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第2話 桜の下でついた嘘(1)

 東海林という苗字は、息吹の実のお父さんの苗字らしい。

「ねーねー、お兄さんまだ若いよねえ。いくつ?」

「確か、今年32歳かなあ」

「確かって何、おっかしー! 苗字も名前も変わってるよねー。しょうじ……だっけ?」

「ねえ、なんて呼んでほしい?」

「イブでいいよ。子供のころ、よくそう呼ばれてたから」

 何がイブだ、と芽吹は思った。

 購買前を通りかかり、女子生徒に囲まれた今注目の人物の姿に1人嘆息する。

 生き別れの(?)兄が自らの高校に「購買のお兄さん」として現れたのが数日前。

 その日は帰宅した瞬間、芽吹は事情説明と称した言葉の弾丸を吐き続け、息吹はそのいずれも飄々とやりすごした。

「でも。仕事に就けて良かったでしょ?」会話の締めくくりにそう言われると、芽吹は二の句が出なかった。

 それに、と思い、芽吹は息吹をじっと見つめた。

 初対面のときとまるで違う、適度な清潔感と、適度にまとまった髪の長さと、適度にセンスのいい服装。女子高生が興味を持つのも不思議じゃない、大人の男の姿だ。

「まともな格好ができるなら、最初からその格好で現れなさいっつーのよ」

「へえ。もしかしてくるみんも、あの購買職員のファンの1人?」

 不意に頭上から降ってきた言葉には、覚えがあった。芽吹は仏頂面をそのままに、背後を振り返る。

「違います。それと、くるみんはやめてください」

「いいじゃん。来宮だからくるみん。それとも、やっぱ名前で呼ぶ?」

「どちらも結構です」

 会話の打ち止めを宣告した芽吹の意図をくむことなく、安達克哉あだちかつやはまるで大型犬のように後をついてきた。

 浮かべる笑顔は屈託なく、つい絆されそうになってしまう。染めていない、とギリギリ主張できるやや明るめの髪が、何故かいつも眩しかった。

 息吹たちが集う購買を避けて道を進んでいくと、すれ違う女子生徒がさりげなく視線を向けてくるのがわかった。その視線に、安達が嫌味なく手を振る気配も。

 イケメンは得だな、ちくしょう。

「最近会わなかったけど、元気だった? 体壊したり、悩み事とかない? あったら先輩が何でも聞いてあげるけど」

「何もありません」

 あんたに話すことは、と芽吹は心に付け加える。「それに」

「私はもう、野球部の人間じゃありませんよ。先輩はもう、私の先輩じゃないでしょう」

「寂しいこと言うなって」

 本当に傷ついたような表情を浮かべる安達に、少しぎょっとする。

 でも知っている。これが安達の手法なのだ。マネージャー期間に嫌というほど目の当たりにしたからわかる。

 じいっと怪訝な顔で睨む芽吹に、安達はふはっと吹き出すように表情を崩した。

「悪いけど、俺は可愛い後輩を手放すつもりはないよ。話してると楽しいしね」

「今の会話のどこに楽しい要素が?」

「お前には、きっとわからないところかな」

 ほんの一瞬、安達の手のひらが芽吹の頬を掠めた。抵抗する前に離れてしまったので、行き場のない胸の鼓動だけが残る。

「今日も振られちゃったなあ。それじゃあまたね、芽吹」

 どうして安達は、自分にここまで構い続けるんだろう。メリットを考えても、1つとして浮かばないというのに。

「さりげなく、名前を呼ぶな」

 相手もない言葉に含まれた感情は、芽吹自身も形容できないものだった。



 白いボールが天井のライトと重なり、床を目いっぱい踏み切る。

「芽吹、いけ!」

 奈津美の叫びを合図にして、腕を振りぬいた。

 ボールへの衝撃を心地よく感じながら、審判のホイッスルの音にふっと息を吐く。

「ゲームセット! Bチームの勝ち」

「ありがとうございました!」

 ぞろぞろコートから捌けていく。ふらつく足取りで体育館の隅に向かっていると、後ろからすごい勢いで肩を抱かれた。

「勝った勝った! 本当、見た目と違って運動全般こなしちゃうよねー、芽吹は!」

「悪かったね、見た目と違って」

「褒めてんのよ? この身長で軽々アタック決めるのは、センスがあるからだって」

 この身長、と形容される芽吹の身長は、159センチ。いうほど小さくないのに、と芽吹は思っている。

「お疲れさま。2人とも、すごかった」

 別チームで観戦していた華が、笑顔で迎えてくれた。

 100人中100人が「小さい」と判断する華の身長は、華の独特の空気に直結している。小さい和の妖精。心が癒される。

「お疲れさま。本当に強いねー来宮さんのところって」

 唐突に投げかけられたのは、聞き覚えのある甘ったるい声だった。

「そんなに運動神経がいいんだもん。帰宅部なんてもったいないんじゃない?」

「はあ、どうも」

「やだ、他人行儀すぎだよーもう」

 ふわふわと毛先がカールしたポニーテールをなびかせ、4組の倉重百合くらしげゆりは去っていった。相変わらずきれいな笑顔だ、と思った。

「なーにが帰宅部なんてもったいない、よ。芽吹が帰宅部になったのは己のせいじゃろが」

「奈津美、口調がおかしい」

「止めるな華。次はあの女と試合が当たるよね。再起不能までボコボコにしてやらあ」

「奈津美、口調がおかしい」

 いつも取り巻きにしている(と奈津美が言う)4組の女子数人が、どこか見下すような笑みでこちらを垣間見る。ぼんやりと受け止めていた芽吹が、その体を徐々に崩していった。

「芽吹?」

「え、なに、どうしたのっ」

「大丈夫」

 華と奈津美が慌てる声が聞こえる。

 返した言葉は、全く大丈夫じゃない「大丈夫」だった。

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