表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/63

(5)

「安達先輩」

「悪い、こんな時間にストーカーして」

 シンプルなTシャツにパーカーを羽織り、安達は門柵の前に立っていた。

 苦笑を浮かべながら小さな冗談を言う姿に、ほっと安堵の息をつく。

 保健室での短いやりとりの後、結局部活での最低限度のやりとりに留まったままだったのだ。

「すみません、さっきのは息吹が勝手に……」

「悪いと思ってんなら今すぐ帰れ、ストーカー」

「ちょっと、息吹!」

 後ろで帰れオーラを出し続ける息吹に、芽吹は溜め息とともに鋭い視線を突き刺す。

「息吹はいいから、中に入ってて。聞き耳立てないでよ」

「んー……わかった。それじゃ」

 ガラガラ、ガシャン、と金属音が夜の住宅地に響く。

 いつもは開いたままになっている門扉とその留め具を、息吹がさくっとかけた。胸の高さまである柵に隔たれた2人の姿に、息吹は満足げに頷く。

「5分だけね。ちゃんと迎えに出るから」

 玄関へ消えていった兄の姿に、再びため息が漏れる。

「本当、子どもみたいで……すみません」

「いや。別に気にしねーよ。そんなことより……」

 夜の住宅地を照らすものは、街灯と家からかすかに漏れる明かりしかない。

 そんな中でも、安達の瞳が柔らかく細められたのがわかった。

「その……元気そうだな」

「何とか。と言っても、部活で毎日会ってますよね?」

「だな。でも、なかなか話しかける空気じゃねーから」

「そう、ですね。さすがにお互い気まずいですよね。はは」

「俺はいいんだ。自業自得。でも、お前が……」

 一瞬言葉を詰まらせた後、頭をかきながら続けられた。

「お前の最近見せる笑顔が、時々なんだけど、すっげー脆く見えてさ」

 意外な指摘だった。

 自分では既にほとんど癒えていると思っていた衝撃が、まだ目に見えるほどだったのだろうか。奈津美にも華にも、最近は心配そうな顔をさせていなかったはずだ。

 それとも……安達だけには、伝わってしまっていた?

「本当に、悪い。俺がこんなこと言う立場じゃねえ。こんなお節介焼く資格もねえよな。小笠原先生に言われた通り、覚悟が足りなすぎた」

「先輩……」

「でも、こんな俺でも聞ける話があるなら、吐き出し口に使ってほしい。独り言を言うつもりでも、なんでもいい」

「そんな、使ってだなんて」

「俺は、お前が好きだよ」

 夜風が横切る。

 外なのにどこか籠もっているいるようだった互いの距離に、新しい空気が流れ込んだ。

「あの兄貴が好きなら──なんて、嫉妬まみれの言葉投げつけておいて、しょうもないよな。あんな無様な姿見せて、正直今更お前に好かれようなんて、都合よすぎだってこともわかってる」

「っ……」

「でも……お前の気持ちに関係なく、やっぱ俺は、芽吹のことが好きだ。この1週間話しかけることもできないでいて……つくづく思い知った」

 気持ちを綺麗に映し出した言葉が、芽吹を包んでいく。

 表情を忙しく変えながらもその実直すぎる告白に、胸の奥がぎゅっと苦しいくらい締め付けられた。

 息を吸おうとするも失敗し、唇がかすかに震えを帯びる。

「先輩は、すごいですね」

「え?」

「私はそんなに、潔く、自分のことを認められない」

 目の前の門扉に手をかける。

 もうすぐ息吹が来るかもしれない。涙は、堪えなければ。

「私……怖いんです。最近は大分収まっていると……そう、自分に言い聞かせてました。でも本当は今も、どうしたらいいのか、わからなくなる」

「芽吹」

 柵を掴んだ手に、安達の大きな手のひらがそっと重なった。

「それは、写真のモデルのことでか?」

「いいえ」

「それじゃあ、やっぱその……あの兄貴のことか?」

 安達の問いかけに、芽吹は小さく頷いた。

 大きな不安だけが常に頭の上にあって、でもその正体がわからない。見て見ぬふりをしても、どこまでも追いかけてくる。

「あのさ、すっげーピントずれた答えかもしれないけど」

 小刻みに震える芽吹の手を、安達が力強く包みこんだ。

「あの兄貴にとっては、芽吹の存在が、大きな支えなんだと……思う」

 屋上に呼び出されて起こったいざこざの直後、安達はドア越しに息吹の弱い呟きを聞いていた。

 ──芽吹を支えられない自分なんて、いる意味、ないんだけどな──

「あの言葉を聞いて、正直圧倒された。あの人は変人だし常識外れもいいとこだけど、そういう想いは、つえーよな」

「っ……」

「だから、俺でも友達でも、この際あの兄貴でもいい。話せそうになったら、少しずつ吐き出せばいいって。みんな、お前のことが大切で、心配してる」

 頭を撫でられる。それはとても心地のいい温度で心が少し軽くなった。

 その手が頬に降りてきたのを感じ、芽吹はそっと手を乗せる。安達の指先が、微かに震えた。

「ありがとうございます、安達先輩」

「め、ぶき」

「さっきインターホンが鳴って、安達先輩が会いに来てくれたって知って、……嬉しかった」

 本当は保健室前で鉢合わせたあの時も、同じ気持ちだった。

 もし安達が今の状況を「寂しい」と感じてくれているのなら、自分も同じなんだと、今ならはっきり答えることができる。

「……っ、あの、さ」

「はーい。5分経過しました」

 いつの間にか開けられていた扉に、息吹が無表情でもたれていた。

「もう話は済んだよね。気をつけて帰ってね安達くん。また学校で」

「ちょ、息吹! そんな態度は……」

「っ、明日からの土日、部活休むって聞いた。例の写真撮影の本番なんだよな!?」

 中に引きずりこまれる芽吹に向かって、安達が大きな声を張った。

「頑張れよ! いつも応援されてる野球部の奴らも、お前のこと応援してるってこと、ちゃんと覚えとけ!」

「……はい!」

 扉が閉じられた。

 北海道の夜は、夏の今でもほんのり冷える。それでも、胸の奥は驚くほど温まっていた。

「で。話は済んだの」

「あのね。強制で断ち切っておいて、今更聞く?」

「……5分じゃなくて、3分にしときゃよかった」

 幾分か表情が柔らかくなっている芽吹に、息吹が面白くなさそうに眉を寄せる。

 ぶつくさ言いながらリビングへ向かう兄の姿に、芽吹は密かに笑みを零した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ