表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/63

(4)

 タイピング音が、一瞬だけ空白を作った。

「言われてみれば、似てるところもあるか。変に手がかかるところが」

「ふふ、見てみたかったなあ。学生時代の息吹」

「家を探せば、写真くらいあるだろ」

「なかったんですよ。1枚も」

「そうなのか」

「はい。ありませんでした。写真だけじゃ、なくて……」

 血の繋がりも、とは言えなかった。

 言ったら最後、何かとてつもないことが起こりそうで。

 性懲りもなくこみ上げるもに蒸しタオルを押し当てると、小笠原が黙って見やる。

「なるほど。消えそうな、か」

「え?」

「いや。お喋りは終いだ。今は、何も考えないで寝てろ」

「……はい」

 時々薄く泣きながら、それでも芽吹は静かに寝付いた。悪夢に追われない睡眠は、久しぶりだった。

 夢の奥で、ほのかに燻された煙草の香りがした。



 保健室で仮眠を取ったあと、クラスに戻った芽吹を奈津美と華が出迎えた。

 他のクラスメートの視線も自然と集まる。授業中に急に涙を流し始めたんだ。その反応が正常だろう。

 当然のように芽吹の心配をしてくれる2人に、芽吹は少しすっきりした頭で大丈夫と返した。

「でもねえ、めっちゃ不謹慎だけど、写真撮りたいくらい綺麗な涙だったよ。さっきの芽吹ちゃん」

「奈津美、本当に不謹慎」

「そ、そんな素敵なもんじゃなかったでしょ。情けなくてもう」

「そんなことないよ!」

「え」

 芽吹たちの会話に、ふと横から他のクラスメイトが参加してくる。

「正直、さっきの芽吹ちゃんの泣き顔、胸がキューンとしたもん。ねえ?」

「おい、こっちに話を振るなって。反応に困るべ」

「だってあんたもさっき言ってたことじゃん」

「おいそれ言うな!」

 元気づけてくれる人の存在に感謝する。

 その言葉すらはね除けようとする自分もたまに姿を見せるけれど、少し外に吐き出したからだろうか。今はその温かさを素直に受け取ることができた。

「それで、例の話をしようってことだったよね?」

 そして、今日中に交わす予定だった話を奈津美に振る。

「ん。芽吹の体調が問題ないのが本当ならね、写真撮影で、ここに行こうと思ってるの」

「……ここ、は。もしかして、工場?」

 奈津美のスマホに表示されていたのは、道東の端にある小規模な工場跡地だった。

 勝手に豊かな自然が広がる光景を想像していたので、冷たいコンクリートが主の風景は少し意外だった。

 夜の海に寄り添うように工場廃墟に包まれた世界。色鮮やかとは言いがたいが、日常から離れた不思議な魅力がじわりと届く。

「ちなみに芽吹の衣装も用意しています。日程は事前に話してた通り、来週末の土日で1泊2日。近郊のホテルも予約済み」

「うわあ……奈津美の行動力がいかんなく発揮されてるね」

「交通手段は、やっぱり車?」

「うん。息吹さんがレンタカー借りてくれるって」

 すっかり親しみのこもった「息吹さん」の名に、一瞬胸が潰れそうになる。

 この教室で、息吹は奈津美と週末のことを話し合ったのだ。夕日を浴びる2人の姿は、たいそう美しく見えるだろう。自分を映す写真なんかよりも、ずっと。

 そんな思考を巡らせる自分に気づき、芽吹は我に返った。

「ホテルの部屋は、私と華で1部屋。芽吹と息吹さんで1部屋ね」

「……えっ」

「うん?」

 あっけらかんと言う奈津美に、反応が遅れる。

 でも、それが普通か。兄妹なんだから。

「わかった。楽しみ」

 胸中の独り言のように返答が上滑りしなかったのは、芽吹にとって幸いだった。



「息吹。明日の準備はもう終わった?」

 写真遠征前日。

 一通りの荷造りを終えた芽吹が、リビングでくつろぐ息吹に声をかけた。

「へーき。男の準備なんて、そんな大それたもんじゃないし」

「運転手がもたついたら、予定が全部押すことになるでしょ。いいから早く支度する!」

「えー。だってパンツくらいでしょ」

「し・た・く・し・ろ」

 引き下がらないと踏んだ息吹が、渋々ソファーから立ち上がる。

 この数日で、芽吹の気持ちも大分落ち着いていた。それと同時にはっきりしたことがある。

 芽吹は息吹とのこの関係を、大切に思ってる。初対面の時では考えられないくらいに、強く。

 願わくばずっと、このまま、兄と妹として──。

「……っ、う」

「芽吹?」

 突然すきりと頭が痛み、こめかみを強く押さえた。それを見て、リビングを去りかけていた息吹が素早く背中を支える。

 最近落ち着いてきた気持ちに代わって、こんな具合に原因不明の頭痛があった。

 生理前には以前からよくあったが、こうも頻発するのは初めてだ。

「また、頭痛? こっち来て、座ってなよ」

「ん、大丈夫。続くようなら、薬飲むから」

「いいから。こっち」

 断じるように告げた言葉が、予想以上に近い距離で吹き込まれた。

 体が浮遊する感覚に、自分が抱き上げられているのだと気づく。

「だ、大丈夫だってば、下ろしてっ」

「ばたばたしない。黙って運ばれなって」

「恥ずかしいんだってば」

「ねえ、このやりとり、デジャヴだと思わない? 先週薬箱取ろうとして倒れかけたの、誰だっけ」

「……」

 記憶に新しい醜態を引き合いに出され、返す言葉がない。

 芽吹を運ぶ息吹の手つきが、やけに恭しく感じられる。見上げると視線が合うとわかっていたので、芽吹はそっと視線を落として胸の動悸をやり過ごすしかなかった。

 ここ数日、息吹のスキンシップがより激しくなってるのは気のせいだろうか。

 顔が熱くなる。兄と妹でいたいなら、妙に意識をすること自体も止めにしたいのに。

「今、薬取ってくるから。頭動かさないで待ってなよ」

 異論を認める空気もなく、大人しく言われた通りソファーに横たわる。

 薬の種類も錠数もマスターしたらしい。水とともに自信満々に持って戻ってくる兄の姿に、何故だか胸が温かくなった。

 今の痛みの程度を考えると、薬を喉に通せば10分もすれば効いてくる。それまでの辛抱だ。

 息吹に礼を言うと、真っ直ぐな視線とぶつかった。あ、しまった。さっきまで、この瞳をうまく交わしていたつもりだったのに。

「芽吹さ」

 ソファーの前に膝をついた息吹とは、距離も随分と近い。

「な、なに?」

「奈津美ちゃんも言ってたけど。芽吹、最近綺麗になったね」

 きれい。

 写真モデルを始めて以降、ほんの時折応援がてら投げかけられるようになった言葉だ。

「そう、かな。何やかんやモデルを引き受けてから、色々手入れを気をつけるようになったしね」

「いや、もともと芽吹は可愛かったし。そういうんじゃない」

「そういうんじゃない、って?」

 聞き返すと、珍しく息吹は一瞬視線を横に浮かばせた。

「息吹?」

「もしかして、それってさ、あだ」

 そのとき、来訪者を知らせるチャイムが鳴る。

 振り返った先のモニターには、思いがけない人物の姿が映っていた。

 安達先輩──思わず名を呼ぶ直前に、息吹が素早く腰を上げモニターの受話器を取り上げる。

「帰れストーカー」

 ガシャン、と受話器を置いた息吹は、清々しい笑みを浮かべていた。いやいやいや。

「ちょっと息吹! そんな乱暴な」

「こんな時間に来るとか非常識なストーカーだねえ。通報しよっか」

 ストーカーに常識とか非常識とかあるのか。というか、非常識の塊みたいな人間が何を言ってるんだ。

 本気で通報しそうな息吹から、慌てて家電の子機を奪い取る。

「すみません、今出ますっ」

 背後のうるさい非難の声とまだ微かに残る頭痛を無視して、芽吹は玄関へと急いだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ