表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/63

(3)

 次の日は、いつも通り息吹に挨拶をすることができた。

 その様子で判断したのか、息吹も昨日の1日がなかったかのようにいつも通りだ。こういう時、息吹はやはり大人なのだと感じてしまう。

「あれ。芽吹、もう行くの」

「うん。ちょっと、野球部の朝練に付き合うことになって」

 嘘だった。本当は早めに登校して、人目のないところで写真の特訓をするためだ。

 今は、時間の許す限りカメラに接していくしかない。

 あらかじめ用意していた言い訳をすると、息吹は少し考えた様子で押し黙った。

「息吹?」

「芽吹、ちょっとこっち」

 言うなり、息吹の長い指が伸びてくる。

 そっと目尻に触れた指先は、しなやかに見える印象とは対照的に、意外と固かった。

「目、赤いね。寝不足だった?」

「あ、うん。寝る直前、スマホいじっちゃって」

「そう」

 じっと見つめる息吹の視線に、何とか耐える。

 あまり不自然に目を逸らすと、心の中を覗かれてしまいそうだった。心臓の音が、どくどくと体を震わせる。

 頬に触れた指先はしばらく芽吹の目尻を小さく撫でていたが、そのままさっと離れた。

「あまり、無理しちゃ駄目だよ」

 息吹は懐から何か取り出した。チノルチョコだ。

「非売品。いってらっしゃい。気を付けて」

「ありがと。いってきます」

 受け取った小さな気遣いを握りしめ、芽吹は学校へと急ぐ。胸に抱いた決意のために。

 その背中を、息吹は視界から消えてもしばらく見つめていた。



 ところが、カメラ嫌いの克服はそう簡単にはいかなかった。

「奈津美。1分30秒経過」

「よし。ちょっと休憩しようかね」

「ん。ありがと、2人とも」

 ぺたりとその場に腰を落とした芽吹に、華が甲斐甲斐しくお茶を差し出す。手中のスマホには、ストップウォッチ画面が開かれていた。撮影時間を計測するためだ。

 初日1分以内に不調を訴えていた芽吹の撮影持続時間は、数日経過した時点で1分30秒になっていた。

「はは。ほとんど事故のような誤差だよねえ」

「そんなことない。初日は1回もいかなかった時間だよ。たぶん」

「ただ、問題は本番の撮影場所では、周りの視線も追加されるってことなんだよねー」

 今撮影練習している場所は、もっぱら人目のない屋上か学校の裏庭だ。

「だから、ある程度カメラ自体に慣れたら、今度は人目にも慣れる練習をしなくちゃ。ぶっちゃけ私も、そのときは緊張しそうだしねえ」

「そうだよね。了解」

 いまだにお腹の奥に力が入らない状態で、芽吹は努めて普段通りに答える。

 人の目がある撮影。カメラ嫌いの症状が悪化するのが嫌でも想像できる。それでもゆっくりしていられない。

 もう少し特訓の時間を増やさないと、と芽吹は自分に言い聞かせる。ふとポケットに入れたままになっていた小さな塊に気づき、かさかさと包みを開く。

「芽吹。それって」

「あ、チノルチョコ。今朝家を出るとき、息吹が渡してきたの。非売品って」

「非売品、ねえ」

 意味ありげに見下ろしてくる奈津美に、首をかしげる。

「実は昨日、私もお兄さんからチノルチョコもらったんだよね、非売品って言って」

「え、そうなんだ」

「でも、私のにはこんなこと書いてなかったなあ」

 そう言って指摘したチョコの包みに、視線をやる。そこには、小さな文字が追加されていた。

『お兄ちゃんの魔法入り』

「……なんだこれ」

 ふっと噴き出したはずが、目測を誤って泣き笑いになりそうだ。

 何の魔法かはわからない。

 それでも不思議と胸の奥から、温かな力が湧いてくるのを感じた。



「……で。俺に協力を要請したい、と」

「本当にすみません。でもこんな図々しいお願いできるの、先輩しかいないんです」

 2年生の廊下の角隅で、2人の人影が揺れた。

 授業の合間の時間で安達を呼び出した芽吹が、深々と頭を下げる。

「今はもう、どんなわらにもすがるべき時と言いますか」

「え、俺ってわらと同列? そゆこと?」

「いえ、決してそういうことではなくて」

 疲労が募っているからか、今の芽吹は少し言葉の選定力に欠けていた。

 それでもさして気分を害した様子のない安達に、芽吹はほっと救われる思いがする。

「でもなあ、俺写真なんて滅多に撮らねーし、専門的なことはわからねーよ?」

「いや、先輩に求めているのはそういうことじゃないんです。ひとまず、この写真を手に持ってください」

「ん? これ、前も持ってた写真じゃねーか」

 薄暗い廊下でも瞬時に判別できる。さすがエースピッチャー。視力もピカ一だ。

「この写真を見て、その、つまり、感想を言ってほしいんです」

「はい? 感想?」

「その……『写真写り、悪くないな』……みたいな?」

「はいい?」

 言いながら声量が小さくなる。

 自分でも馬鹿なことを頼んでいる自覚はある。でも今は、本気で手段を選んでいる余裕はないのだ。

「その、前に聞いてもらいましたよね。カメラが怖くなった理由が、『写真写り悪い』って言われたことだって」

「……おう」

「だからその……トラウマとは逆の言葉を耳にしていれば、効果が相殺されるんじゃないかと」

「ほう、なるほど」

「……すみません。馬鹿みたいですよね」

「いや。それだけ、カメラを克服したい気持ちが強いってことだろ?」

 そう告げると、安達の唇がそっと芽吹の耳元に寄り添った。

 驚きを表現する間もなく、唇が言葉を辿る。

「写真写り、いいじゃん。すっげー可愛い」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ