第五話 宙狐
昔々。
あるところに、妖狐の女の子がいた。
その女の子は“宙狐”と呼ばれる狐の位を持っていたので、みんなから「宙狐ちゃん」と呼ばれていた。
ある日のこと。
宙狐ちゃんは、偉い地位に就いているお祖母さん狐の元に、届けものを頼まれた。
宙狐ちゃんが仕える“秋葉三尺坊大権現”という、これまた偉い地位の天狗神が言った。
「宙狐よ。お前はどうも落ち着きがなく、判断力も乏しい。しかし、お前ももういい年になる。この使いを無事に果たすんだぞ?」
怜悧な雰囲気を持つ美人の三尺坊がそう言うと、宙狐ちゃんはジト目になった。
「えー。そこまで言うなら、秋羽様が自分で行った方が良くないでちか?」
わしっ!
「おや、火納天よ。どうやら今日もおやつは要らんようだな?」
笑顔のまま、宙狐ちゃんの頭をわしづかみにし、ミリミリと締め上げる三尺坊。
宙狐ちゃんは慌てて敬礼した。
「分かったでち!ま、任せるでちよ!」
すると三尺坊は、手かごを手渡した。
「では、これを先方に届けるのだ。聞けば、お前達キツネの好物だそうだが…」
「……」
「どうした?早く受け取らんか」
「その前に聞きたいのでちが…何で、秋羽様は鼻を押さえつつ、棒に手かごを引っ掛けて、推定5mも離れているでちか…?」
宙狐ちゃんの指摘に、思いっきり嫌そうに顔をしかめていた三尺坊が言った。
「いいから早く受け取らんか!あと、絶対に中を見るなよ!?」
「…既にそのリアクションだけで、見たくもないでち…」
しぶしぶ手かごを受け取ると、宙狐ちゃんは一人で出発した。
胡乱な手かごを下げての道中となったが、空は青く晴れ、ポカポカとした日差しが心地よい。
さわやかな風が吹き抜け、道端には色とりどりの花が咲き乱れていた。
意気揚々と歩いていた宙狐ちゃん。
その前に、不意に黒い影が現れた。
「こんにちは。小さな淑女」
「あああああああッ!あ、貴方は『六月の花嫁戦争』の時に出会った“影鰐”のお兄さんじゃないでちか!」
目をハートマークにする宙狐ちゃんに、耽美な雰囲気を纏った影鰐の美青年がニッコリと微笑む。
「久し振りですね。元気そうで何よりです」
「どうしてこんなところにいるでちか!?ハッ!?ま、まさか、あたちと祝言を挙げるために!?にゃはは~ん♡いくら何でも気が早すぎるでちよ~♡」
鼻息を荒くする宙狐ちゃんに、影鰐は苦笑した。
「残念ですが違います。実は貴女のお祖母さまにことづかって、迎えに来たのです」
「そ、そんな迎えに来るなんて♡で、でも…お兄さんがその気なら、あたちも異存はないっていうか…♡」
人の話をまったく聞いていない宙狐ちゃんに、影鰐は一筋汗を流しつつ、
「と、取り合えす、お祖母さまのお家までご同行しましょう」
こうして、宙狐ちゃんは影鰐と共にお祖母さんの家を目指した。
途中、宙狐ちゃんが疲れておんぶをせがんだり、お腹が空いたと駄々をこねたりはしたものの、二人は無事にお祖母さんの家へと辿り着いた。
「では、私はここで失礼しますね」
子守りでいささか疲労気味だった影鰐が、そそくさと帰っていく。
というか、影の中に逃げるように消えてしまった。
残念そうにしていた宙狐ちゃんだったが、仕方なくお祖母さんの家のドアをノックした。
「誰どすか?」
「宙狐でち。お使いで来たでちよ」
「ち、宙狐ちゃん!?鍵なら開いてるさかい、早よう入っておいで!」
興奮したような声にちょっと引きながら、宙狐ちゃんは恐る恐るドアを開けた。
すると、室内の寝台に横たわった一人の女性がいた。
雪のような白髪に、美しい白磁の肌。
それとは対照的に紅の隈取りが人ならざる美貌を彩っている。
その女性は、宙狐の祖母に当たり、妖狐の最上位に位置する“天狐”だった。
「はう♡ホンマに宙狐ちゃんや♡いつ見ても可愛ええーーーーーーーーー♡」
そう言うと、孫馬鹿を超越した可愛いものマニアである天狐がベッドの上で身悶える。
それにドン引きしつつ、宙狐ちゃんは持っていた手かごを差し出した。
「三尺坊様からでち。ここから投げるので、受け取って欲しいでち」
それを聞くと、天狐は途端に駄々っ子のようにジタバタし始めた。
「ええええええええええッ!そんなん嫌やーーーーー!宙狐ちゃんの可愛いお手てからちゃんと渡してぇな~~~~!」
「………やれやれでち」
そう言うと、宙狐は一歩踏み出し掛け、ふと立ち止まった。
「お祖母ちゃん、ちょっと聞きたいでち」
「お祖母ちゃんなんて言わんと『玉緒お姉ちゃん♡』って呼んで♡」
「思クソ嫌でち」
「ああん♡恥ずかしいからって、宙狐ちゃんったらいけずぅ♡」
盛大に疲労しつつ、宙狐ちゃんは尋ねた。
「何で、お祖母ちゃんの目はそんなにギラギラしているでちか?」
すると、
「それはぁ、宙狐ちゃんが可愛いから♡」
「何で、お祖母ちゃんの声はそんなに猫なで声になってるんでちか?」
「それはぁ、宙狐ちゃんが可愛いから♡」
会話になっていないような会話に、宙狐ちゃんは溜息を吐いた。
「この最後の質問はしたくないんでちが…何で、お祖母ちゃんの口はそんなに涎まみれで大きいんでちか…?」
「それはぁ…宙狐ちゃんをぉ…」
寝台からぐわっとジャンプしつつ、天狐がアブない目つきで宙狐ちゃんに飛び掛かった。
「ぺろぺろしちゃうから~~~~♡」
「ぎゃあああああああでち!!!」
身の危険を感じた宙狐ちゃんが、思わず手かごを天狐へと投げつける。
途端に中身が宙にぶちまけられた。
それを見た二人の顔が、盛大に凝り固まる。
そして…
「「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」」
この世のものとは思えない二つの悲鳴が、辺り一帯に響き渡ったという。
昔は狐を捕える罠に、好物として油で揚げたネズミの死骸を使ったというから、あなおそろしきことなり。




