飲酒運転で捕まるんだろう、と少年は未来を思いながら制服を受け取った。

「わかりました」

叔父は家へ戻ろうとしたが、また大きな足音を立てて戻ってきた。

「それとだ、この納屋に勝手に入るんじゃない」

少年の胸に太い人差し指を叩きつけながら怒鳴り、また去っていった。

 少年は安堵の息を深く吐き出した。フランクもそれに共鳴して、緊張が解けた素振りで布から頭を出した。少年はかぶりを振りながら言った。

「なんだよ、ずっとこの納屋の存在すら忘れてたくせに。まあ、一晩酒を飲んで帰ってくれば、また忘れるか」

「迫力のある人だね」

「ああ、まるで突進してくる猪だ。傲慢で、自分勝手で、周りなんか見ちゃいない。猪突猛進さ」

そう言って二人は笑った。そして、少年は制服の洗濯に向かった。

 その日の叔父は、いつもと違った。久しぶりに職についたため、少しばかりその錆きった脳みそを動かしたのだ。丁度酔いが覚める昼下がりだったからかもしれない。運転手座席に身分証として提示する自分の顔写真を写真屋に印刷しに行こうとしたが、待てよ、納屋にプリンターがあったはずだと思い出した。一昔前の歌謡曲の鼻歌を鳴らしながら、納屋の扉を開けた。そこで初めてアンドロイドを目にしたのだ。

 はじめ、人型のそれを納屋に入った泥棒だと勘違いした。

「おい、お前、この泥棒!俺の家に勝手に入るな」

真っ赤にした顔の横に拳を構え、その人型に突進した。フランクは弁解する暇もなく、拳を喰らい床に倒れ込んだ。重量のある金属音がした。叔父は殴った拳を開き、ひどく擦りむいているのを確認した。殴った感触が、まるで夜怒り狂って自動車の扉を凹ませたときのそれだった。表層は人工皮膚だが、その直下にある金属板の感触が伝わったのだ。叔父は少しばかり冷静になって人型を見た。ロボットの手足がついた金属の胴体、顔は人間のようだが先ほど殴った箇所からは金属がきらめいていた。

「お前、お前はなんだ」

「お、俺はフランク、いや、アンドロイドです。この納屋で作ってもらったアンドロイドです。泥棒ではありません」

叔父はすぐにはフランクの弁明を受け入れることができなかった。そもそも、アンドロイドが何を示すかもピンときていない。ロボットはわかるが、この社会の人間の職を奪うロボットを叔父は好ましく思っていなかった。

「ロボットか。くそ、あの小僧が作ったのか」

「いいえ、アンドロイドです。確かにロボットのパーツで構成されていますが」

「うるさい、黙れ、俺はお前みたいなのが大嫌いなんだ。そうだ、このパーツをバラして、ジャンク屋に売り込んでやる」

叔父が声を荒げていると、少年が納屋に駆け込んできた。

「待って、お願い、待ってください」

少年は叔父とフランクの間に入って、状況を説明しようとした。

「ごめんなさい、勝手に納屋を借りて、こいつ、こいつを作って。でも、彼はただのロボットじゃなくて、アンドロイドなんだ」

息を切らしながら叫んだ。

「アンドロイドだと。そんなもの何になる。お前が盗んで集めたこのパーツを売り飛ばした方がよっぽど金になるだろう」

「そんなことしないで、彼は、ぼくの友達なんです」

少年は本心の叫びを伝えたが、叔父には響かないことがわかっていた。こう続けた。

「アンドロイドは人の心を持っているロボットのことなんです。そして、フランクはぼくが発明した、世界で唯一のアンドロイドかもしれない」

叔父はおそらく理解できていない。

「何を言っているんだ。お前なんかが作れるものに価値があるものか」

「違う、本当に価値があるんです。大企業がこぞって開発しているものを、ぼくが初めて作った。こいつは、世界で一体しかないアンドロイドなんです」

叔父に壊させないためには、フランクの価値を示す必要があった。叔父もようやく少年の話を聞く姿勢になったため、少年は本屋から盗んだ科学雑誌を取り上げた。

「ほら、この本に書いてある。我々はアンドロイドを開発中だが、様々な問題の解決に苦労しているって。どこの企業もまだ完璧なアンドロイドは作れていないんです。ぼくはこの本の付録を改造して、立派な一体を作りました」

叔父は少年の成果には全く関心がなかった。ただ算数の不得意な頭で皮算用をしている。

「すると、このロボット、いやアンドロイドを欲しい企業があるのか」

「たぶん」

少年は目を落とした。話の先が見えたからだ。

「トヨテックとかか?それなら、こいつはばらさない方がいいな。トヨテックに売り払うか、どの企業がいいのか、よくよく見極めなきゃなあ。一番高い金を出す所だ、もちろん」

叔父がニヤニヤ笑い始めた。口の隙間から、酒の飲み過ぎで抜け落ちた部分を埋める金歯と、ずっと磨いていないであろう黄色い歯が見える。

「いや、待てよ。こんな貴重なもの売り払う必要はない。おい、お前。これをまだ作れるか」

少年の予期せぬ方向に話が変わり始めた。

「え、フランク?じゃなくてアンドロイドを?まあ、人工知能はいくらでもコピーできますが、身体が、身体のパーツを手に入れるのが難しいかと」

「つまり、ロボットの手足だな。なんとか集めろ。お前の手グセの悪さはもうどうにもできん。だから金稼ぎのために使え。俺のバスはロボットの廃品回収場を通る。朝乗って、そこで降りろ」

「でも」

「口答えはするなと言っているだろ。まずは数体作れ。なるべく格好良く、中身はなんだっていい。プロモーションしたときに写りがいいようにだ。わかったな」

無茶を言うが、断ることはできない。

「はい」

「俺は行く。この写真を印刷しておけ」

そう言って、データが入ったメモリを少年に投げると、叔父は家の中に帰っていった。


 それからの数日、少年は悩んでいた。伯父の言う通り、確かにアンドロイドで金稼ぎをすることはできるし、商売をせずとも少年の友人が増えることは嬉しい。しかし、少年にとってここにいるアンドロイドは文字通りかけがえのない友人なのである。この1号は少年がゼロから作り上げた一体である。一体を作り上げたノウハウがあるため、2体3体目を作るのは比較的容易であろう。しかし、1体目を作ったときほどの熱量が少年の中にはもうなかった。

 悩み、腕を組んでいる少年を横目にフランクは、工作を進めていた。彼は元々2号の身体パーツは自分で作る予定だった。モーターローターとステーターをつけ、それをアルミの支柱に固定した。金属の加工技術をインターネットで検索し、結果的に叔父の期待に沿うかのごとく見栄えの良いパーツに仕上げた。ただ、すべての身体を組み上げるにはかなりの時間を費やすことは容易に想像できた。

 叔父はそれから、度々納屋に寄っては、まだこれしか進んでないのか、と文句を垂れ、少年とアンドロイドに激励を込めたきつめの拳を振るい、酒場に向かった。ある日、叔父は酒場の主人に愚痴をこぼした。

「あの小僧が、俺の納屋で変なもんを組み立ててやがった」

「変なものってなんだい、空飛ぶロケットかい」

「違う、組み立てたんだ。ロボットだよ。なんて言ったかな、脳みそが、自分で、あー、人工知能だ。人工知能を持つロボット」

「ああ、アンドロイドってやつだろ。昨日もテレビでやってたぞ。あの何とかって大企業が必死こいて作ってるって。あれは、でもまだ開発中で未完成だって言ってたぞ」

「ああ、それをあの小僧は作っちまいやがった。あいつの、そのアンドロイドってやつは、今自分で別のアンドロイドを作ろうとしてやがる」

「へえ、すごいじゃないか。そこの企業に売り込むのかい」

「いや、違う。俺があのアンドロイドを売るんだ。今、小僧にアンドロイドをたくさん作るように命じている」

「そんなことできるのかい。そのアンドロイドは何の役に立つんだ」

「何でもいいじゃないか。世界で俺だけのアンドロイドだ。売り方はいくらでもある。家事をやる、ロボットより考えて働く、あとは、いかがわしいこともさ」

叔父は妄想してまた不気味な笑顔を浮かべた。その後、不満そうな顔をして店主に言った。

「だがあの小僧、なかなか2体目を作ろうとしない。あいつの1号がひとりで作業しているだけで、小僧はただほうけてるだけさ。馬鹿な小僧だ」

そう言って、ビールを煽ろうとしたとき、叔父の隣のカウンターでひとりで飲んでいた別の男が呟いた。

「ふん、情熱の割り算だな」

叔父は焦点の合わない眼球を無理やり隣の席の男に向けた。男は明らかに外国人だった。顔の作りが違うし、着ている服もここらでは仮装大会でしか着ないようなものだ。

「おい、初めて見るやつだな。お前は観光客か」

「俺は最近ここらに引っ越してきたんだ。あそこの通りで修理屋を始めた」

「新参か。俺はここの常連だ、あー、バス運転手だ」

2人は杯を鳴らした。しばらくお互い黙って飲んでいた。店主はグラス洗いをして、カウンターに背を向けている。しばらくして少年の叔父が男に聞いた。

「なんの割り算だって」

「ああ、情熱だ。情熱の割り算っていう教訓話が俺の国にあったんだ」

「ふん、随分大義な小話のタイトルだな。どんな話なんだ」

「ああ、別に大して面白い話じゃないし、長いんだ。教訓だからな。一昔前、俺の国にも野望を叶えるために情熱にあふれるひとりの若者っていうのがいたんだ。そいつはな、毎日客で溢れ返るにぎやかな商店を開いて、町に活気を取り戻したかったんだ」

「へ、青二才の話か」

叔父はビールを飲み干し、もう一杯追加を頼み、話を促した。店主はグラス洗いを終え、ビールを注ぎ、この男の話を聞くことに参加した。

「それで、そいつがどうしたって」

「そいつは、学生の頃から必死に勉強し、卒業してからは大きな店の手伝いとして働きながら経験を積んだ。ただ、接客を学ぶだけじゃない。どう経営して繁盛させるか、自分の考えをまとめたんだ。そんな中、国全体が大不況に見舞われた。政治の詳しい話はわからないが、かなりの製造大手企業が経営破綻したんだと。国中の工場やら支店やらがぽんぽん潰れてった。若者の町にもひとつ工場があったが、そこで働いていた何千人がクビを切られちまった。すると、誰も財布の紐を開けなくなり、町全体がどんよりしたんだ。だがな、この若者は、今が独立の好機、自分の腕前を奮い、町を復活させるチャンスと考えた。若い頃っていうのは自信だけが空回りしがちだが、そいつは実力が伴っていたんだ。それで町の中心地にまあまあ大きい店を開いた。敷地に比べて棚は少なくして、物は安めに売った。しっかりベンチやらトイレやらも小綺麗にすると、こもりがちだった住民がちらほら買い物に来る。買い物ついでに近所同士で喋って飲み食いして、ってのが続いて店は町の噂になった。若者は軌道に乗ったと判断するやいなや、商品点数を増やした。それまでは赤字ぎりぎりの商売だったが、新しく入荷したものには少しばかり利益が出る価格にしたんだ。客はそんなことは知らずに、いつものように来て買って、帰ってまた来た。気づいたら町民にとってなくてはならない店になっていたんだ。若者は誇らしかったに違いない。それで、町の金持ちや議員らが若者に近寄ってきた。町長は自分の娘を若者に熱心に紹介したらしい。でも、若者には苦労した時から一緒にいた、これまた器量よく優しい女がいて、そいつと一緒になった。幸せな時間が続いたんだろう。

 ああ、待てよ。この話の教訓はここからだ。こんだけ街で盛り上がると、別の町にもその噂は届くらしい。となり町の地主が若者に声をかけてきた。おい、うちの町で2店目を出さないか、いくらでも融資しよう。若者は断ったそうだ。若者にとっては1店目が全てで、その町で成功することだけを夢みていた。今のまま、この店を町とともに末長く運営することが彼の生涯の幸せだと思っていた。ただ、この地主もやり手だった。なんと首都部の地主仲間を連れてきたんだ。都心の融資額は若者のいる町の桁を軽く超える金額だ。それに国が大不況に落ちいっているため、地主はこの機会を出世のチャンスと捉えて、本気の額を提示してきた。それでも若者の決意は固く、断るつもりだった。だが、町民みなは若者に融資を受けるように勧めた。こんな大金を断るなんて、この金があれば町は何十年も何もせずとも栄える、何を考えているんだ早く受けろ。妻だけが若者の味方だったが、ついに若者は融資を受けることにした。

 若者は2号店、3号店、4号店と次々に全国に店を開いた。どの店も大繁盛し、かなりの金額が毎月若者の手元に届いた。だが、若者には達成感はなかった。国中を動き回り、判断、指示、指導をし、妻とも長く会うことができなかった。いつしか売り上げ一位は1号店から都心の5号店へ移り、5号店を本店とし運営するようになった。5号店は都心の交通量が多い場所にあるため、来客数が多く、物は飛ぶように売れた。しかし、どうしても敷地は狭くなってしまい、棚と棚の間の通路は物であふれていた。客も老若男女問わず、変わり者も多かった。売り上げは1位だったが窃盗被害も一番だ。店内は毎時清掃しないと間に合わないほどすぐ汚れた。若者は疲弊していた。

 ある冬の休み、若者は故郷の町に帰ってきた。1号店は彼がいなくなった時と同じく、温かく、清潔で町の活気にあふれていた。さらに経験を積んだ今なら、もっとお店を良くする手段も考えついたはずだ。だが、若者は疲れ切っていた。不慣れな都会で多くを見て、苦しい思いをした。たくさんの店を持つ彼だったが、彼には思い入れがあるこの店舗だけで良かった。その夜、久しぶりに妻と夕食を食べ、家のベッドで寝ていた彼のもとに知らせが入った。1号店が火災と。若者は飛び起きて、寝巻きのまま1号店に駆けつけた。周りにはサイレンが鳴り響き、消防士が駆け回っていたが、消火の甲斐むなしく全焼だったそうだ。

 今となっては1号店に大きな思い入れはないだろう、だって?いや、そういうもんじゃない。疲れきった若者はそのまま絶望しちまった。そのまま、次第に他の店舗も衰退していってしまったのさ。さあ、これがこの話の教訓だ。信念や真心っていう物はいくつも分配できるものじゃない。ひとつ作り上げた物はそのまま大事にしておくべきだ。プリンターみたいにむやみやたらにコピーするもんじゃない。もし、コピーするならそれはコピー品だと割り切って、出来ることなら誰かにコピーを頼め。そう俺の国では子供のときに教えられる。よく人は0と1は違うという。だが1と2も違うということだ。どうだ、お前はどう思った?」

そう言って修理屋が横を向いたときには、叔父はもうカウンターにいなかった。奥のテーブルに新しいビール瓶を持って、町の若い女に話しかけていた。最後まで話を聞いていたバーの店主が言った。

「ああ、言いたいことはなんとなくわかる。だがな、子供に聞かせるなら、もう少し話を短くまとめとけ」

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