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第3話 秘められた写真(1)

 深いもやがかかった広場に、芽吹は1人だった。

 緑生い茂る丘をゆっくり上っていくと、どこからか大きな木が現れる。木漏れ日がちらちら届いて綺麗だ。

 大丈夫。気づいたときには連絡するし。

 届いた誰かの声に、芽吹は振り返る。大人3人が話し込んでいた。背の低い芽吹は、慌てて近くに駆け寄っていく。話題に入れなくて少し不機嫌になるも、隠すように下ろされていたカメラを見て、小さく呟く。

 それ、わたしたち?

 その持ち主は、ばれたか、と儚く笑った。

 お守り代わりだから、許して。

 おまもり? 聞き返した芽吹に、大きな手のひらがそっと乗せられる。

 元気でね、芽吹。



 カン、と短く強い響きに、胸が透く心地がする。

 久しぶりにかぶる野球帽に少しの違和感を覚えつつ、芽吹はグラウンドの隅を休みなく動き回っていた。バッティング練習後のヘルメットを素早くタオル掛けし、ドリンクの残りを確認し、1年生が次のメニューで使うティーバッティング用のボール箱をネット裏に準備する。

 首の後ろに感じる日差しが、じりじり熱い。

「戻ったか、来宮」

「伊藤監督」

 後ろから掛けられた朗らかな声に、帽子を外して礼をする。野球部特有の挨拶も、いつの間にかきちんと身に戻りつつあった。

「またあの安達がやらかしたらしいなあ。玄関前でマネージャー復帰依頼とは。お前も妙なやつに懐かれたもんだな」

「まあ、約束したのは私ですから、仕方ないです」

 例の「約束」を交わした週末。問題の練習試合で安達は、ノーヒットノーランを叩き出した。

 まさかと思ったが、嫌な予感がしていたのも事実だった。

 いいんじゃない。またやってみれば。軽く言い放たれた息吹の言葉がよぎり、小さく顔をしかめた。

 あの言葉にうっかり、それもいいのかもしれない、と思ってしまった自分に。

「芽吹、タオルとって」

「今から洗濯なので無理です。というか、先輩の方が置いてる場所に近いじゃないですか」

「おい安達。来宮が返ってきたのが嬉しいのはわかるが、あんま甘えて迷惑はかけるなよ」

 苦笑しながら忠告する監督に、安達は悪戯っ子のように笑って去っていく。

 目で追うと行った先で捕手の田沼にどつかれていた。大方、監督と同じ忠告を受けたのだろう。

 1か月ぶりの野球部は、意外にも居心地も悪くなかった。

 選手たちも最初こそ腫物を扱うような言動も見えたが、すぐに適度な距離感で付き合えるようになった。

「来宮さん。私、シートノックに行くね。あと宜しく」

「ん。いってらっしゃい」

 そして1番意外だったのは、もう1人のマネージャー――倉重百合とも、それほど苦痛なく過ごせていることだ。

 何か、心境の変化でもあったのかしら。単に仕事が追い付かなくて、ともにいる時間が少ないというだけかもしれない。

 復帰まで知らなかったが、芽吹が辞めた後、他のマネージャーも次々に辞めていたらしい。結局残ったのは百合1人で、1年生選手の手を借りてなんとか仕事を回していた。

 他のマネージャーが辞めてしまった理由は、大よその察しはついた。

 まあいいや、ひとまず溜まっている仕事をこなしていこう。

「芽吹」

 雑巾をひとしきり洗濯レーンにかけ終わったところで、声をかけられた。安達だ。

「わっ、びっくりした。まだいたんですか」

「うわー、酷い反応」

 違和感があった。先ほどまでの軽口は変わらないのに、表情はどこか無理して見える。夏の暑さにやられたのだろうか。

「もしかして、アイシング必要ですか。それかドリンクがもうなくなったとか……」

「なあ、誰か、この辺りにいたか」

「いえ、私以外は誰も」

「そっか、ありがとうな」

 真意を掴めない質問だった。ただ、安達が「ありがとう」とは程遠い感情でいることだけはわかった。

「先輩」

 咄嗟に捉えた安達の手は、予想に反してひやりと冷たかった。

「熱中症、ではないですね。夏風邪ですか。ご飯はちゃんと食べました?」

「あ、え?」

「頭痛とか吐き気はありませんか。他に痛むところは? ちょっと、動かないで」

 つま先立ちをする。芽吹の手のひらが、安達の頬から喉元を丁寧にたどっていく。

 熱を帯びたり腫れがあったりはなさそうだ。単に疲労が溜まったのかもしれない。そう考えた瞬間、喉元に触れていた芽吹の手が掴まれた。

「……ちょっと。何してるんですか」

「んー、ちょっと、幸せに浸ってる」

「馬鹿なこと言ってないで」

「芽吹にとっては馬鹿かもね。でも、俺にとっては超真剣」

 超真剣、と言われて真剣にとるやつがいるか。

 自分の手を引き抜こうとすると、意外にも掴む力が強く、そのまま体ごと安達の胸元にぶつかった。

 それでも、安達は芽吹の手を放そうとしない。

「安達、先輩?」

「おい! どこ行った安達い!」

 田沼先輩。倉庫裏から飛んできた怒号に、何事もなかったように安達は芽吹と距離をとった。

「んじゃ、ランニング行ってきまーす」

「はあ、気を付けて」

 気の抜けた返しをした芽吹は、しばらくその背を見送る。

 安達の胸元に押し付けられた頬は、まだかすかに熱を持っていた。

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