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(3)

 妹の次はお姫様か。

 奈津美に言わせれば、また「いや有り得ないでしょ」と数秒の間もなく突っ込まれそうだ。

 そのお姫様がいる空間にはそぐわない、ガサガサうるさいビニル袋の音が辺りにひしめく。

 仕方なしに指定されたソファーに腰を下ろすと、息吹は芽吹の目の前の床にひざを立てて跪いた。ん? なんだ。

「背中浮いてるとやりづらいな。あ、クッション挟めよっか」

「何を……、え、それなに、化粧品?」

「大体当たり。お肌を休ませ潤いたっぷりジェルローション」

「……よくわからないけど」

「いいから。俺に任せといて」

 いかにも高そうなパッケージに構わず、無造作に透明フィルムを引きはがす。

 裏の使用方法を「ふんふん」と不安なほど流し読みした息吹は、豪快にジェルローションとやらを自身の手のひらにぶちまけた。

「ちょ、よく知らないけど高級品でしょそれ。もっと丁寧に使った方が」

「はーい、芽吹さん、顎を少し上にあげてー」

 人の話聞けよ。近づいてくるジェル付きの指先に、突っ込みたい気持ちをぐっと抑えて言われたとおりにする。

「っ、つめた」

「あ、手のひらで温めた方がいいって、隅っこに書いてあった」

 手のひらの温度に馴染ませ、再度息吹の指が芽吹の頬に触れる。

 あ、いい香り。

 ついうっとり香りに浸る芽吹に、息吹も満足げに指を滑らせていく。その動きはとても繊細で、不思議と気づいていなかった体中の強張りが解けていく気がした。

「芽吹は、部活も屋外だしカメラの負荷もあるし、今相当疲れてるでしょ。だからお兄ちゃんが、こうして癒してあげるのー」

「……うー」

 飼いならされている。

 癪な気持ちもないではなかったが、今の心地よさに身を委ねる方を選んだ。息吹は本当に、何でもそつなくこなしてしまう。

「……息吹は、体調とか大丈夫? 無理してない?」

 カメラから距離を置いていた兄を、半強制的に引き込んだのは自分だ。

 何気ない風を装って質問を投げると、息吹はふっと口元を柔らげた。

「思いのほか平気。自分でファインダーを覗きさえしなければ」

「無理、しないでね。私が守るって言ったんだから、何かあったらすぐに話してね」

「ん。わかってる」

 あいにく芽吹は、兄のように察しのいい方ではない。

 多少の変化は煙に巻かれる気がして、薄れ良く意識の中くぎを刺す言葉を探した。

「うそ、ついちゃ、だめだからね」

「……芽吹?」

「ちゃんと、なんでも、はなしてね……」

 重くなる瞼が、ついに動くことをやめ、芽吹はくたりと体をクッションに預けた。

 その体をそっと支えた息吹が、しばらく小さな寝息を立てる姿を眺める。

 余分なジェルを優しく取り除いてもなお、芽吹は目を覚まさなかった。

「うそをついちゃだめ――か」

 まるで重い鉛を飲み込んだように、腹の奥がぎゅっと重くなる。

 ぽつりと零れた呟きは、誰に拾い上げられることのないまま、リビングの片隅に溶けていった。



「はあ? 兄からチョコを直接口に? ジェルパックをしてもらう? 断固として拒否するわそんなん」

 眉間のしわを濃くしながら、倉重百合は言った。

「大体、あいつと家で会話もまともにしないから。暗黙の行動パターンがあるくらいだから。あいつと私が極力家の中でかち合わないようにね」

「わあ、飛行計画みたいだね」

 淡々と辛らつな言葉を吐く百合に、芽吹は感心に近い返答をする。

 件の事件があった後も、百合は芽吹とともにマネージャーとして野球部に在籍している。

 あの事件をきっかけに、代わったこともいくつかあった。

 1つ目は、百合と芽吹の仲が想像以上に縮まったこと。屋上での話し合いがあったからか、百合は必要以上の皮をかぶることを辞めたらしい。

 他の部員の目の届かない部活中となると、前述のような素の口調で芽吹との会話に応じた。その方が芽吹にとっても好ましかった。

「っていうか……うちの兄妹仲も大概だけど、あんたのところも相当だね。もしかして、兄とヤってんの。マジで」

「違う。違うよ断じて」

 じとりと向けられた視線に、強く否定する。

「そらそーだわ。そこまでいったら最早私の手に負えないわ」

「マネージャー、今日の練習メニューのことなんだけど」

「はい。昼休みに監督から受け取っていますよ。今日はポジション別に別れて――」

 おお。清々しいほどの切り替えに脱帽。

 不意に話しかけてきた田沼に迷わず極上スマイルで答える百合に、ほうと感心してしまう。

「ほう、じゃない。今のメニュー内容、来宮さんも聞いてた?」

「あ、ごめん。今日は監督会議で遅いんだよね。それで今からノックに入るから……、あ」

「今日はバッティングマシンの後、そのまま対抗形式のフリーバッティング。だろ? 倉重」

「安達先輩」

 助け舟を出してくれた安達に、百合は大きなため息を吐く。

「加えて、安達がまた来宮にちょっかいを出さないか見張ることも指示されていますから。こちらの報告次第では、来週の練習試合は暇になるかもですね、先輩」

「え。それマジ? いやでも、今日はまだちょっかい出してねーだろ?」

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