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(4)

「っ、ど、して」

 覚えがあった。智子のストーカーとして捕まった、あの時の。

「『どうして』? 兄妹揃って人様をコケにしといてその質問? お前馬鹿?」

 けたけたと嗤う。でもその目は笑っていなかった。

 背筋が悪寒でぞくりと粟立つ。

「運良く執行猶予がついたから智子ちゃんに会いに行ったら引っ越してて行方知れずだし、弁護士と親父にはこれ以上家の名に泥をつけるなとか締められるし、もうあの女はいいや、そういや俺をサツに付きだした兄妹が居たな、俺をここまでイライラさせてすみませんって言ってもらってねえなって思ってこの辺徘徊してたら、つい最近あの邪魔な兄貴が居なくなったとか、いやーやっぱ俺、めちゃくちゃ運良いよなあ?」

「……っっ」

 こいつ、頭可笑しい。

 目の前の瞳が、淀みで渦巻いていた。話しても通じない。それだけは辛うじて分かった。

「なあ、俺をなめ腐って申し訳ありませんでしたって言えよ」

「っ……、ぁ」

「んだよ。怖くて怖くて、声も出ねえってか」

 図星だった。少しでも声を出そうとすると、震える歯がガチガチ音を立てる。のし掛かれた体は、末端からみるみる冷たくなっていく。

「それならまあ、仕方ねえよ。俺だって声も出せないでいる女の子に無理強いするほど鬼じゃないし」

「よかったな、お前女で」そう零した男が、芽吹の胸ぐらを乱雑に持ち上げた。

「謝罪の代わりだ、まだ俺の好みには物足りねえがその体でチャラにしてやるよ、よかったなあ、お前も大概運が良いじゃん」

「……!?」

 どこが。最悪だ。恐怖の隙間にやっと灯った怒りに、ようやく眉をつり上げる。

 しかし次の瞬間、持ち上げられていた胸ぐらを左右に暴き、シャツのボタンがはじけ飛んだ。

「っ、や、めて……!」

「大人しくしてろよ。俺を満足させることができれば、無事に解放されるかもしれねえから、まあ頑張れ」

 胸元をまさぐろうと差し出された手を、すんでの所で払い落とす。

 一瞬大きく男は顔を歪ませたが、完全にマウントを取っている今の体勢に気を取り直したように笑った。

「なるほど。妹ちゃんは無理矢理派か。了解了解、それならそうと先に言ってよー」

 馬鹿はあんただろ、と言いたくなる衝動を必死で耐えた。

 どうしたらいい。どうしたらどうしたらどうしたら。

 犯される。殺される。逃げられない。絶望的な言葉しか浮かばなくてさらに絶望を煽る。

 ──私は、絶対に死んだりしない。私が生きて、それを証明する。

「……!」

 頭に響いた声。あの言葉は、一体誰のだった?

 ──だから、私で試してみせてよ。息吹の写真を待っている人が、この世界にたくさんいるんだってこと。それを、私に証明させて。

「なんだ。素直に俺に体を委ねる気になったのか?」

「……」

 体中にみなぎっていた抵抗の力が、ぷつりと消える。

 どこか試すように張ってくると男の手。気持ち悪い。でも、我慢だ。もう少しだけ。だから。

 だって、あんな啖呵を切ったのが自分だ。早速約束を破るわけにはいかない。

 息吹を──これ以上絶望させてたまるか。

「……、っりゃ!!」

「ぐふっ!?」

 諦めたように抵抗を消したこのに、男には余裕に似た油断を見せる。

 芽吹の体を押さえつける縛りがわずかに緩んだ隙を、芽吹は見逃さなかった。

「よけてっ!」

「て、てめえっ」

 男の急所めがけて思い切り蹴り上げた後、悶絶する男を突き飛ばし体を起こす。

 外に出なきゃ。すぐさま脱兎使用とした芽吹の足は、まだ恐怖が残っているのかうまく動いてくれなかった。

 もつれた足に引っかかり、転びそうになるのを必死で耐える。

「このガキがあ!!」

「っ、きゃ」

 まるで地鳴りのような大きな音が響く。躊躇なく体を床に打ち付けられ、芽吹はせり上がってきた吐き気に2,3噎せ込んだ。

 もう少しだったのに。眉をしかめ見上げれば、冷たい視線でこちらを見下ろす男と目が合った。

「こっちが下手に出てりゃあ付け上がりやがって。さっきのは演技か、クソが」

「助かるためよ。あんたの手にかかってたまるか」

 反抗心むき出しにさらされた本音は、それでも恐怖で語尾が震える。

「あんたに屈服する気なんてない。気持ち悪いから触らないで。よけて、よけてよ」

 下卑た笑みで再び体をなで回す男に、目尻から熱いものがこぼれ落ちる。

 お願い、誰か、誰か──。

「い、ぶき」

 ねえ、助けに来て。

「息吹、息吹、……いぶきぃ!!」

「お前の兄貴は遙か彼方だろ? いい加減諦め」

 その時だった。

 ピンポーン。ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン。

 玄関のチャイムが明らかに意図的に鳴らされ続け、重なるように誰かの叫ぶ声が微かに届く。男の顔が、わかりやすく怯んだ。

 再度大声を上げて助けを請おうとしたが、その声は男の手のひらによって封じられた。口どころか鼻まで塞いでる。苦しい。息が。

「騒ぐな。放っときゃ帰るだろ。やり過ごす」

「……っっ」

 足をばたつかそうとしても、手で床を力一杯叩こうとしても、悉くそれを男が封じてくる。

 誰? 誰かは分からないけれど、お願い行かないで。きっとこの機会を逃したら、もう。

 思考が黒く塗りつぶされかけた時、聞き覚えのある音が耳に届いた。

 開錠の、音?

「てめえ!!」

 目の前の男の影が、一瞬でなぎ払われる。

 ようやく入ってきた新鮮な空気にゲホゲホと噎せ込むと、背中を大きな手のひらが支えられた。

「大丈夫か芽吹っ、怪我は……!」

「う、だ、だいじょ……」

 返答より先に、安達はさっと芽吹から顔を背ける。暗がりの中でも、芽吹の胸元が乱れていることに気付いたからだろう。

 そして向けられた先の男に、安達は今まで見たことのないほどの凶暴な顔を浮かばせた。

「お前……前にストーカーで捕まった奴だよな?」

「ち、違う。俺は、違う」

「分かりやすく狼狽えてんじゃねえかよ。この糞ゲス野郎が」

「俺は悪くない! この女が俺を誘惑してきたんだ、智子さんの代わりになっても良いって言ってきたんだ、だから家に着いてきただけだ、俺は何も」

 んなこと言うわけねえだろ。

 そう反論したい芽吹に代わって、安達がはっと嘲笑の息を吐いた。

「馬鹿につける薬はないって、マジであるんだな」

「う、あ」

 夜の静けさの向こうから、パトカーの音が聞こえる。

「脱獄する度胸があるとも思えねえし…執行猶予中か? 今度はそうそう簡単に出てこれねえだろ。また顔を見せたらその時は」

 ダン!! ──部屋の中で突如響いたのは、安達が床を踏みつけた音だった。

 みし、と残り音とともに安達の足が浮かぶ。

 次に照準を定めたのは、男の急所だった。

「その要らねえモンをぐちゃぐちゃに処分して、俺とあの人でお前自身再起不能にする。言っとくけどこれも、あの人が残してった予言だから」

 予言。聞き覚えのあるその単語に、安達の言う「あの人」の姿が頭に浮かぶ。

 男が力なく床に腕を投げ出す。その目にはもはや何も映っていないように思えた。

 赤く回るライトが、放たれた窓の脇から眩しく瞬いていた。

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