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第7話 写真はもうない(1)

 灼熱の太陽が照り付ける。気づけばそこは空港だった。

 微かに砂っぽい服をまとい、手荷物の中身をおもむろに探る。

 大したものは持ってきていない。必要最低限の金銭が入った財布と、洗濯したかも怪しい衣類数枚、この国を出るためのパスポート。

 そして――ああ、やっぱり、カバンの底に入れっぱなしだった。

 色褪せから守るため丁寧に仕舞いこんでいた1枚の写真。こんな状況でもまだ望みを託す心に、小さく呆れの笑みが浮かぶ。

 あの人たちは、こんな自分のことを受け入れてくれるだろうか。



 あ、来る。

 遠くから感じた風の足音に、芽吹はくっと視線を上げた。

 瞬間、カシャッと乾いた音が何度か響く。続けて何度か届く音に、耳を澄ませながらそっと耳にかかる髪を流した。

 一瞬だけ胸を上りかけた暗い過去も、長く細い吐息をついて静かに払い落とす。

 カメラを向けられることにも、ようやく心が怯えなくなってきた。

「芽吹、最近特にカメラ恐怖症が収まってきたんじゃない?」

「ふふ、私も今、そう思ってたとこ」

「いいねえ。これも私らチームの協力の賜物かな?」

 構えられたカメラを下ろすと、奈津美は額の汗をぐいっと拭った。

「はい。それじゃあ、今日はこれで終わりにしようか。ありがとうね」

「芽吹。お茶、どうぞ」

「ありがとう、華」

 西日が差し込む吹きさらしの屋外は、夕方でもじりじりと暑い。

 休日の部活を終えた後、芽吹たちはグラウンド奥の草原で撮影をしていた。喉を潤して眺めた風景は、まだ記憶に新しい件の出来事を思い出させる。

「懐かしいなー。確かこんな夕暮れ時だったもんねえ。安達くんが元カノの兄貴にボコボコにされてたの」

「ちょっと息吹っ」

「え。息吹さん、その話詳しく」

 ケタケタ笑う息吹に、奈津美がすかさず食い付く。

 カメラ指南役として撮影に同行するようになった息吹は、ちょくちょく撮影に参加するようになった。奈津美とも何やら波長が合うようで、変に同調しては芽吹を困らせる。

 とはいえ、撮影時には息吹はほとんど意見を挟むことはない。

 ただ一歩引いた場所で、芽吹たちの撮影の様子を眺めているだけだ。

 息吹が見ていることで、始めこそ微かな緊張を感じていた。しかしそれも、息吹の適度に適当な空気感に、いつの間にか溶けて無くなっていた。

 慣れた今となっては、そこに立っていてくれた方が安心する――これは、絶対に本人には言わないが。

「いいねえ、今日の日暮れ」

 最近気づいた。息吹は、太陽の日差しのことをよく口にする。

 そして、時折薄く浮かぶ名前も知らない山の影をぼうっと眺める。

 もしかしたら、無意識にカメラを向けているのではないだろうか。もちろん、実際にカメラを手にしてるわけではないけれど。

「それじゃ、今日の撮影会はこれでお開きかな。坂下のコンビニ寄ろうか。飲み物くらいは奢れるよ」

「わお! ご馳走になりまーす」

「いいんですか、息吹さん。この間もご馳走になっていますが」

「いいよー。大切な妹の大切な友だちだからね」

 正反対の反応を示す友人に微笑み、いつの間にか片づけた奈津美のカメラ道具を背負う。

 新鮮な気持ちは、まだ抜けない。

 学校で働く息吹は「イブ」という別の役割だからか、家にいるときの素の姿とは違う、と芽吹は思っている。

 だからこそ、こんなに自然に自分以外と打ち解けている兄の姿が、何度見ても新鮮なのだ。それは少しの喜びと、少しの違和感。

「芽吹。これ、食べてな」

「んう」

 口の中に押し込まれたのは、すっかりお馴染みになったチノルチョコ。どうやら味を占めたらしく、いつもポケットに忍ばせるようになったらしい。

 フィルムを剥いたチョコが口内にほんのり溶け込む。かすかに息吹の指先が芽吹の唇に触れ、離れた。

「なんか、中からトロッて」

「キャラメル味。疲れた体には甘いもの」

「ありがと。……どうかした? 2人とも」

 突き刺さる視線に気づき問いかけると、2つのそれはふわーっと各々明後日の方向を巡り、最終的にお互いを見合った。

「なんていうか、毒されてるね。あんたも」

「へ?」

 鼻歌を奏でる息吹と距離を取りながら、奈津美が耳打ちする。

「さっきのやりとりがさ、兄妹っていうよりもむしろ」

「まるで恋人同士みたいだった。素敵」

「おおう。華さん、どストレートに言うね」

「……こいびと」

 片言で反芻する。そして芽吹は表情を変えないまま、首を高速で横に振った。

先ほどまで感じなかった外気が、頬をひやりと撫でる。

「んな、わけ、ないでしょ。何を言い出すのかね君たちは」

「いや。私も兄がいるけど、あんな距離感でやり取りしてたのは遥か昔だわ。今あんな距離で来るのは、金たかりに来る時くらいだわ」

「私はひとりっ子だから、羨ましいよ。いいな、私もお兄ちゃんが欲しい」

 羨ましがられるものではない。なかった、はずだった。

 ほぼ初対面で再会した、年齢の離れた兄との共同生活。それがいつの間にかほだされて、こんなことになっている。

「おーい。信号変わるよー」

 つまり、自然と懐に入り込んでしまっている。能天気にひらひらこちらに手を振っている、目の前のアレを。

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