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第1話 お兄ちゃん、初めまして(1)

 か細い泣き声が、部屋いっぱいに広がった。

 何もできずに、気の利いた声ひとつかけられない腕の中で、体を震わせ必死に声をあげる。

 恐る恐る顔を除くと、顔をくしゃくしゃにしながらも生きる命がそこにあった。

 情けなく零れ落ちてくる雫に構うことなく、ただまっすぐ、生きようと。



 両親が、海外に発つことになった。

 ベンチャー企業と呼ばれていたころから、ともに技術職として働いてきた両親。学生の娘が心配で、外国支社への打診をことごとく断っていたのは知っていた。

 それが予期しないアクシデントとかで、急遽辞令が出たのだ。父母ともどもに。

 2人の娘・来宮芽吹くるみやめぶきは、両親の辞令を心から喜んだ。

 自分ももう高校生だ。父も母も過保護すぎる。1年なんてあっという間だし、自立に向けたいい機会だ。

 とはいえ、日に日にすっきりしていく家の中に、感傷は次第に募るのも事実だった。

 いつも以上に両親との会話は増え、何となく昔のアルバムを見返して思い出話に花を咲かせたりした。まともな自分の写真は、ほとんどないけれど。

 そんな日々も今日で終わり――。

「今夜は家族全員で壮行会をするからね。放課後まっすぐ帰ってくること!」

 前々から準備していたささやかなプレゼントを手に、芽吹は家までの坂道を急いだ。

 いつになくドキドキ弾む鼓動は、気を抜いたら涙を誘いそうで、ぐっと緊張を込めるのを忘れない。何かあればテレビ電話ですぐに顔も見れる。寂しさを感じる必要はない。何度目かわからない確認を自分の中で繰り返す。

 かくしてその緊張は、自宅のリビングに入った途端、ぴたりとなりを潜めた。

「ただい」

 ま、を置き去りにして、芽吹は立ち尽くした。

 来宮家のリビングは、玄関を続く廊下に横付けされた扉をもってつながっている。

 中に入ると、まず向こう壁一面に美しい外国の風景写真をかき集めたフレームが視線を集める。視線を下に向ければ、2人掛けソファーが背を向けている配置だ。

 そのソファーに、何かが置いてあった。なんだ。大型家具? 違う。

 ――人の、足だ。

「あ、やばい。寝てた」

「――っっ」

 口内の空気全てが、のどのある一定の場所まで勢い良く吸い上げられる。

 もぞりと動き出したその「足」に叫びそうになり、直前でなんとか堪えた。

 一人暮らしのための生活の知恵。暴漢に襲われた時は、下手に悲鳴を上げない。助けを呼ぶ意味ではいいが、馬鹿な男の興奮材料にもなるからだ。

 でも、あれ。このあと、どうするんだっけ――

「って、わお。もう帰ってきたの」

 男が、悪びれもなくぬるりと立ち上がる。芽吹はまた叫びそうになり、何とか喉の奥に押し込んだ。

 ぼさぼさのうっそうとした髪。想像以上に上背のある体。長い前髪から垣間見える胡乱な瞳。そんなものをぶち抜いて、芽吹の頭に恐怖に裏打ちされた激しい怒りがこみ上げた。

 どうしてこの男――パンツ1枚で他人んちのソファーに寝そべってんだ!

「ああ、ごめん。シャワー借りたら、タイムラグでどでかい眠気がきてねえ」

 視線に込めた意味に気づいたらしい男が、愉快そうに答えた。

 男はへらへらと、辺りに散らばしていた服をかき集めシャツをかぶる。シャツはいいから、まずズボンを履けズボンを。

 よし、警察に連絡だ。

 携帯を構えると、恐怖に震える指先がそれを弾いた。運悪く男の足元に滑っていった携帯を、男は律義に拾い上げる。馬鹿にされるのを覚悟して見返した男の視線は、凪のような静かな微笑みだった。

「もう、携帯も普通に使う年ごろかー」

「……」

「大きくなったね、芽吹」

「……」

 は?

 場にそぐわない言葉とともに、男の腕が伸びてくる。あ、危険。

 芽吹はとっさに、自分の足を男の股間めがけて振り上げた。

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