表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/63

(3)

 昼上がりの授業中、芽吹はひたすらペンを走らせていた。

 今考え得る情報をまとめてみる。

 息吹の父と母が結婚して、息吹が生まれた。けれどその後、息吹の母が亡くなった。

 その後、息吹の父と芽吹の母が再婚した。3人生活が始まる。

 けれどその後、息吹の父が亡くなった。芽吹の母と息吹が残され、2人暮らし。

 その後、芽吹の父と母が再婚。芽吹が生まれ、4人家族に。

 多分、これが本当の我が家の変遷。かりかりと自分の手帳に書き記す。

 やっぱりそうだ。

 確かに複雑な変遷だが、さして問題にする点はない。

 現に両親は息吹に芽吹を預けた。少しでも不信感があるのならば、そんな決断はしないだろう。

 息吹の行動は確かに常識外れな箇所もある。しかし、その背後にはいつも兄妹愛があった。

 血の繋がりがなくたって。自分を静かに説得する。ほら、こんなに理論的に説明できる。

「次の文の訳を、来宮さん」

「はい」

 すくと立ち上がる。淀みなく訳文を読みあげていく声を、なぜか他人みたいな心境で耳にする。

 英訳だってこんなにスムーズに読めてる。いつも以上だ。自分が参ってるなんて考えすぎだ。

 この事実を知ったところで何も変わらない。何も。何も。

「はい。ありがとう。じゃあ次は──、え?」

「っ、芽吹?」

「え?」

 先生と斜め後ろの奈津美の声に、はっと我に返る。

 同時に頬に熱いものが掠めたのがわかった。拭うことも隠すこともできないまま、教科書に小さい染みを作る。

 わあ、嫌だ。芽吹は不快そうに眉を寄せた。

「来宮さん、どうしたの。体調悪いのなら、保健室に」

「先生、私、保健室まで付き添、」

「いらないよ、大丈夫。1人で行けるから」

 奈津美が言い終わる前に、芽吹は笑顔で首を振る。

 こんな自分のために、友達まで煩わせたくない。自分だけの問題だと、わかっているから。



 涙を拭って、また溢れて、また拭う。でも少しだけ、落ち着いてきた気もする。

 授業中の時間では他に行き場もなく、ひとまず保健室の前までたどり着く。それでも、もしも中に万一息吹がいたらと思うと、なかなかノックできなかった。今はきっと、向き合うにはまだ早い。

「芽吹?」

「え」

 振り返ると、驚いた顔の安達が立っていた。驚いたのはこっちだ。お陰で性懲りもなく滲み始めていた涙が、すっと引いてしまった。

「どうして、今、授業中ですよ」

「や、お前のがどうしたんだよ」

 手首を掴まれそうになり、それを咄嗟に避ける。

 ここ数日、手探りで構築されていた新しい距離感。それが急に崩れかける予感に、酷く動揺した。

「っ……悪い。つい、勝手に動いてた。馴れ馴れしすぎたな」

「ち、違います。先輩のせいじゃありません、から」

 慌てて首を横に振る芽吹に、安達が困ったような笑みになる。

「俺のせいじゃないのがマジだとしたら、やっぱり原因は、あの人か」

「え?」

「5限の時間にな、誰かさんから因縁つけられた。うちの芽吹に何してんだってさ」

「……」

 息吹、と心の中に零す。

 瞬間、予兆も感じる間もなく、ぼろぼろと涙が落ちていく。駄目だ。本当に涙腺が馬鹿になっている。

 その場をしのぐ言葉を紡ごうとする芽吹の手首を、今度こそ安達の手が掴んだ。驚く芽吹に、安達が口を開く。

「ひとつだけ、教えろよ。お前がそんな風に壊れそうなのは、兄貴への恋心がはっきりしたからか」

「……恋?」

 甘ったるいその単語が、涙の海に浮かんで、ゆらゆらと優雅に泳いでいく。

 こちらに差し出される、大きくて指先の硬い手のひら。それに求めていたものは、見返りの恋心?

「そこまで」

 がらり、と保健室の扉が開いた。

「安達。お前、こうなることも覚悟して、戦線離脱したんじゃなかったのか?」

 別の手が芽吹の手首を引き、保健室に無理矢理引き込まれる。

 視界の端に、白衣がふわりと揺れた。

「それならせめて、こいつのペースを守ってやれ」

 小笠原の静かな言葉を最後に、戸が閉まった。



 保健室には小笠原以外おらず、白い整然とした空間が整っていた。

 今起こったやりとりに呆然とする。そんな芽吹をよそに、小笠原は慣れた手つきで室内の水道でタオルを濡らした。

「小笠原先生、あの」

「お前の周りは、感情に正直過ぎる奴ばかりだな」

 背を向けながら言う小笠原が、電子レンジにタオルを突っ込む。

「蒸しタオルを作ってやる。そこで大人しくしてろ」

「……先生がモテる理由が、改めてわかりました」

「無駄口叩く元気があるなら、今すぐ追い出すぞ」

 もちろん追い出す素振りなど見せることなく、小笠原から蒸しタオルを渡された。

 続いて用意された冷たいタオルも傍らに置かれ、小笠原は再び自分の仕事に戻った。

 言われたように芽吹はタオルを交互に当てながら、ベッドにぼうっと横になる。

「最近、涙腺が仕事のしすぎなんです。ふとした拍子にだらだら垂れ流し状態で……困ったものです」

「それで少しは、日頃のストレスを軽減できるんじゃねえのか」

 返ってくるとは思わなかった返答に、少し驚く。

「先生」

「なんだ」

「先生は今、恋愛してますか」

「……ああ。してる」

「まじですか」

「お前が聞いたんだろ」

「あ、大丈夫です。誰にもバラしませんから」

「なに、人の弱み握った顔してんだ」

 パソコン作業の音が小さく響く中、淡々とした会話の間でそっと言葉が引き出される。

「先生」

「なんだ」

「学生時代の息吹って、安達先輩に似てましたか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ