巻之六 「人形供養と黎明の剣客」
そうして穏やかな夜明けを迎えて。
私と夫は娘に憑依した業物の魂が残した助言に従い、人形供養と御魂抜きに長けている事で有名な堺県防人神社に金太郎人形の処置を委ねたのでした。
急な申し出にも嫌な顔一つせずに私共夫婦を快く迎えて下さった清楚な巫女さんは、霊的な力に恵まれた方のようでした。
「御供養の前に、御魂抜きが必要のようですね…」
袈裟懸けにザックリと斬り捨てられた節句人形を一目見ただけで、御魂抜きの儀式が行われていなかった事を看破したのですから。
彼女は人形供養の準備をしがてら、ある不思議な逸話を語って下さったのです。
「宮司様が仰っていた事なのですが、一昔前にも京都の神社で、同じ職人さんによって製作された武者人形が持ち込まれたそうです。『武者人形を買ってあげて以来、長男が寝込んでしまい不吉だから。』って。ところが武者人形を御祓いすると、寝込んでいた長男さんは嘘みたいに全快したとか…」
後に専門家による鑑定が行われ、武者人形の髪には本物の人毛が植えられている事が明らかになったそうです。
その髪の毛が兄口動流斎の娘の物であるか否かまでは、当時の技術では分からなかったそうですが。
しかし私共が供養に出した金太郎人形と照合すれば、同じ人物の髪の毛かどうかはDNA鑑定で容易に判別がつく事でしょう。
もっとも、兄口動流斎の家系は途絶えてしまっているので、それ以上の事は依然として闇の中なのでしょうけれど…
「私共も、『節句人形を中古で買うな。』とまでは申しません。優れた名工の御人形さんが人を魅了する芸術品である事は確かですし、日の目を浴びないのは可哀想ですからね。しかし、中古の人形には何が憑いているか分かったものでは御座いませんから…せめて御家にお迎えする前に、私共のような神職に見せて頂きたいのです。何事もなければ、それに越した事はありませんからね。」
人形供養を終えた巫女さんは、こう最後に付け足したのでした。
確かに「兄口動流斎の作品だから」という理由だけで人形を破壊する事が出来ない以上、事前の注意喚起と事後対応位しか、打つ手は御座いませんからね。
私共家族に降りかかった災いは、確かに去りました。
しかし私には、未だに気掛かりな点が残っているのです。
もしかすると、兄口節子の遺髪が植毛された人形は、まだ幾つか日本に残されているのかも知れません。
そして新たな持ち主にして犠牲者が現れるのを、骨董品店の棚で虎視眈々と待っているのでしょうか?
長い歳月を経るうちに、本来の兄口節子の人格とは大きく隔たってしまった慟哭と絶望の残留思念と共に…
その真偽は、神ならぬ身の私には確かめようのない事なのでした。
はっきりと私が申し上げられるのは、「この次に藍弥へ買い与える節句人形は、新品の既製品にしよう。」と固く誓った事だけです。
悪霊を目の当たりにするのも、我が子を目の前で苛まれるのも、もう金輪際御免被りたいのですから…
それから掛かり付けの小児科で子供達を診て貰った所、幸いにして2人とも異常は見られませんでした。
あの夜の事を、かおるさんは何一つ覚えていないようです。
しかし千鳥神籬に憑依されていた時の影響が、何らかの形で精神か身体のどちらかに残っていたのでしょう。
かおるさんは次第に剣術へ興味を持ち始め、浜寺東小学校へ進学したタイミングで、本格的に指南所での稽古を始めたのでした。
娘の師匠でもある夫は、千鳥神籬の事を話してはいませんが、然るべき時が来れば授けられるよう、年に2回の手入れを怠らないようです。
打ち粉をかけられて油を引かれた千鳥神籬の刀身は、何とも誇らしげに光を映して輝くのですよ。
その様子はあたかも、娘の腰間に横たえられる日を、今か今かと心待ちにしているようでした。