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巻之参 「黒い留袖の女」

 やがて夜もしんしんと更け渡り、草木も眠る丑三つ時。

 私と夫は、その瞬間をついに目撃したのでした。

「ああっ、養宜さん!金太郎が!」

 磨き抜かれた床の間に飾られた金太郎人形が、突然ガタガタと小刻みに震え出したのです。

 人形に生じた異変は、そればかりでは御座いません。

 付属品である黒い鉞は、本来ならば金太郎人形の肩に担がれていたはず。

 しかし現在では、金太郎人形は得物である禍々しい刃を高々と頭上に振り上げていたのでした。

 あたかも倒れ伏した仇敵に、止めを刺そうとするかのように。

「ぐっ…!?こ、この臭いは一体…!?」

「駄目だ、茉穂!決して吸い込むんじゃない!」

 そして次の瞬間には、原因不明の悪臭が部屋全体にムッと立ち込め、私と夫は噎せ返ってしまいました。

 しかしながら私にとって、我が身の苦しさ以上に辛くて恐ろしいのは…

「ウッ…ウワアアアッ!ウワアアアッ!」

 助けを求める我が子が発する、けたたましい夜泣き声に他なりません。

 硫黄を彷彿とさせる強烈な悪臭は、大人の私共夫婦でも耐え難い物でした。

 まして藍弥は赤ん坊に過ぎないのですから、悪臭による苦痛は私共以上に堪えた事でしょう。

 ここ数日間、藍弥はこの悪臭に苦しめられていたのでしょうか?

 この筆舌に尽くし難い苦痛に何度も苛まれていては、あのように衰弱しても無理はありません。

「藍弥、なんと惨い事に…!」

 そうして苦痛に苛まれる我が子の姿を見せられるのは、親としては我が身を切り刻まれるのと同じか、それ以上に心を蝕ばまれるのです。

「ゲホッ、ゲホッ!見ろ、茉穂!あの人影を…」

「養宜さん、あれは…!」

 咳き込みながらも藍弥の枕元に目をやると、そこには黒い留袖姿の女性が現れていたのです。

 師範代の人達が目撃したのは、この女性に間違いありません。

「何処にいるの、私の坊やは…」

 そう恨めしそうに呟くと、留袖姿の女性は藍弥の顔を射竦めるようにグッと覗き込んだのです。

「私の坊やは死んだのに…この子はどうして…」

 どうやら彼女は、早くして我が子に先立たれた母親の成れの果てのようです。

 留袖の江戸褄模様が葡萄唐草なのは、何とも皮肉な巡り合わせでしたよ。

 何しろ葡萄唐草の柄には、子孫繁栄の願いが込められているのですから…

「どうして、この子は!」

 彼女の呪詛に応じるかのように、床の間の金太郎人形もまた、振り被った鉞を何度も虚空に叩きつけたのでした。

 その禍々しい姿は、頼光四天王の一角として名高い坂田金時の幼少時というよりは、あたかも斬首刑を執行する処刑人のよう。

 すると、その鉞で首を落とされるべき罪人というのは…

「ぐっ…あうっ…!」

 私の恐るべき想像は、どうやら的を射ていたようでした。

 留袖姿に睨みつけられた藍弥の口から、赤ん坊の物とは思えない苦しげな呻き声が上がるのでした。

 何たる事なのでしょうか。

 長男の初節句を言祝ぐために私共が贖った金太郎人形こそが、藍弥を苦しめる諸悪の根源だったとは。


 私共が息子の為に買い求めた金太郎人形は、黒い留袖姿の女性の悪霊を宿した呪いの人形なのでした。

 そして件の留袖姿の女性こそが、藍弥を苦しめていた張本人。

 もはや疑いようもありません。

「うっ…?!」

 しかし、直ちに薙刀を構えて殺到しようとした私は、自分の身体が石のように硬直して動かない事に気付かされたのでした。

「な…何事…?」

 そして、枕元から注がれる異様な眼差しの存在にも。

 何とか視線だけを枕元へ動かすと、そこには3歳から5歳位までの小さい男の子達がズラリと並んでいたのでした。

 大正時代に子供服として流行したセーラーカラーの服を着た子もいれば、私の子供時代の同級生が着ていたような襟付きシャツに半ズボンの子もいたりと、装いこそまちまちでしたが、古色蒼然とした時代遅れな出で立ちと、感情の抜け落ちたような虚ろな眼差しだけは、全員に共通しているのでした。

 あたかも古写真から抜け出てきたような男の子達が、輝きの消えた瞳で私と夫を静かに見下ろしているのです。

 その虚ろな眼差しに射すくめられると、みるみるうちに精力が萎え果て、身体の自由が利かなくなってしまうのでした。

「お、おのれ…」

 どうやら夫も私と同じ状態に置かれているらしく、木刀へ手を伸ばした姿勢で震えるばかりでした。

 これが俗に言う、金縛りの現象なのでしょうか。

 誠に情けない限りなのですが、私共夫婦は妖の魔力に魅入られてしまっていたのでした。

 布団の中に忍ばせた武器を振るう機会も、得られぬままに…

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