表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/63

(4)

「……!」

 身内の芽吹ですら、ぞくりと胸が粟立った。

 あっけらかんと残酷な宣告の後、息吹がグラウンドから軽快に緑地へと降り立つ。

「目撃者Aになるのはいいが、目に余る行動は控えろよ。俺は見たまんまを説明するぞ」

「うん。ありがとね、葵」

「っ、きゃ……!」

 次の瞬間には体の拘束が解かれたかと思うと、すぐそばで男が地面に振り落とされた。

 聞きなれない変な音が鳴ったようだ。心配する筋合いはないが、大丈夫だろうか。

「い、息吹」

「芽吹。怪我してない?」

「うん私は。でも、安達先輩が」

 腕の後ろに庇われた芽吹が、咄嗟に安達を指さす。指先に倣った息吹は「あー」と目を細めた。

「なるほど。プレイボーイは、傷をつけられても絵になるねえ」

「っ、てめえ、一体何もんだ!」

「うん。脇役Bも、少し黙ってて」

 言うや否や、安達を痛めつけていた男の体が素早く宙に浮く。息吹が蹴り倒したのだと、芽吹は一瞬後に気づいた。

 短い悲鳴の後、脇役Bもそのまま気を遠くしてしまった。

「で。あんたは俺の妹に何の御用?」

「妹、か」

 話を振られた大男が、一歩こちらに歩み出た。

「よくわかったな。妹さんが呼び出された場所と時間が」

「あんたたちの校内の手下、登校する生徒ばっかに気をとられててね。購買のお兄さんが見てることに、気付かなかったみたいだよ」

「人選を誤ったか。靴箱にメモを入れるくらい、スマートにやってほしいもんだな」

 苦笑する大男が、膝をついていた安達の前髪を乱雑に持ち上げる。

「ちょ、やめてってば!」

「芽吹、いいからそこにいな」

「でもっ」

「今芽吹が飛び出して万一怪我でもしたら、お兄ちゃんが殺人犯になるかもだけど、それでもいい?」

「……」

 いいわけがない。

 本気か冗談かわからない発言に、芽吹の勢いが削げる。それを笑顔で確認した息吹が、大男と安達を交互に見た。

「あんたはそこのプレイボーイに恨みがあるんでしょ。そこにどうして芽吹が巻き込まれてるのかな」

「こっちにはこっちの事情があるんだよ」

「へえ、お互い『妹』に振り回されてる、ってわけ?」

「……」

 芽吹の問いに、大男は答えない。無言の肯定だった。

「妹さん……?」

 小声で洩らす安達に、再び大男はぐいっと前髪を引き上げる。

 苦し気な声とともに、安達の瞳が大きく見開かれた。

「ああ、そういうわけか」

「安達先輩?」

「身に覚えのない恨みなら、これ以上はご免だけどな」

 まるで悟ったような安達の表情に、大男の顔にはじわりと不快感が浮かんた。

 それはつまり、安達にも身に覚えがある、ということだろうか。

「無駄口は叩くな。いずれにしろ、お前に選択肢はねえんだよ、色男」

「でしょうね。痛いのは嫌いですが、仕方ありません」

「力加減は保証できねえ。歯あ食いしばれよ」

 みしっと地鳴りのような関節音を鳴らし、男が拳を振り上げる。

 思わず息吹を押しのけて踏み出た芽吹だったが、結局それは叶わなかった。

「……おい。何のつもりだ?」

「言ったでしょ。俺も、可愛い妹に振り回されてるお兄ちゃんなんだってば」

 大男の強靭な拳を、息吹の右手が受け止める。

 安達を後ろに追いやると、息吹はそのまま大男と対峙した。

 前にも後ろにも動かない拳におののきを覚えながら、芽吹は急いで安達に駆け寄る。

「先輩!」

「あー……、マジで、悪かった。芽吹」

「と、とにかく傷を」

 慌ててポケットからハンカチを取り出すと、すぐ横に救急箱が置かれるのが見えた。

「小笠原先生……」

「行き掛けの駄賃だ。一応、養護教諭なもんでな」

「ありがとうございます」

 手際よく怪我の様子を見る小笠原に安達を任せ、息吹に視線を移した。

 2人はいまだに組み合ったまま、力を拮抗させている。

「あんたの妹さんを傷つけるつもりはハナからなかった。あんたがでしゃばるところじゃねえだろう?」

「そうなんだけど、仕方ないでしょ。芽吹は、あのプレイボーイを守りたいみたいだからね」

 言葉通り「仕方なさ」を全面に出した息吹は、そのまま男の拳を勢いつけて振り払った。それなりの衝撃があったのか、受け止めていた手をひらひらと仰いでいる。

「うわー、あんたの腕っぷし、結構やばそう」

「あんただって、わかるんじゃねえのか。心底惚れた男に泣かされる妹を見た時の、兄貴の気持ちが」

 絞り出すように告げた大男に、息吹は迷う間もなく頷いた。

「ん。そうだね」

「あんたもそう堪え性があるようには思えねえ。男に拳をお見舞いするくらい、躊躇なくするだろう」

「ん。だと思うよ。でも」

 再度肯定する兄に内心突っ込みを禁じ得ない芽吹だったが、続く言葉がそれを制した。

「妹が『それ』を望んでないなら――自分の腕を落としてでも、その拳を収めるけどね」

「息吹……」

 息吹から向けられる思いに、芽吹はひどく戸惑った。

 自分には想像したことのないほどの、激しい愛情。兄だというだけで、誰でもそこまで盲目的な愛を持てるものなの。

 そして――それを垣間見るたびにせりあがってくるこの感情は、いったい何なんだろう。

「それは、あんただって一緒でしょ。妹が望んでいないなら、こんな馬鹿げたことはしない」

「……」

「つまり、『それ』を望んだわけだ。あんたの妹さんは」

 大男は、苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。

「自分の手を汚さず、兄を頼ったわけだ。随分賢い妹さんだね」

「……あいつが、俺に何かするよう指示をしてきたわけじゃねえ」

「でも妹さんは知ってるんだよ。あんたに泣いて相談しさえすれば、自分の望む行動を取ってくれるってさ」

 残酷な笑顔で言葉を続ける息吹が、ポケットの中から小型器機を取り出す。いくつかあるうちのボタンを押すと、薄い雑音に覆われた音声が流れてきた。

 誰かが、電話している女の声が聞こえる。

 涙に沈んだ口調で話を終えたその声は、電話を切った瞬間に口調が変わった。

 ――本当、扱いやすいんだよね。単純馬鹿なお兄ちゃん。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ