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(4)

 初めて目にする安達の瞳が、そこにはあった。

 表情を崩すな。芽吹は自分に言い聞かせ、気取られないように呼吸を整える。

「それは気のせいですよ」

「気のせいじゃない。あいつらに聞けばわかる」

「スポーツマンなら、誰しも多少の波はあるものじゃないですか。それに」

 あなたの世話焼きならあの子1人で十分ですよ、と言いかけてやめた。

 途切れた言葉を追求しない安達との間に、沈黙が落ちてくる。

「ねえ、俺のこと、どんな風に思ってる?」

「格好よくて、男女問わず人気がある、かなり調子よくて、軽い先輩」

「あー、めっちゃ的確じゃん、その表現」

 眉を下げて頭をかく表情は、いつもの安達だ。芽吹は内心ほっと胸を撫で下ろした。

 いい加減しびれを切らしたらしい部員の1人が、安達に声をかける。あんたらもそんな所に突っ立てないで、早くこの男を回収していってくれ。

 芽吹が大きく溜め息をついたのと安達が大きく息を吸ったのは、ほとんど同時だった。

「お願いします、来宮芽吹さん! 週末の練習試合で俺がノーヒットノーラン決めたら! 野球部マネージャーに戻ってきてください!!」

「――っ!?」

 びりびりと響くほどの声量とともに、深々と頭を上げられる。

 呆気にとられた芽吹は、ようやく動き出した思考の中で「やられた」と眉をしかめた。

 外履きに履き替えて校門を出ようとしていた生徒たちの視線が、一斉に安達と芽吹の2人に向けられる。

「え、何今の」「あれって、野球部の安達先輩じゃん?」「え、なんか女にめっちゃ頭下げてるんだけど」「なんか、マネージャーがどうとか言ってた?」

 さざ波のように広がっていった噂話は、明日には学校内の周知の事実になるに違いない。

 当事者が他でもない、この男だからだ。

「……汚い手を」

「悪いな。でもこうでもしないと、本気で会話もできないみたいだから」

「おい安達! お前、また何めちゃくちゃなこと言ってんだよ!」

 ようやく待ちぼうけを食らっていた部員の1人――正捕手の田沼が、安達を物理的に止めに来た。向けるべき言葉が見つからない風体のまま、芽吹とは小さく会釈だけ交わした。

「大体、週末の練習試合って相手わかって言ってんのか。佐久翔だぞ」

 佐久翔。去年の練習試合で安達が大量失点し、途中降板した相手だ。当時一年だったとはいえ安達には珍しい成績だったので、データを整理したときに記憶していた。

「わからねーかな田沼。だからこそ、賭ける価値があるんだろ?」

 満足げに笑う安達を、田沼は呆れたように睨む。「滅茶苦茶な奴ですまん、来宮」と視線だけで詫びられた。

「な、芽吹。さっきの約束を守ったら、戻ってきてくれるよな?」

 何の握手かわからない手を差し出される。大きな手。チームを勝利に導き、想像つかない期待と負担を背負う手だった。

「俺! 絶対にノーヒッ」

「わかりました! だから黙ってください!」

 一時前の思考をすぐさま取り消しにかかる。何が期待と負担を背負う、だ。ほとんど脅しじゃないか。

 してやったり、と笑う安達は、悪の申し子のように見えた。



「あ、何かスーパーで買い出しはない?」

「いらない。まだ冷蔵庫に食材あるから」

「そか」視線もスピードを変えないまま短く答えた。

 学校への赴任が決まってすぐ、息吹はスクーターをどこからか調達してきた。見るからに中古だったが、動くものなら何でも構わない主義らしい。ヘルメットが2つあることについては、当初は気にも留めていなかった

「一応聞くけど、ちゃんと免許あるんだよね」

「大切な妹を乗せるのに、無免許なんてするはずないでしょ」

 ヘルメットで表情は窺えないが、恐らくへらへら笑う息吹を芽吹は無言で睨む。

 大切な妹なら、さっきの騒動のときもどうにか手を貸してほしかった。

 とはいえ、具体的に何をしてほしかったわけじゃないけれど。

「にしても、さっきの安達くん? すっごかったねえ、公衆の面前で大告白」

「告白じゃない。あの人はいつもああいう感じなの」

 ピンポイントで振られた話題に、くすぶる苛立ちをそのまま言葉に乗せる。そして予想通り、そんな口調を意に介するような兄ではなかった。

「芽吹、野球部のマネージャーだったんだね」

「たった、数か月だけだよ」

「芽吹は1年生なんだから、そりゃ数か月に決まってるでしょ」

 そりゃそうだ。馬鹿なこと言ってしまった。

「でも。色々あって辞めたの。1か月前」

「いいんじゃない。またやってみれば」

「簡単に言うね」

「だって、なんか楽しそうじゃない」

 始終軽い口調。

 それでも、あえて削いだ事情もすべて察しているように、息吹は言った。

「芽吹だって、ほんの少しは後ろ髪をひかれてるように見えたし」

「……」

 そうなのだろうか。実はずっと、小さな何かが引っかかってはいた。

 でもその正体はわからなかったし、部活が円滑に回っているのならそれでいいとも思っていたのだ。

「もし何かあったら、兄ちゃんが守ってあげるからさ」

 横目で、一瞬だけこちらに視線が向けられる。

 その瞳は、正面から照らす夕日の眩しさに阻まれ、よく見えなかった。

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