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(3)

「え? いや、叫んでから言うのもなんだけど、休ませればそのうち落ち着くと思うから」

「はいはい。変な遠慮しない」

 瞬間、慌てて起こした芽吹の上体が再びベッドに沈められる。

 視界には微かに呆れを含んだ息吹の表情と、部屋の天井が広がっていた。

「女の子なら、体は大事にしないと。ここに来る途中でちゃんと店の目星はつけてきたから、20分くらいで戻れる。それまで大人しくしてること。わかった?」

「…………わかりました」

「素直だね。それじゃ、行ってくる」

 目の前の眼差しがふわりと柔らかくなり、頭をあやすように撫でられる。

 キーを手に部屋を後にした兄を見送り、限界ギリギリまでの長い溜め息を吐いた。女の子なら、なんてよく言う。

「……男なら、臆面なく女の子を押し倒すの、勘弁して欲しい……」

 でも仕方ない。こういう男だから、きっと息吹は両親に信用されたんだろう。

 以前保健室であった事故みたいなキスも、下心なんて微塵も感じなかった。そうでなければ、兄妹として共同生活を継続できたとは思えない。

 しかし暇だ。足に負担をかけないように再度上体を起こすと、傍らに置いていた自分の鞄に手を伸ばす。

「今日はもう特段予定もないし、ご飯食べてお風呂入って眠るだけかな。明日は今日の出来次第で再撮影って言ってたけれど──、あれ」

 ふと鞄の外ポケットに突っ込んでいたスマホが、通知メッセージを浮かべていることに気づいた。

 不在着信。お母さんからだ。撮影中にかかっていたらしいが、撮影後は足の痛みに耐えるので精一杯だったのでスマホを確認する余裕もなかった。

 でも電話なんて珍しい。微かな不安を覚えながら、芽吹は電話をかけ直す。

「──あ。もしもし芽吹?」

 そしてその不安は一瞬で霧散した。

 いつもと何ら変わらない、明るい母親の声色を耳にして。

「着信に気づくの遅れちゃった。ごめん」

「ああ、いーのいーの。っていうか今大丈夫? 確か友達の撮影会があるとか何とか」

「うん。それはついさっき無事に終わったよ。まだわからないけれど、奈津美はすごく良い出来だって満足そうだった」

「そっか。……でもまさか、芽吹が写真のモデルになる日が来るとはね」

「ね。私もびっくり」

 くすくすとよく似た笑い声が重なる。

 芽吹の写真嫌いを、嫌というほど実感してきたのは母も同様だった。今までいらない心労を負わせてきたことは心苦しいが、それも明るく話せる今を嬉しく思う。

「それで、息吹は? あの子ももしかして、芽吹のことをカメラで撮ったりなんてことは……」

「ううん。息吹はあくまでアドバイザーで、カメラを覗きもしなかったから」

 明るい口調を意識したはずなのに、わかりやすくトーンが落ちてしまう自分に驚く。

 正直、言葉には出さないまでも期待はしていた。

 自分がカメラ嫌いを克服した集大成のこの撮影の場所で。もしかしたら、息吹のカメラを手放そうとする手を引き留めることができるのではないかと。

 欲を言えば、息吹のカメラでも、自分の姿を収めてくれるのではないかと。

 でも、息吹は結局、1度もそうした素振りを見せないままだった。

「そっかあ。まあ、あの子にも色々葛藤があるから仕方ないわね」

「ねえ、お母さんは知ってるの? 息吹がカメラから離れようとしてる理由」

「何となくは、ね。これでも一応母親ですから」

 母親──その言葉には、白々しい軽さは一切感じない。

「はは。っていっても、血縁関係のある母親ではないし、察しが悪いところの方が多いだろうけどね」

「そんなことないよ」

 今こうして話して、すとんと胸に落ちるものを感じる。

 息吹との血の繋がりが否定されたあの夜、どうしてあんなにも混乱したのか。

 母親が息吹の母親であることに、疑問を挟む余地がなかったからだ。それだけ息吹に対する母親の態度は、ただ純粋に子を思う親のそれだった。

「……ね、お母さん」

「うん? どした?」

「ごめんなさい」

 不意に口についたのは、謝罪の言葉だった。

「本当は……本当はね。前に送ったメッセージの内容、嘘ばっかりだったんだ」

「え?」

「息吹と、息吹の亡くなったお母さんのことを話したっていったこと。本当は、自分と息吹に血の繋がりがないってこと、あの夜に初めて知ったの。アルバムを漁っていたときに……本当に偶然だった」

 受話器の向こうで、小さく息を飲んだ気配が届いた。

 芋づる式に吐き出された熱い吐息には、涙に似た塩っぽさが滲んでいる。

「でも、知らなかったのが自分だけかと思うと情けなくて、恥ずかしくて。子どもみたいな意地を張って、あんな風にお母さんにメッセージを送ることでしか、確信を持てなくて。ごめんなさい。馬鹿な嘘を吐いて」

「……芽吹が謝ることじゃないよ」

 誰もいない部屋なのに、母親の撫でる手を感じた。

「謝るのは、私たちのほう。あなたにそんなふうに悩ませるくらいなら、やっぱり改めて息吹のことを話しておくべきだったわ」

「お母さん……」

「だから、泣くのは止めなさい」

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